「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月29日

【ガザ攻撃】記事大杉。でもタイムズとガーディアンから行くよ。

この件についてのエントリは
「2008年12月ガザ攻撃」のタグ
一覧できます。


今の一曲:
http://uk.youtube.com/watch?v=hEmrU8UNF64
I've got my propaganda
I've got revisionism
I've got my violence in hi-def ultra realism
All a part of this great nation


さっき、タイムズのブログでミック・スミスさんが書いた文章を読んで、そうそうこれこれと思ったので、うっかりコメント欄までスクロールダウンしてしまったら、心が折れました……サルコジが「まったく不釣合いな」と述べたのがひとつのテンプレみたいになって多くの人が使っているフレーズなのですが、それについてまたおなじみの「定義合戦」に……キーボード・ウォリアーのみなさんが迎撃体制(一部は先制攻撃体制)に入っているということはわかりました。たぶん予備役も招集されてます。ああ、つい先日も音楽拷問の件で心が折れたばかりなのに……。

私には癒しが必要だと思い、一方的に「ホーム」と思っているガーディアンに行ってみたら、記事増えすぎ。どれを読んだらいいのか、わかりません。どれを既に読んだのかもわかりません。とりあえず、クリップ目的でkwoutのキャプチャだけ。



何か、これはどうしても日本語で読みたいというのがあれば、記事名とURLをコメント欄に投下してください。(コメント本文には日本語の文字を入れてください。じゃないとエラーになります。)余裕があれば内容の概略くらいはできるかもしれないので。(できないかもしれません。)

以下はタイムズのミック・スミスさんの記事の内容。

December 27, 2008
Gaza Attacks and Olmert's Threat to the Innocents Damage Israel
http://timesonline.typepad.com/mick_smith/2008/12/gaza-attacks-ol.html
概要:
ハマスがロケット攻撃を行なってイスラエルを挑発したことに疑いはない。しかし、昨日の不釣合いな反応はイスラエルにとって害になるばかりだ。コメンテーターは、イスラエルでは選挙を控えているので報復は難しかろうと述べているが、避けようのない結論は選挙がこのような恐ろしい行動を決断するに至った背景で重要な役割を果たしているということだ。イスラエルの選挙はカディマのリヴニ党首とリクードのネタニヤフ党首とが接戦になっている。両氏とも強硬姿勢をアピールしており、皮肉なことに「固い鉛作戦」と名づけられた今回の攻撃は、リヴニ外相は私はネタニヤフと同じくらい強硬になれますといえるようになった、ということを表している。

現在イスラエルで政権を担っているのはカディマで、選挙結果が出るまではオルメルトが首相をつとめている。リヴニは外相だ。昨日、彼女はイスラエルには「他に選択の余地がないと述べ、政府は「市民を守るためにすべきことをしている」と語った。オルメルトは、2006年のレバノン攻撃の責任者だが、ガザからの攻撃に対してはイスラエルは断固として反撃すると警告していた。「私たちには非常に大きく破壊力のある強さがある。それを使いたくはないのだが。ハマスの行動の結果として、数万の子供や婿の市民が危険にさらされると思うと」と彼は述べた。

むろん、ほかにも関係者はいる。米国政府は既にイスラエルを止めるために何かをするという感じではない。その上に、史上稀に見るほど見事にレイムダック化している。オバマが就任したら中東をどう扱うかは興味深かろうが、彼にできることはほとんどない。

もうひとつ、外して考えられないのはタイミングだ。米国とその同盟国がクリスマスを祝っているときに、またあの連中がまたああいうことをやっている。29年前の今日、ソ連がアフガニスタンを侵攻した。偶然の一致ではあるまい。

イスラエルとその支持者は、今日のガザ攻撃がつりあいの取れたものだと主張することは、まずできない。彼らが殺人者でないと主張することもできない。ロケット攻撃への報復を警告したときに、オルメルト首相本人の口から、「数万の子供たちや無辜の市民たち」がハマスの行動によって危険にさらされるだろうという言葉が出たのだ。

しかし、ハマスには、イスラエルの過分な反応の責任を負わせることはできない。この攻撃で殺された「子供たちや無辜の市民たち」についての責任もハマスにはない。その責任は、イスラエルだけにある。

Posted on December 27, 2008 at 07:17 PM in The Sad World We Live in | Permalink


冷静に考えて、明らかにイスラエルに非難が集中するわけですよ、都市を破壊し、一気に300人近く殺しているので。

もちろん、イスラエル側は戦略としてカウンターを用意していて、それはさっきのCiFでのセス・フリードマンの投稿でも見たとおりですが、国内向け(および米英の「イスラエル・サポーター」向け)には発布済み。米国の支持者にはメールか何かで「不釣合いな」にツッコミを入れろ、そこがウィークポイントだ、という指示が出されているんではないかと思ってしまうほどに、USAからのコメント投稿者がそこにツッコミを入れています。

誰がどう見ても「不釣合い」でしょう。6ヶ月で1人を殺したカッサムと、1日で200人以上を殺したF16は。私がエリック・アイドルと英語で早口合戦をするくらいに不釣合い。

ってなわけで、もうちょっとやっとかないかん、ということのようで、イスラエルのリヴニ外相が米英など主要国の外相とEU上級代表と国連事務総長などにブリーフィングをしているそうです。

Israel mounts PR campaign to blame Hamas for Gaza destruction
Foreign minister briefs Rice, Miliband, and Solana
Toni O'Loughlin, Jerusalem
guardian.co.uk, Sunday 28 December 2008 15.45 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/28/israel-gaza-hamas
Israeli diplomats were recalled from holidays and ordered back to work and in the rocket-bombarded southern Israeli town of Sderot, on Gaza's northern perimeter, it opened a multilingual media centre to brief foreign journalists.

Then when the time came, the foreign minister, Tzipi Livni, reportedly picked up the phone, dialing Britain's foreign secretary, David Miliband, US secretary of state Condoleezza Rice, UN secretary general Ban Ki-Moon, and EU foreign policy chief Javier Solana along with the foreign ministers of Russia, China, France and Germany.

Yesterday she also briefed two buses of up to 80 international representatives and dignitaries in the Sderot media centre.

んで、思わず苦笑せざるを得なかったところ。
For Israel, the chain of events leading up to this attack begins not with its occupation of Palestinian territory in 1967, which is the Palestinian view.

Instead it begins three years ago with its decision to withdraw its military barracks and civilian settlements from inside Gaza.

ははは、そうですね、ええ。Another version of truthっていうか。北アイルランド紛争は12世紀に始まったとかもういろいろとね。

ははは。

この際だから、頭にこびりついて離れないquoteを:
Bloody Sunday had unleashed a wave of fury and exasperation the like of which I had never encountered in my life, in Egypt or Cyprus or anywhere else. Hatred of the British was intense. Someone had summed it up: 'We are all IRA now.' The already shaky position of Jack Lynch, the Irish Taoiseach, was now extremely precarious, and the threat posed by the IRA to democratic institutions in the Republic would now be far more serious.

http://cain.ulst.ac.uk/events/directrule/mckittrick00.htm

(当時の駐アイルランド英国大使のことば)

ファタハのアッバスがイスラエルの主張を踏まえてむにゃむにゃしているようだけど、この調子だとファタハが壊れるかもね、ハマスじゃなくて。「民主主義」っていうのは「人々の支持」の上にあるもので、「人々の支持」はこういう事態ではとりわけもろい。攻撃をしている側のモラリティの話ではなく、攻撃されている側の姿勢の話だから。

※この記事は

2008年12月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回の攻撃はアメリカの政権交代時期を狙ったものだとも言われているようですが、ホワイトハウスの反応はまあ予想通りだとしても、次期政権関係者が同じようなことを言ってるようなのには少しがっかりしました。以下の記事をちらっと見ただけで心が折れてしまったのですが、もし余裕があったら概略でも伝えてもらえると参考になります。

http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/29/barack-obama-israel-gaza

私はバラク・オバマには期待しているのですが... でも政権移行期におこなわれたこの攻撃に対して彼がどのようなことを言ったかについては、目を背けずに覚えていなければならないかもと思いました。

Posted by LJU at 2008年12月29日 23:15
LJUさん、ガーディアンの記事、概要だけ日本語にしてアップしました。
http://nofrills.seesaa.net/article/111912163.html

バラク・オバマ個人の発言の変遷がコンパクトにまとめられたいい記事ですね。(そのほかの要素がいろいろ入ってもいますが。)
Posted by nofrills at 2008年12月30日 13:26

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼