政治学の専門でもなければ、オーウェル研究を熱心にやってるわけでもない自分が、サー・バーナード・クリックのお名前を記憶していたのは、ひとえにこの件ゆえである。過去記事2件。
2007年04月05日 英国伝統の「一気に倍」メソッド、再び&「英国」についての試験
http://nofrills.seesaa.net/article/37875824.html
2007年04月11日 「英国検定」テストについて。
http://nofrills.seesaa.net/article/38419441.html
「英国検定」はこのブログでの用語で(発案は読者さん)、永住権を申請する「移民」だけに課せられる「英国についての一般知識テスト」(Life in the United Kingdom test) のこと。このテストの考案者がサー・バーナードだった。
4月11日のエントリから抜粋。
……ウィキペディアのエントリから、テスト考案者のプロフェッサーについてのエントリに飛んでみたのだが:
http://en.wikipedia.org/wiki/Bernard_Crick
1929年生まれ。ニール・キノックの労働党(1980年代)で党顧問を務めた政治学者で、「イデオロギーよりエシックス(ethics)」という主義主張の方。なおかつ、「英国検定」を導入したデイヴィッド・ブランケット内務大臣(当時)のお師匠さん。(これ何て癒着?)
最高のブラックジョークだと思ったのは、このプロフェッサーがジョージ・オーウェルを研究しているという点。すべてがNewspeakに見えてきたって私の責任じゃないからね。
つまり、トニー・ブレアのニューレイバーからゴードン・ブラウンまで一貫している「Britishness」とか「British values」とかいったものに大きく関わっている学者(というより「学識経験者」とでも言おうか)だ。
少しBBCを検索してみた。
2002年の記事。
Blunkett names 'Britishness' chief
Tuesday, 10 September, 2002, 13:09 GMT 14:09 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/2248319.stm
Home Secretary David Blunkett has handed the highly sensitive job of drawing up a "Britishness" test for immigrants to his favourite academic Professor Sir Bernard Crick.
Sir Bernard, who has previously advised Mr Blunkett on citizenship lessons in schools, will head a committee to draw up a syllabus on "UK society and civic structures".
The test will become compulsory for new arrivals if they want to take full British citizenship.
Mr Blunkett's plans for citizenship tests - and his plain speaking approach on immigration and race - have led to accusations of borderline racism from some on the left.
...
Professor Crick has played down suggestions that the test was a hurdle designed to weed out applicants for citizenship.
He said it would focus more on practical issues about living in the UK.
"At the moment when immigrants come in they don't receive...any information on life in Britain.
"For example, simple things like hospitals are free, the police don't beat you up if you go to them for help, you don't go to hospital without going to your GP first."
Such things could "cause a great deal of confusion, problems for the immigrant and, of course, for some people in the host communities," he added.
ええと、ジョージ・オーウェルを研究しているうちに「ジョージ・オーウェル」になっちゃった人なのかな、と思うほどの見事な擬似Newspeakではないか、というのは「検定」テストが内務省の手によって形になったあとだから言えることかもしれないが、あの「検定」テストの目的が「移民の人々は気付かずにいるかもしれないことを教えてあげる」ことなのか、と思わざるを得ないので。
確かにサー・バーナードは英国の教育に「citizenshipという教科」(日本でいうと「公民」か?)を導入した功労者であったというが、それと「移民」だけが対象のあの「検定」テストを同じ思想でやっているというのなら、では彼自身がBBCで言っているような「医者にかかるときの基本」みたいな実用ハウツーが「検定」テストに出てくるのか、と。そうじゃないだろう。あのテストは「ブリティッシュネス」という「価値観」についてのテストであって、実用的ハウツーではない。というか、実用的ハウツーなら既にガイドブックの類が書いている。あのテストは、「国民としての自覚を持ち」云々という、うちら日本人にはあまりにもおなじみの「意識」とか「自己認識」についてのものだ。
そして、サー・バーナードは次のように「連合王国は別々の4つのネイションから成る」と強調しているのだが:
There would probably be a section on British society, but it would stress the "diversity of faith groups" and the way the UK was made up of four nations.
"My own view is that Britishness is a series of legal and political agreements between different nations," Professor Crick told BBC Radio 4's The World at One.
"I think instruction in Britishness consists of living in Britain for a while," he added.
ニュー・レイバーにあふれている「ブリティッシュネス」という概念(といっていいのかな)のルーツは、彼らの多くがスコットランド人である(トニー・ブレア、ゴードン・ブラウンら)ことによるイングランド、というか保守党からの攻撃をかわすために利用されている概念だと思うが、「移民」に対してのみ試験を導入するということについてのこの説明は、その待遇を「あからさまに差別」であると見せないためのシュガーコートとしておっかぶせられた無意味な言葉にしか見えない(本人はそう思っていないとしても)。つまり、ハロルド・ピンターの言葉の対極。
だいたい、第一に、「4つのネイション」はUK内部の人たちが思っているほど相互に異なってはいない……とかいうと怒られたりするかもしれないが。ただしこれは、UKの4つのネイション(のナショナリズム)に対する中央(もしくはイングランド)からのリップサービスにすぎないと考えるのが妥当だろう。これをやらないとまたぞろ1970年代に逆戻りして、ミリタントなナショナリズムが勃興する(特にスコットランドとウェールズで)という懸念/強迫観念があることくらいは理解してあげないと。(と、パトロナイジングな態度を取っておくしか対処法を知らない。)
それ以上に、第二に、「4つのネイション」をうるさく言うわりには、その1つが明らかにどうでもいいという扱いをされているのはどうなのか、と。
http://www.lifeintheuk.org/ を見て気づいた。この「英国検定」テスト、2005年に導入されてから今回改訂されるまで、Britainという語を、何ら疑問の余地なく the United Kingdom の同義語として扱っていた! だから「北アイルランド」が one of the regions of Britain であるというおかしな錯誤が生じていたのだ。
http://nofrills.seesaa.net/article/38419441.html
さて、そのサー・バーナードの訃報についてだが、BBCではオビチュアリーどころか報道ですら確認できないが、ガーディアンにはオビチュアリーが出ている。ただし目立つところには出てなかったと思う。ブクマを見返してみると、19日は米国のマーク・フェルト(ウォーターゲート事件の「ディープ・スロート」)と、アイルランドのコナー・クルーズ・オブライエン(アイルランド共和国の政治家で、IRAへの言論弾圧の主導的存在であり、共和国の人でありながら北アイルランドのユニオニズムに共感した人であり、「アイルランド問題」の複雑さそのもののような人で、なおかつジャーナリストとしてオブザーヴァーの編集長をしていたこともある)の訃報があり、それらは各メディアのトップページで見たことを覚えている。そういった「大きなニュース」に隠れてしまったのかもしれないし、私が見たときにはトップページから流れてしまっていたのかもしれない。
サー・バーナードの生涯はガーディアンのオビチュアリに詳しい。ハロルド・ピンターの訃報に接した後では、フェビアン協会と労働党の「政治の言葉」がああなった背後にいる「知識人」のひとり、ということだろうというふうにしか読めないのだけれど。(実際、サー・バーナードはフェビアン協会。OpenDemocracyにフェビアン協会の偉い人が書いてる。)
ガーディアンでのサー・バーナード・クリックの寄稿の一覧:
http://www.guardian.co.uk/profile/bernardcrick
しかし、サー・バーナードの教え子であるデイヴィッド・ブランケットのこの寄稿を読むと、非常に複雑な気分になる。
Professor Sir Bernard Crick: an appreciation
David Blunkett
guardian.co.uk, Friday 19 December 2008 11.38 GMT
http://www.guardian.co.uk/politics/2008/dec/19/blunkett-bernard-crick
But Bernard also had hidden strengths that people never saw. His work in Northern Ireland will be remembered by those who were deeply involved in its politics and terrorism over the last 40 years.
For instance, sitting in a Westminster restaurant just four or five years ago, Bernard suddenly looked up as a number of Northern Irish politicians crossed our table and reminded at least two of them that he remembered them when they were not quite so "respectable".
He told me afterwards that they had been members of a paramilitary group that he had been dealing with as part of his role in providing political advice in the failed endeavour to try and find a peace process when peace was so far out of reach.
これはクリックについてというよりブランケットについてだが、「何が言いたい?」と言いたい。2000年代にウエストミンスターのレストランに来ているような北アイルランドの政治家で、あまりrespectableではない過去を有する人といえば、おそらくあの人とこの人であろうし(あるいはそっちではなくあっちのあの人かもしれない)、その人々のあまりrespectableではない過去のことは周知の事実だし(ひとり、ものすごく曖昧な人はいるけれど)、それをそうだと言うことが、"strength"? (まさかブランケットが、彼らが元パラミリタリーだということを知らなかったわけではあるまい。)
つまり、「そういうわけで個人的には彼らを軽蔑しているが、それでも彼らはNIの人々が民主的選挙で選んだ代表者であり、それゆえ私は彼らをそのように扱う。それが民主主義であり、政治である」というなら、strengthかもしれないが、ブランケットの文はそういうことは書いていないし、そういうふうにも読めない。
実際、サー・バーナードは「主義主張/原理原則」よりも「政治」を重んじた人である、という(NYTのオビチュアリにいわく、Sir Bernard made his mark with "In Defense of Politics" (1962), a spirited polemic in favor of politics as a worthy pursuit. In it he argued against ideology and in favor of "political virtues" like conciliation and compromise)。ならばいっそう、2000年代になってから「彼らは昔は」などと言うことは、悪口というか陰口でないならば、何なのか、という。
テレグラフのオビチュアリ(「故人についての説明」として非常に明解):
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/3884593/Sir-Bernard-Crick.html
As a post-graduate student at Harvard he had been influenced by the debate between those American scholars who wished to make political studies more objective and scientific, and those who argued that it was impossible to divorce fact from value.
Crick was firmly of the latter view, and in an earlier book, A Defence of Politics (1962), had argued that politics could exist only in societies in which the facts of diversity of opinions and interests were accepted as permanent and legitimate. Politics, according to Crick, is by its nature messy and complex, and requires some tolerance of differing truths and a recognition that government is best conducted amid the open canvassing of rival interests.
つまり、「事実」と「価値 value」は切り離すことができないという立場。そして、多様な意見と関心があることがよいこととされる社会においてのみ、政治というものは存在しうるのだと主張。政治というものは本質的に複雑で混乱していて、食い違う真実があることを許容しなければならず、互いに相反する利害を前提としてこそうまくいくのだと認識することが必要である、と。
じゃあなぜ「北アイルランドのあの政治家は昔はパラミリタリーだった」などということを言うのか。いちいち言わなくってもみんな知ってるってことを。(マーティン・マクギネスはIRAの一員として記者会見を行なっている。1972年に。)ますますわからない。
こういった点については、OpenDemocracyのオビチュアリーを参照することで何かわかるかもしれない……ひどく長いけど。
http://www.opendemocracy.net/article/ourkingdom-theme/on-reading-bernard-crick
本文を、フェビアン協会会長のSunder Katwalaが書き(これが長い)、その下にOpenDemocracy創始者のAnthony Barnettがさらに書いている、という形式。
私はAnthony Barnettに共感するほうであるせいなのか、Sunder Katwalaが「労働党の中」からの視野しか持っていないせいなのか(今の労働党とフェビアン協会の最大の問題点はこれだと思う。ラスキとかは、少なくとも、「英国の政治がどうのこうの」というのを抜きにしても読めたんだけど)、Katwalaが書いた部分は読んでもまるっきり頭に残らない。残ったのは下記の部分だけだ。
Crick wrote in a footnote to that 2007 reflection on Labour's victory that:Things get very confusing; I for one am not Old Labour. I polemicised against the Bennites and the Footites hard and had no tolerance for either the infiltrating wreckers nor the Social Democrat deserters; but I am not sure that I am New Labour either. I rather think not. I rather think that the inner party have not heard of 'the fallacy of the excluded middle'. Much of the party, I suspect, is basically excluded middle.
結局「何を考えているか」ではなく「どの派閥に属するか」の話だし、それ以前に、「労働党」という存在を守ろうというのが第一にあっての「政治」なのだろうか、と。
おそろしいほどどうでもいい。
「政治」には、原理原則にこだわり過ぎないことが必要だ、という話は納得できるし、共感もする。しかしブレアの労働党のやったことは(それを「ニュー・レイバー」と呼ぶかどうかは、「ニュー・レイバー」の定義次第だ)、「原理原則にこだわらない」ということではない。「法の統治」を無視し、自分たちが恣意的に捻じ曲げたものを「法の統治」と呼んで、それに「民主主義」というお題目を与え、それを「政治」と呼んだのだ。
Anthony Barnettは、「クリックには長期的視野というものがなかったと感じている」と書き、「常に労働党の人間だった」と評価している。その裏づけとして、「憲法88」運動の顛末を詳細に説明している(これはひとつの笑劇)。1992年の総選挙で――あの「サッチャー」の後の総選挙で、ニール・キノックの労働党が勝てなかったことはどう解釈すべきか、というか。
そして、英国内の大手メディアのオビチュアリーなどで「クリックの功績」として語られている点について、Barnettは厳しい見方をしている。
After 1997 Crick went on to influence Labour when it got into government through its Home Secretary David Blunkett (who he had taught in Sheffield). Crick wrote a report on citizenship for him and this became the foundation for the current compulsory teaching of 'citizenship' in schools today. But this was an attempt to square the circle, familiar in recent Ukanian times. I don't think his advocacy of one step leading to another was so ethically original. Effectiveness demands that you also look as the process as a whole, its direction and inner character. Thus citizenship implies the sovereignty of the people defined by a process of law and institutions whose power vis a vis each other is set out in a constitution. We are not citizens in this sense, in Britain, we are subjects. Crick understood this full well, of course. But it follows that you cannot teach citizenship to students and in schools in good faith. Like many of the lessons, the term became damaged goods. In this sense I am not convinced that Crick was a "democratic republican" as Sunder states. A bit more principle and stomach is needed to qualify for what should remain a noble epithet.
このあと、ますます厳しい見方に雪崩れ込んでいくあたりは読み応えがある。
で、そろそろ私は、自分がなぜこんなことに時間を費やしているのかわからなくなってきている。
でも、「英国」のここ数年のパラノイア的な「ブリティッシュネス」へのこだわりは、デイヴィッド・ブランケットとサー・バーナード・クリックの師弟がメインプレイヤーとなったからこそ、表玄関でがんがん語られているのだと思う。
そして、英国の政治システムを「民主主義」のお手本であると英国人がかいかぶるのは別にかまわないけれど、トニー・ブレアが言ったように、「戦争やテロは非民主主義からこそ生じる。民主主義国家は戦争を始めない」とかいうわけのわからない自己正当化のために(本当にわけがわからない)、つまり「私たちのやることは『正しい』のだ」と言い張るために、「民主主義」や「法」を都合よく定義したりしないでほしいと思う。
I'm not wasting my time any more on this...
※この記事は
2008年12月27日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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