「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月26日

【訃報】ハロルド・ピンター

ついにハロルド・ピンターが亡くなってしまった。2005年のノーベル文学賞の授賞式にも体調が悪くて出られず(ロンドンからストックホルムまで行くこともできなかった)、もう長く予見されていた死ではあったけれども、12月24日、クリスマス・イヴに永眠、78歳。

ガーディアンのトップページ:


BBC:


AFP BB:

ピンターのノーベル賞受賞講演は、集英社新書で日本語で読める(ありがたいことに)。

4087203840何も起こりはしなかった―劇の言葉、政治の言葉 (集英社新書)
Harold Pinter 喜志 哲雄
集英社 2007-03

by G-Tools


私は演劇には疎く、ピンターの言葉は「政治の言葉」でしか接したことがなかった。
I am sure those people here today who voted the Labour party into power share the same feeling - a deep sense of shame, the shame of being British. Little did we think two years ago that we had elected a government which would take a leading role in what is essentially a criminal act, showing total contempt for the United Nations and international law.

―― Harold Pinter at an anti-war rally, 1999
http://www.haroldpinter.org/politics/politics_serbia.shtml

(これは、2003年のイラク戦争の反戦集会ではありません。1999年、米英が主導したNATOによるセルビア爆撃のときのものです。でも、2003年の2月に反戦集会で語られた言葉と、ほとんど一字一句同じです。そして2008年、「アメリカが変わった」と浮かれているとき、その「変わった」アメリカは、クリントン政権の残党が主導しようとしている。なんという猿芝居。)

そんなとき、2006年だったか2007年だったか、とにかくノーベル賞受賞後、たまたま出かけていった先で中途半端にあいた時間に、洋書を扱っている書店に入った。ピンターの戯曲集がたまたま棚にささっていて、それを何気なく手にとってみて、そしてたまたま開いたページにあった「黒いユーモア」が基調の殺伐とした言葉のやり取りと、そこに浮かび上がる「人間と人間との関係」(「政治」の始まり)とにかなり心がめげてしまって、これは精神状態がすこぶるよろしいというときに改めて買おう、と思い、そして……そのままになってます。すみません。

でも『何も起こりはしなかった―劇の言葉、政治の言葉』という本に印刷されていた言葉は、2007年の夏ごろ、その本を買った私にとても大きなポジティヴなものを与えてくれた、ということは確か。

ピンターは、ノーベル賞のときにBBCがほとんど無視していたということをかなり淡々と語っていたことがあるのだけれど、BBCはその死は(ニュースというものがほとんどない)「クリスマス」の日のトップニュースとして伝えている。喜劇といえば喜劇のような。

ノーベル講演から:
http://www.guardian.co.uk/stage/2005/dec/08/theatre.nobelprize
In 1958 I wrote the following:

'There are no hard distinctions between what is real and what is unreal, nor between what is true and what is false. A thing is not necessarily either true or false; it can be both true and false.'

I believe that these assertions still make sense and do still apply to the exploration of reality through art. So as a writer I stand by them but as a citizen I cannot. As a citizen I must ask: What is true? What is false?

Truth in drama is forever elusive. You never quite find it but the search for it is compulsive. The search is clearly what drives the endeavour. The search is your task. More often than not you stumble upon the truth in the dark, colliding with it or just glimpsing an image or a shape which seems to correspond to the truth, often without realising that you have done so. But the real truth is that there never is any such thing as one truth to be found in dramatic art. There are many. These truths challenge each other, recoil from each other, reflect each other, ignore each other, tease each other, are blind to each other. Sometimes you feel you have the truth of a moment in your hand, then it slips through your fingers and is lost.


ピンターが、「何が現実で何が非現実であるか、その間にはっきりとした区別はない。また、何が本当で何がうそであるかの間にも」と書いた(1958年)のは、この人にとって生涯のテーマであったものだろう。

ピンターのような政治的立場を取る人にとっては「敵」である(私がここで使うこの言葉もまた、便宜上のものに過ぎないのだが)デイリー・テレグラフのオビチュアリーが、その基本的な目線(「否定的」な目線)はそのままに、すばらしく饒舌で、すばらしく内容に富んでいて、すばらしい追悼の文章になっている。

Harold Pinter: the most original, stylish and enigmatic writer in the post-war revival of British theatre
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/3949227/Harold-Pinter--the-most-original-stylish-and-enigmatic-writer-in-the-post-war-revival-of-British-theatre.html

real/unrealについて、truth/falseについて、このオビチュアリーの全体にわたって書かれているのだけれども、そのひとつを抜粋。
His other political plays, Mountain Language (1984) inspired by the plight of the Kurds and Party Time (1991) garnered some respect from Pinter fans, but little enthusiasm. Pinter became increasingly volatile when questioned on his political beliefs. At one social occasion, while he was raging over the alleged torture of the Kurds his hostess interrupted him suggesting that "there are two sides to every story." "Not when you've got electrodes clamped to your balls, there aren't," he stormed.

つまり、ピンターの政治的な戯曲には、ファンからの敬意は得たが熱は得られなかった2作品、クルド人の弾圧(例えばトルコは「クルド人」という存在自体を認めていない)にインスピレーションを得たMountain Languageと、Party Timeといった作品がある。ピンターは徐々に、政治的信条を問われると苛立ちを示すようになっていたが、あるとき社交の場で、クルド人が拷問を受けているとされることについて怒りをあらわにしていたところ、一同を招いてもてなしている集まりの主催者が、「どんな話にも2つの面がありますわね」と言ってピンターの話をさえぎったときに、「いいや、それは違う、睾丸に電極をつけられているときには、2つの面などありはしない」と言って部屋から出て行ってしまった。

言葉というものに対する、この……何という言葉を使えばよいのだろう、「責任」? 「信頼」? 私にはそれが探せない。それができるほど言葉というものを信用していない。言葉などというものは、人は読みたいようにしか読まない。受け取りたいようにしか受け取らない。使いたいようにしか使わない。

例えば、少数者は常に疎外され差別される側であるという前提で自己をも無邪気にそれに同一化させ、自身は少数者であるとの自認を有する人たちのひとりであるところの人は、「わたし」がその人の述べたことに対して「それは違う」と指摘しただけで(それもまったき「事実」を……「どこそこの国の法律ではこうなっていますが、あなたはどこそこの国の話をするときに、それを前提とせず、日本の状況に置き換えて話をしている」と指摘しただけで)、「わたし」を「少数者を差別する者、その苦しみを搾取する者」と糾弾し、罵るのだから。その人は自分が他者を疎外しているなどという可能性はまるっきり考えもしないのだから。「疎外」とは常に他者によって自分に為される行為であり、自分が他人に為す行為ではないと思っているのだから。(All I can say is just f*** off.)

例えば、グアンタナモに収容されている人たちが「何」であるのかについて、「法的には敵性戦闘員であるので、ジュネーヴ条約は関係ない」と、その「敵性戦闘員」というステータスが誰によってどのような場合に与えられているものなのかを、つまり恣意的に、自分に都合のよいようにそう呼んでいるのだということをまったく思い浮かべもしない(それ以前に、おそらく知らない)人は、「ジュネーヴ条約」を持ち出した「わたし」を「テロリストの共感者、無知な平和主義者」とレッテルを貼り付け、罵るのだから。

言葉によって、何が共有できるというのだろう。

ハロルド・ピンターという人は、おそらく「わたし」以上に、そういうところに立っていた、立ち続けていた人だ。

亡くなるまでその作品に触れずにいて、亡くなった今になって作品を読んでみようなどと思う、というナンセンスは、それをやらかすたびにもういかんなと思いはするのだけれど、時間というものは有限で、接するべき作品を入手するためのお金も有限で、そして頭も有限であり、毎度毎度これを繰り返すことも含めてひとつのあり方、というか this is how things go というか、that's life と思うことにしよう。こうして何らかの「言葉」を与えることで、それは居場所を見つけるのだから。

とりあえず、集英社新書を読み返そうと思う。改めて、ハロルド・ピンターに感謝するために。



ガーディアンのオビチュアリは「演劇人」としてのピンター、という点に重点を置いて構成されている。上に言及したMountain Languageの出てくる部分を少し。
http://www.guardian.co.uk/culture/2008/dec/25/pinter-theatre
First in 1984 came One For The Road: a psychologically complex play about the tortured nature of the torturer and his unresolved craving for respect, admiration and even love. Four years later he wrote Mountain Language: inspired by the Turkish suppression of the Kurdish language but also reflecting Pinter's concern with the restrictions on speech and thought in Thatcher's Britain. In 1991 Pinter pursued the theme in Party Time showing an affluent, smugly insular, high-bourgeois world indifferent to the erosion of civil liberties. But the best of all Pinter's late political plays is Ashes to Ashes (1996): a hauntingly elusive play that starts with a man's nagging enquiries about a woman's lover but that almost imperceptibly opens up to admit Auschwitz, Bosnia and the whole landscape of 20th century atrocity.

One For the Roadについてはウィキペディアに筋書きなどあり。他の作品についてもかなりあります。



ガーディアン、BBC、テレグラフは上にリンクしてあるけど、他のメディアのオビチュアリ。

タイムズ:
December 25, 2008
Times obituary: Harold Pinter
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article5397295.ece
読みたいんですが、タイムズのウェブ版はがちゃがちゃがちゃがちゃとサイドバーがやかましくて気が散ってしょうがないので、プリントアウトしてから読みます。

インディペンデントは見ません(いずれ、ベルファスト・テレグラフで見るんだろうと思いますが)。理由は:
http://www.haroldpinter.org/politics/index.shtml
で、News Flash ....... Letter to The Independent をご覧ください。
02 January 2001
Dear Mr Kelner,

I was invited by The Independent to participate in its feature 'Heroes and Villains 2000'. For my 'Villain' I submitted the following text on December 13:

Villain

Tony Blair

For NATO's 'humanitarian' bombing of Serbia and the sustained murder of thousands of innocent people (mainly children) in Iraq.

My contribution was published on December 26 but the name 'Tony Blair' was omitted. This was done without any reference to me. The text you published read as follows:

Villain

NATO, for their humanitarian bombing of Serbia and the murder of thousands of innocent people (mainly children) in Iraq.

I wrote to your newspaper pointing out that, apart from anything else, the omission of 'Tony Blair' made nonsense of the second part of the sentence. NATO is not bombing Iraq nor is it behind the sanctions. My letter ended with the following question: 'How can the Independent justify this act of censorship?'

The Independent published my letter on December 28 but omitted that question.

つまり、2000年末にインディペンデントに乞われて「今年のヒーローと悪漢」を寄稿した際、ピンターは「悪漢」に「トニー・ブレア:セルビアに対するNATOの『人道的』爆撃について、およびイラクで何千という無辜の人々(主に子供たち)を相変わらず殺害し続けていることについて」と書いたのに、紙面に掲載されたものは「トニー・ブレア」の名前が削除されていて、寄稿者の名前も掲載されず、「NATO、セルビアに対する人道的爆撃について。および、イラクで何千という無辜の人々(主に子供たち)を殺害していることについて」。インディのこの「検閲」によって、ピンターの書いたものは意味を成さなくなってしまった(当時の、イラクに対する爆撃と経済制裁についてはNATOは関係ないので)。それを指摘する投書をすると、インディはそれを掲載したが、投書の末尾にあった「インディペンデントはこの検閲行為をいかにして正当化できるか」という疑問文は削除。つまり、ピンターの書いたものは立て続けに検閲された。

ピンターの手紙文はまだまだ続きますが(クオーテーションマークの削除のこと、インディ編集長の「ミスです」という言い逃れなど)、インディペンデントってほんともうグダグダ。こういうことをしていながら「反戦」とかで売ろうとしているんだから、ひどい新聞だし、ピンターの書いたものをこういうふうに扱った新聞のピンターのオビチュアリーなど見たくもない。

ベルファスト・テレグラフは「信頼」できる新聞だと思いますが(ユニオニストの側、ということをしっかりとアイデンティティにしている、という点で。ガーディアンが労働党の新聞ということをはっきりさせているのと同様です)、インディペンデントはほんとにグダグダなダメ新聞です。



テレグラフのオビチュアリからおもしろいところ。ピンターの演劇に特徴的な、緊張感に満ちた「沈黙」について、Pinteresqueという語が用いられている実例として、こんなものが:
In 1990 the Guardian's World Cup coverage referred to the "Pinteresque silence in Ireland" when the team were on the brink of qualifying

1990年のアイルランドは、「まさかうちがワールドカップとかありえないっしょ」という状態で勝ち進んで出場権を手にしたので、予選の最後の方は独特の緊張感があったらしいです。そういうときにボーダーの北では、ロイヤリストがサッカー観戦中の「カトリック」のパブで銃を乱射、なんてこともあったのですが。



ガーディアンのオビチュアリーを書いているマイケル・ビリントンがピンターにインタビューした本:
Harold PinterHarold Pinter
Michael Billington


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→このほか、戯曲集などはamazon.co.jp での "Harold Pinter" の検索結果一覧

あと、純粋にピンターの作品とはいえないのだけど(ジョン・ファウルズの作品の脚色なので)、映画『フランス軍中尉の女』の脚本がピンター。「劇中劇」で時代物のメロドラマが現代の俳優に重なるという映画で、イングランドの全然「メリー・イングランド」じゃない風景が見られたりも。

B001CT6MI2フランス軍中尉の女 [DVD]
メリル・ストリープ, マイク…ジェレミー・アイアンズ, リンジ―・バクスター, カレル・ライス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2008-09-26

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あと、ピンター脚本の映画は、DVDがないのかな、カフカの例のあれをピンター脚本で映画化した『トライアル――審判』とか(これ見てないんだよね、カイル・マクラクランがどうもダメで)、VHSしかないけど『闇の聖母〜侍女の物語〜』(これも見ていない。かなりすごいストーリーだけど)など。下記が一覧。
http://movie.goo.ne.jp/cast/23529/index.html
http://www.imdb.com/name/nm0056217/

あと、マルセル・プルーストの例のあれを舞台化している(どうやって?)。テレグラフのオビチュアリから:
in 2000, 18 years after he wrote it, his screenplay of Proust's A La Recherche de Temps Perdus was staged as a play at the National Theatre.

※この記事は

2008年12月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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