「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月25日

今日、なぜかロビン・クックの記事が非常によく読まれているらしい。

今しがた、ガーディアンのトップページを見たら、ページ下部のMost viewed on guardian.co.ukのところがこんなふうになっていた。いくらクリスマスで基本的に新聞もお休みとはいえ、なぜ、ロビン・クックの記事が3位に来ているのだろう。



「墓から蘇ったか」という趣味の悪い冗談はさておき、この記事が今ランキングに入るほど読まれている理由がお分かりの方、もしいらしたらコメント欄でお知らせください。おそらく、何か別のところで言及されていて、多くの人がリンクをクリックしているのだろうと思います。(でも何か、今言及したい要素がこの記事にあるのだろうか、という疑問が。)

当該の記事は、2005年のG8サミットのとき、というか同年7月7日のロンドン公共交通機関爆破事件の翌日に書かれたものです。

The struggle against terrorism cannot be won by military means
Robin Cook
guardian.co.uk, Friday 8 July 2005 15.00 BST
http://www.guardian.co.uk/uk/2005/jul/08/july7.development

筆者のロビン・クックはこのおよそ1ヵ月後、2005年8月に山歩き中に心臓発作で急死しています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robin_Cook

※この記事は

2008年12月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:18 | Comment(4) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これかな?
http://is.gd/dm3J
元記事はパキスタンの新聞のようですが..
Posted by nerory at 2008年12月25日 22:22
neroryさん、ありがとうございます。
これは強烈ですね……
redditの元のdaily.pk
http://www.daily.pk/world/europe/8714-there-is-no-al-qaeda-says-ex-uk-foreign-secretary.html
Posted by nofrills at 2008年12月25日 23:11
本文に書き足すのが今面倒なのでコメントで。ワタシ的には「クリスマスでヒマな人たちがいるのだなあ」という気がするばかり。

まず、daily.pkで、2008年12月24日付で「英元外相の発言」として、ロビン・クックの述べたことの引用であるかのように、「アルカイダという名称の組織はない。すべてはアメリカのプロパガンダだ」という(冷戦ジョークの「同志、すべては西側の陰謀です」というオチのような)ことが書かれていますが、ロビン・クックは2005年8月に急死していて、2008年12月に発言することはできません。

daily pkに書かれていることについてですが、RedditにGlampersさんという方の投稿で、
The actual quote is from a French Major called Pierre-Henri Bunel but Robin Cook did repeat this quote in the House, maybe that is where the confusion comes in.
(実際にはこれはフランスのピエール=アンリ・ブネルという軍人の発言で、ロビン・クックは国会でそれを引用している。それが混乱の元ではないか)

what3v3rさんという方の投稿で:
The quote is actually from a 2004 article by Pierre-Henry Bunel, a former agent for French military intelligence:
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=BUN20051120&articleId=1291

Pierre-Henri Bunel
http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre-Henri_Bunel

彼はフランス軍の退役軍人で、2002年にティエリ・メサンという「9-11は米国の陰謀」論者の本に参加しているそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thierry_Meyssan

もうこれでワタシ的には終了でいいとも思うんだけど(忙しいから)、つまり、「アルカイダなどというものはない」といったdaily pkの文章は、「自作自演説」のものと考えるのが妥当でしょう。

で、ロビン・クックがそんなものを国会で引用したというのが本当だとして、なぜそれを引用したのかというコンテクストについて。これは、通常はハンサードを見れば確認できるのだけど、Redditでのポストによるとハンサードには残っていないそうです。それどころか、クックが国会で「アルカイダ」について述べたことも確認できないとのこと。(ただ、ハンサードは議事録ですが、形になる前に編集が入ります。この件とは系統が全然違いますが、ジョン・プレスコットの事例を参照。これはウィキペディアでも調べられると思います。)

ロビン・クックは、イラク戦争には反対したのですが、アフガニスタン爆撃は支持しています。もっと注目すべきは、旧ユーゴスラヴィアに対する「人道的介入」の推進役だったという点、またイラクに対する経済制裁を推進していた点だと私は思います。それは今は直接的には関係ないけど。
http://www.opendemocracy.net/globalization-institutions_government/robincook_2742.jsp

むろん、アルカイダという「緩やかな連合体」は、例えばIRAのような「組織」(IRAは入るときに宣誓をしなければならないし、メンバーが守らねばならない規約もありました)ではないし、それを言うためには、「アルカイダという組織」は存在していないと言ってもいいかもしれない。でもそれは言葉遊びの域に近い。ロビン・クックがどこかで「ひとつの組織としてのアルカイダは存在しない」と述べたことはあったのかもしれませんが(あくまでも「かも」)、それは「すべてはアメリカの筋書き」という意味ではない。
Posted by nofrills at 2008年12月25日 23:59
※ひとつ上のコメントの続き。

なお、daily.pkは、少し見てみたところ、信頼できる (trustable) ソースのようには見えません。多分「新聞」ではなくオンラインだけのニュースサイトで、信用性は担保されていない。

一応、whois情報。
http://whois.domaintools.com/daily.pk
ははは、となりますな、これは。

それと、Redditで何度か、Power of Nightmaresが言及されていますが、これは下記で見られるはずです。(Google videoなどでも見られますが。)
http://www.archive.org/details/ThePowerOfNightmares

2004年にAdam Curtisという人が制作したすごいドキュメンタリーですが、「自作自演説」の話ではありません。プロパガンダというものについての話です。昨年だっけ、今年だっけ、同じくBBCでピーター・テイラーの「テロリズム」についてのドキュメンタリーがあったのですが、それと似た傾向のドキュメンタリー(って、説明になってないかも)。
Posted by nofrills at 2008年12月26日 00:06

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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