「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2008年12月23日

ジェリー・アダムズ、「対話のチャンネルは確保しとくべきです」と提言、「統一アイルランドは私が生きているうちに」とも

説明めんどいのではしょるが、シン・フェインのジェリー・アダムズが「オバマ次期大統領に提言 タリバンと対話のチャンネルを」って言ってるというのでお茶ふいた。

Obama Urged by Sinn Fein Leader Adams to Talk With U.S. Enemies
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601102&sid=a17QA5yqYTi4&refer=uk

ベルファストでのインタビューでアダムズいわく、「アフガニスタンでコミュニケーションのラインがないとすれば非常に驚かざるを得ない。モラル面のことは別として、(北)アイルランドの和平プロセスを見ればどう作用するかがおわかりになるだろう」。

……げふんげふんげふんげふん。

個人的に今年一番の衝撃ニュースのひとつが、トニー・ブレアのNI担当の側近だったジョナサン・パウエルの暴露本なのだが(本そのものはまだ買ってないけど、出版記念特集でガーディアンに掲載されたものだけでも涙目になった)、うーん、あれに書かれていた「コミュニケーションのライン」は、つまりアダムズの言う「アイルランドの和平プロセス」で「テロリストとの対話のチャンネル」を確保しておくことは、ものすごく無茶苦茶なんですけど。

っていうかこれはあれっすか、あのパウエル本にはコメントしないとしていたシン・フェインがようやく口を開いたということでよろしいか。

アダムズの言ってることはつまりこれじゃないか。

18 March 2008
'Back channels do play a role'
Part two of Jonathan Powell's interview with the Guardian's Nick Watt about his book Great Hatred, Little Room: Making Peace in Northern Ireland
http://www.guardian.co.uk/politics/audio/2008/mar/18/watt.powell.part2

この数年で、PLOのアラファトが他界し、リビアのカダフィもすっかり態度が丸くなって、FARCももうボロボロで、ジェリー・アダムズも60歳、いろいろと変化していることはわかるが、この「変化」は、例えばアダムズがムガベのようにならなくてよかったとかいうふうに納得すべきか? (乾いた笑い

あるいは、ほっといても統一アイルランドは実現できるでしょ、という楽観論が根底にある? (まあ50年もすれば人口がね……。)

ブルームバーグの記事は続く。
12月16日の時点で、米国防総省が把握しているところによると、イラクとアフガニスタンでの戦争で死亡した米軍人は4,835人。オバマ次期大統領はイラクから撤退し、アフガニスタンでの戦闘を強化することを公約しているが、アフガニスタンには7,000人の増派を行なうことを計画している。

「4,835人」という数字の唐突さと重さ。北アイルランド紛争で30年間に死んだ人の数が、民間人も武装組織メンバーも軍人も警察官も合わせて3500人ほど、2001年9月11日が3000人くらい。これにイラクで10万人、アフガニスタンで……と考えると、心底げんなりする。そして、そういった「数」の中でも「アメリカ人」をげんなりさせうるのは唯一、「米兵の犠牲者数」だけなのだ、ということも。

話を元に戻す。

アダムズはインタビューで、「アルカイダのための時間はない」と述べ、そして「明らかに、テロリストではなく何が起きているかを把握している人たちがいる。情報を把握している人たちがいる。そういう人たちは、紛争解決のプロセスを何とか形にしようという点で力になってくれる可能性がある」と述べている。

ここで興味深いのは、アダムズが「紛争解決 conflict resolution」と言っていることだ。

北アイルランド紛争の和平プロセスの基本は、「紛争解決」ではなく「紛争転換 conflict transformation」だったはずだ。つまり、「紛争」の原因となっているものをつぶす(紛争を解決する)という方向ではなく、原因となっているものに別の光を当ててそれに別の位置づけを与える(転換する)という方向。

少なくとも、ユニオニスト/ロイヤリストの武装組織に対するアプローチはそれだった。組織解体ではなく、その組織はそのままに、武装活動ではなく「コミュニティ活動」(その中身はまたいろいろありそうだが)を行なっていく、という。そしてそれに対して政府からカネが出ている(peace fund)。北アイルランド自治政府でUDAとUVFの武装解除が未然であることをめぐってがちゃがちゃもめたのは、まさにその点についてのものだったではないか。

リパブリカンのほうでももちろん「転換」という基本はある。詳細は私にはわからないけれども。

先に行く。

アダムズは、北アイルランドと共和国との間により緊密な経済的な関係ができれば、自分が生きている間にアイルランドが再統一するかもしれない、と考えている、という。

北アイルランドはUKの4ネイションの中で3番目に貧しく(え、一番貧しいんじゃなかったのか)、一人当たりのGDPはUK平均を20パーセントも下回っている。一方、アイルランド共和国の経済は外国からの投資と建設ブームで10年間で3倍に膨らんでいるが、今年ついに景気後退局面に入った(のか経済危機なのか)。

そこで「南北の分断にはもはや経済的価値などないということですよ」とアダムズは述べる。(いつものことだが、意味がわからない。^^; ていうかRoIの経済は今かなりやばいでしょう。ブリテンよりはましかもしれないけど。) 「ユニオニストの多くにとっても経済が大きな決定要因になるでしょう」。

そして、シン・フェインと極右と極左が「反対」のキャンペーンを張り、大政党はすべて「賛成」で押していたのに、実際にはレファレンダムでNOの答えが出てフランスもドイツもずっこけた「リスボン条約」については、RoIでは来年にも再度レファレンダムが行なわれるが、それについてのシン・フェインの態度はまだ決めていない、と。

……えー。

まあ、2008年のレファレンダムでのSFの論点は、「リスボン条約など通したらEU内でのアイルランドの発言権が危うくなる」ということだったので(これはEU内の小国すべてにあてはまることではある)、その点で何か動きがあったらしいけど(Cowen also sought assurances that the EU wouldn't interfere with tax rates or impose family planning policies. ←家族計画ってのは、アイルランドは中絶を合法化しないつもりだということだけど)、それにしても、えー。

まあ、アダムズもそんなに大きな期待はかけていないという雰囲気だけれども。

しかし何だ、このインタビュー。

イラクはAwakening Councilに関連して、「宗派間対立」の解消をなんちゃらという話で北アイルランド、正確にはシン・フェインがかなり出ていっている。ただ、北アイルランドでそれが解消されてるのかっていうとしていないのだが。

そういえば、オバマのベルリン演説での適当ぶっこいてみただけの「うそ」、つまり「和平合意後両派の溝は埋まり」云々(versus 実際には和平合意後に建設された「ピースウォール」は、合意前のそれより多い、という事実)について、北アイルランドはどう反応するのだろう。国務長官がヒラリー・「ファーストレディのあたくしがいたからこそNI和平は現実になったのです」・クリントン(←嘘八百@大統領候補を選ぶ予備選)だし、まあ、米国はNIに投資さえしてくれればいい、ということかもしれないけど、今も昔も(おっと)。

で、アフガニスタンについては、すでにジョナサン・パウエル@元外務省官僚が「対話せよ」論を展開しているし、実際、英外務省は(たぶん密かに)「対話」路線をとってきた。ただし2007年末にその窓口となっていた専門家が、アフガニスタン政府によって、国外追放処分になったのだが……。

2008年02月16日 アフガニスタンの「和解」の道を追放された専門家が語る。
http://nofrills.seesaa.net/article/84323984.html

うむー。

一方でアフガニスタンからはこんな報道。

War continues to create ideal conditions for growth
Julian Borger
The Guardian, Monday 22 December 2008
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/22/poppy-farming-helmand-province-afghanistan
There have been mixed signals over whether Nato's International Security Assistance Force (ISAF) should be fighting a counter-narcotics war as well as a counter-insurgency, while the US, which advocates targeting the drug trade, has had run-ins with British forces, which have taken the view that targeting poppy production diverts resources from the war, and creates a pool of angry, under-employed Afghan farmers and labourers for the insurgents to recruit from.

As US forces send more troops into Helmand they are winning greater sway in the argument. A Nato defence ministers' meeting in October gave Nato forces the green light to directly target drug "kingpins" in Afghanistan, if approved by their national governments. But British, European and Afghan officials have so far refused to bow to American pressure for aerial spraying of the poppy fields.

つまり、ヘルマンドなどタリバンの強い地域では情勢が不安定なため、小麦とかを栽培しても市場に運んでいけないから、農家はケシを栽培している。ケシならギャングがその場で買ってくれるからだ。(アフガン全土ではケシ栽培はかなり消えているらしい。)そうやってケシ栽培が野放しになっている状態に対し、米国は例によって「ウォー・オン・なんとか」的な路線、というかコロンビアでやってるか、war on drugsの路線をとろうとしている。一方で英国は、ケシ栽培をターゲットにする余裕はないし、そうやって「ケシ撲滅」とかやると、収入源を失う農民や労働者が怒りを抱いて、タリバンのような組織に加わっていくことになると考えている。現状、米国がヘルマンドに増派し、発言権を大きくしている。

で、「北アイルランド和平」の当事者として、これに何ができるというのだろう。「対話のチャンネルをつぶさないでおくのが得策ですよ」とアドバイスするほかに……。

わけわかんない。

そういえば、Direct Action Against Drugs (DAAD) てのがあったな、NIに。
Direct Action Against Drugs (DAAD)
A (paramilitary) organisation which emerged in 1994 (?) during the then Irish Republican Army (IRA) ceasefire. DAAD claimed the responsibility for killing a number of men whom DAAD alleged were drug dealers. Many commentators in Northern Ireland believed that DAAD was a cover name for the IRA.

http://www.cain.ulst.ac.uk/othelem/organ/dorgan.htm#daad

※この記事は

2008年12月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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