kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月04日

じゃあ何が「証拠」になるのだろう。「事実」はどこにあるのだろう。

刑事訴訟はもはや絶望的になっているオマー爆弾事件は、遺族がReal IRAとその幹部とされる人々を相手取った民事訴訟で、事件の真相を明らかにし、その責任の所在を明らかにしようという取り組みが続いている。

しかし、これがまた一筋縄ではいかない。「どこそこに住んでどういう仕事をしている誰という人物が事件に関わっていることは確実だ」とされてはいるが、その人物が事件に関わっていることは「事実」である、と立証するのはまた別の作業だ。

しかし、4日、判事がその「立証」のためには使えないと判断した本の題名を見て、私は「これがだめなら何があればいいんだろう」という気分になった。

Omagh trial rules out book and newspaper claims
Thursday, 4 December 2008
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/omagh-trial-rules-out-book-and-newspaper-claims-14091755.html
Mr Justice Morgan ruled that claims in Jonathan Powell's memoirs about alleged Real IRA chief Michael McKevitt could not be admitted as evidence unless backed up by an identifiable source.

The judge also refused to allow a newspaper article from the London Independent for the same reasons.

In his book Great Hatred, Little Room Mr Powell refers to McKevitt ....

He is described as the "long-time quartermaster general of the IRA responsible for all their weapons and material", the High Court in Belfast heard.

1847920330Great Hatred, Little Room
Jonathan Powell
Bodley Head 2008-03-20

by G-Tools


つまり、トニー・ブレアのNI政策で右腕(というよりブレーン)だったジョナサン・パウエルの回想録は、それだけでは「証拠」にならない、と判事は判断した。1997年にブレアが首相になって以来、まさに中枢にいたパウエルが、「マイケル・マッケヴィットはReal IRAのリーダーで、Provisional IRAの武器などの統括責任者として長かった」と書いていることは、それだけでは法廷では「事実」として通らない、ということだ。

むしろ、では「事実」とは何なのか、という。

実際、マッケヴィットについてはよくわからないことが多い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_McKevitt

McKevitt was convicted by the Republic of Ireland's non-jury Special Criminal Court on 6 August 2003 of two terrorist offences: "membership of an illegal organisation" (the Real IRA) and "directing terrorism" between August 29, 1999 and October 23, 2000. He was the first person to be convicted of the latter offence, introduced in the aftermath of the Omagh Bombing. The prosecution case was based on the testimony of an American FBI informant, David Rupert. ...

Mr. Justice Richard Johnson said of McKevitt, "[t]he accused played a leading role in the organisation which he directed and induced others to join." On 7 August 2003 he was sentenced to twenty years in prison. ...

McKevitt appealed his convictions to the Court of Criminal Appeal, arguing that Rupert's testimony was unreliable since he had been paid large sums of money for his role as an informant (a total of £750,000 from the FBI and MI5), and because of Rupert's long criminal record. In December 2005, the court rejected these arguments and said that Rupert was a credible witness. Both of McKevitt's convictions were upheld. In July 2006 McKevitt was given leave to appeal to the Supreme Court. The appeal was rejected on 30th July, 2008.

つまり、マッケヴィットは2003年8月6日、アイルランド共和国の無陪審特別刑事法廷(つまり「テロ関連」のための法廷)で、「非合法組織のメンバーシップ」と、1999年8月29日から2000年10月23日の間に「テロリズムを指揮したこと」で有罪となり、翌7日に懲役20年を言い渡された。(この期間に1998年8月15日のオマー爆弾事件が含まれていないことがポイント。)検察側はデイヴィッド・ルパートという男の証言に基づいて立件していたが、ルパートは米国のFBI(と英国のMI5)に金で雇われていたインフォーマントで、犯罪歴もあり、マッケヴィット側はそのことを理由に「ルパートの証言は信頼できる者ではない」として控訴した。しかし2005年12月、ダブリンの法廷はルパートの証言は信頼できるとして控訴を棄却。翌2006年7月にマッケヴィットはさらに上訴したが、今年2008年7月30日、これも棄却された。

なお、内紛があったみたいで、マッケヴィットはReal IRAから追放されていて、今は組織の一員ではなくなっている(が、よくわからない)。

マッケヴィットの家族らは「冤罪」だとしてキャンペーンを続けている。つまり、マッケヴィット夫妻(マイケルと、妻のバーナデット。彼女はボビー・サンズの妹である)がProvisional IRAとシン・フェインの方針に反対し独自に立ち上げた32 CSMは、Real IRAとは関係がない、という主張だ。(あくまでも「主張」だ。なお、RIRAは犯行を認める声明を出しているが、2001年に「我々の関与は最小限であり、計画の中心となったのはMI5のエージェントだ」との声明を出している。)
www.michaelmckevitt.com

オマー爆弾事件のご遺族は、マッケヴィット (Michael McKevitt) のほか、シェイマス・マッケンナ (Seamus McKenna)、リーアム・キャンベル (Liam Campbell)、コルム・マーフィー (Colm Murphy)、シェイマス・デイリー (Seamus Daly) の5人を、オマー爆弾事件で訴えている。

このうち、キャンベル、マーフィー、デイリーと、もう1人別の男は、2000年のジョン・ウェアの調査報道番組で名前が挙げられているが、マッケヴィットの名前はそこでは出てきていない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Omagh_bombing#Responsibility

「マイケル・マッケヴィットはオマー事件に関わっている」ということを立証することには、このような背景がある。

というのが4日朝(日本時間)の段階の話。夜になったら、「別な証人」が現れるという報道が出ていた。

Allegations of IRA killer will be heard in Omagh trial
Thursday, 4 December 2008
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/allegations-of-ira-killer-will-be-heard-in-omagh-trial-14091756.html
Sean O'Callaghan will be called to try to prove claims that he and McKevitt attended a meeting with other senior Provisionals in the mid-1980s to discuss buying deer hunting rifles to kill soldiers and policemen.

うは。ショーン・オキャラハンの名前は昨日も見た。全然関係のない件で。
http://nofrills.seesaa.net/article/110606027.html

確かに彼は a convicted IRA killer なのだが、IRAメンバーとして英治安当局者を殺したのが70年代、その後80年代には既にアイルランド共和国の警察とつながっていて、今は「テロの専門家」としてUUP(ユニオニストの政党)のアドバイザーをしていたりする。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sean_O%27Callaghan

で、ジョナサン・パウエルの書いたものが信用できないというのはそれはそれで納得できるのだが、じゃあ「証拠」として充分なのは誰の証言なのか、ってところで、デイヴィッド・ルパート(FBIとMI5のエージェント)とか、ショーン・オキャラハン(Gardaのエージェント)とかがずらずらと出てくるのが、ああもうあたしにはついていけませんっていうかなんていうか。

しかも、オキャラハンが証言するのは、「1980年代半ばに英軍兵士や警官を狙撃するために鹿狩りの銃を購入するという件につき、Provosの幹部と会った」ということについてだという。……そこか。

ていうか、それで立証されるのは「1980年代半ばにおけるPIRAのメンバーシップ」であって、「1998年のRIRAのメンバーシップ」じゃないじゃん。もうわけわかんない。

でもご遺族側の弁護士がオキャラハンの召喚を求めているということで、何かがあるのだろう。

判事の見解:
Ruling on [O'Callaghan's] admissibility, Mr Justice Morgan said there was no evidential value to his "assumptions" about McKevitt's rise in the IRA after Thomas "Slab" Murphy was allegedly appointed Chief of Staff.

But the judge added: "The remainder of the evidence in my view, if true, might assist the plaintiffs in seeking to prove that Mr McKevitt was a relatively senior member of the Provisional IRA during the mid-1980s.

"That fact, if proved, together with the other facts might contribute to a case that Mr McKevitt held such a senior position until the late 1990s. This may have a bearing on the issue of whether the third named defendant (McKevitt) held a leadership position in the Real IRA at the time of the Omagh bomb, as alleged.

"I consider that the relevance test is passed except for the material by way of supposition about what might have happened when Mr Murphy became Chief of Staff."

正直私にはよくわかんないけど、「1980年代半ばにPIRAでかなり上層部にいたことが事実であれば、このほかの事実も勘案すれば、1990年代終わりにもPIRA上層部にいたということが立証されるかもしれず、そうなればオマー爆弾のときにRIRA指導者の地位にあったことが立証されるかもしれない」。

いやぁ……そんなところより、これでしょ、と部外者としては思うのだけど。

2008年09月21日 「1998年8月15日、GCHQはオマーに車が向かっているのを把握していた」――9月15日、BBC Panorama
http://nofrills.seesaa.net/article/106935567.html

※この記事は

2008年12月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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