Tory councillor quits over IRA links
Tuesday, 2 December 2008
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/tory-councillor-quits-over-ira-links-14089939.html
まず、この「地方議会議員」が議席を持っているのは北アイルランドの外だろうということはすぐにわかるのだが(保守党は現在はNIでは展開していない。もうすぐUUPと一緒になるらしいけど)、わからないのは「保守党」と「IRA」だ。水と油じゃん。
「?」を頭の上に並べつつ記事を読むと……うはあ、陳腐なことを言うが、これはまるで小説だ。(具体的にはスティーヴン・レザーのthe Bombmakerとか。この小説は読ませます。オチは荒唐無稽すぎかもしれないけど。原著は1999年。)
![]() | ロンドン爆破まで九日間 上巻 (ランダムハウス講談社文庫) スティーブン・レザー 田辺 千幸 ランダムハウス講談社 2005-10-15 by G-Tools |
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クロイドンの地方議会議員Maria Gatlandさんは保守党所属で、クロイドンのカウンシルで教育部門(委員会か何かかな)のトップという要職についていたが、今回、1970年代の自身の行動が明らかになり、その要職を辞した。
その「1970年代の自身の行動」というのが、「Provisional IRAとのつながり」だ。
彼女は結婚する前はMaria McGuireという名前だった。ベルテレから:
The Croydon Advertiser reported that Peter Latham, a leader of the local Save Our Schools campaign, referred to her as "Councillor McGuire".
Apologising and suggesting he was a bit mixed-up, Dr Latham added that he was a devotee of Irish history and had been reading a book about the IRA which "you, Councillor Gatland, might have heard about as you are Irish".
According to the newspaper, Ms Gatland has been suspended by the local authority's ruling Conservative group pending an investigation.
"I have resigned. I am not prepared to say anything more at this stage," she told the Advertiser.
つまり、クロイドンの地域新聞の記事によると、パブリック・ミーティングの場でクロイドンの「学校を救え」運動のリーダーが彼女のことを「マクグワイア議員」と呼び、「これは失礼、つい混同しました。いえ、私はアイルランド史が好きで、IRAについての本を読んでいるのですが、IRAといえばガットランド議員もご存知かもしれませんね、アイルランド人でいらっしゃいますから」と述べた。(うは、いくら英国脳の持ち主でもこれはこわい。)
これにより、保守党所属のマリア・ガットランドは、結婚前はマリア・マクグワイアだったということがわかってしまった。
そして、マリア・マクグワイアは1970年代に出版された本、"To Take Arms: My Year With The IRA Provisional" (武器をとること――Provisional IRAと過ごした年)の著者だった。この本は1973年の『タイム』誌にも「内情を綴った本(暴露本)」として紹介された。
インターネットとウェブの時代はすごいやね、『タイム』は古い記事をオンラインで閲覧できるようにしてるんだよね、数秒で簡単に見つかっちゃった。
Gun Moll Tells All
By HP-Time.com;Curt Prendergast Monday, Oct. 08, 1973
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,908028,00.html?iid=chix-sphere
TO TAKE ARMS: MY YEAR WITH THE I.R.A. PROVISIONAL
by MARIA McGUIRE
185 pages. Viking. $6.95.
この記事によると、若き日のマリア・マクグワイアはIRAについてロマンチックな見方をしていて(つまり「抵抗の闘士」ってやつですな)、IRAに入った。IRAにしてみれば「ホットパンツを履いた女の子」が「IRAに入りたい」とかいうんでびっくり、ということだったらしい。(IRAは女性闘士は珍しくはなかったはずだけど。)
彼女は大学を出ていて、数ヶ国語を使えて、美人で、コミュニケーション力もあった。で、大陸でIRAがあれやこれやお買い物をするときに通訳者として活動していたりした。
本を出したとき、マリアは25歳。その1年前にPIRA指導部と袂をわかっていた……ということは1972年か。PIRA成立が1969年、Official IRAとの軋轢もまだすごかったころだし、PIRAが地歩を固め、武器弾薬爆薬の入手ルートを確立しつつあったころを知ってるということで、ついでにいえばたぶん爆弾闘争路線がPIRAで指導的なものになろうとしていた時期だろう。ジャック・ヒギンズの小説でこの辺の話がでてきていたはず。どれか忘れたけど。(『死にゆく者への祈り』か、その後のシリーズの回想シーン。)
大陸に仕入れに行ったときのことがタイムの書籍紹介に出ている。
Dave O'Connell, the Provisional I.R.A.'s political-military swing man, took Maria along as interpreter on an arms-buying trip to Europe. Their mission began as Irish low comedy and ended in fiasco. In Amsterdam their cover was blown, their planeload of Czech bazookas, rocket launchers and hand grenades was impounded, and Maria and Dave lammed out just ahead of the cops.
うは。なんだこの本。探せば見つかっちゃったりするんだろうな。うん、ざくざく見つかる。送料込み17ドルくらいで……1500円か。うん、世の中誘惑がいろいろありますね。
マリアは、当時のIRAのchief of staff, ショーン・マクシュトイファンとはそりが合わなかった。自動車爆弾で通行人が巻き添えになったときにマクシュトイファンが「プロテスタントが死んだからってどうでもいい、連中はどうせbigotsだ」とか言うのに嫌気がさして、マリアはIRAを抜けた。1972年の停戦が短命に終わって、IRAが再度武装闘争に出たとき、つまり1972年7月21日の「ブラッディ・フライデー」のときのことだった。
「ブラディ・フライデー」はベルファストでのIRAの大規模なテロ事件だ。1時間で20の同時多発爆弾で、11人が死亡、100人以上が負傷。マリアはこの事件で「ほとんど初めてと言えるくらいに、爆弾で手足を吹き飛ばされたり夫を失ったりした人たちのこと、永遠に人生を変えられてしまった人たちのことを考えた」。そして英国人のジャーナリストに連絡をとり、一緒にロンドンへ逃げた。護身用に持っていたワルサー7.65は、ロンドンの空港でゴミ箱に捨てた。
「Provisionalの人たちの多くが、私のことを裏切り者だと思っていることはわかっている。けれども私にとって究極の裏切りとは沈黙だ」と書き、PIRAと意見が対立しているのは方法についてであって、目的、つまり「英国人をアイルランドから追い出すこと」では一致している、と主張している。
……げふんげふん。
で、この彼女がなぜ35年後に「保守党」所属でクロイドンのカウンシラーなのだろう。「英国人はアイルランドから出て行く必要はない、なぜなら北アイルランドは英国なのだから」という立場の党に所属しているのだろう。72年までの自分のやってたことを「若気の至り」ととらえて方向転換したんだろうか。
クロイドンの地域新聞のプロフィール記事:
http://www.thisiscroydontoday.co.uk/latestnews/Maria-Gatland-career-profile/article-517060-detail/article.html
Maria Gatland was first elected as councillor for Croham ward in May 2002.
And in the 2006 elections, she won 2,590 of the 4,460 votes cast in her ward and was the top polling candidate in Croham.
She was appointed cabinet member for education in the same year when the Conservatives took control of Croydon Council.
Her membership of other organisations - listed on her council web page - includes City University London.
んー、つい最近か、カウンシラーになったのは。
あ、新しい記事が出てる。インタビューだ。
Gatland: IRA revelations have left my life in tatters
Tuesday, December 02, 2008, 19:33
http://www.thisiscroydontoday.co.uk/latestnews/Gatland-IRA-revelations-left-life-tatters/article-518125-detail/article.html
つまり、ダブリン出身の彼女が北アイルランドでIRAと過ごしたあと、イングランドに渡ったときに支えになってくれた人と結婚したが、彼が1976年に病気で他界、「保守党の政治家」になりたかった彼の遺志を継いで……ということだそうだ。
現時点でのこのクロイドンの新聞のトップページ。真ん中にアンケートのポップアップが飛び込んできちゃってるけど記事タイトルのリンクは生きているんで:
で、この件の政治的なポイントとしては、ミーティングで「学校を救え」運動のリーダーが彼女のことを「マクグワイア議員」と呼ぶまで、保守党は彼女の「過去」に気付いていなかった、ということだ。彼女が黙っていたからなのだが、Abebooksで見ると件の本は出た当時かなり売れた本だそうだし、姓名のうち「名」は変わっていないのだし、つまりこれは保守党地方組織のザルっぷりが露呈されたということだ。(なお、彼女がIRAと深く関わっていたのが悪い、ということではなく、彼女が著書で明言していることが保守党のポリシーと相容れないということが問題。)
それと、ご本人はこの件を「労働党にやられたのかもしれない」というふうに見ているようだけど(上記、クロイドンの新聞のインタビュー)、結婚で姓が変わったことと、それが何十年も前であることに安心しきっていたのかなあ。いずれにせよ本人の口から保守党に伝えておくべきことだったのではないかという気もする。そんなに簡単にはいかないことだとは思うけれども、マクシュトイファンの武装闘争主義に嫌気がさしてIRAを抜け、IRAの暗殺リストに載せられたという事実は、彼女がかつてIRAの協力者だったというものすごいマイナスに対し、プラスにはならないにせよ、さらなるマイナスには作用しなかったのではと思う。
ただ、IRAだけは保守党にとってはほんとに不倶戴天の敵だから……彼女がブライトン・ボムのときには既にとっくに関係なくなっていたという事実も、さして意味は持たなかったかもしれない。
追記:
Slugger:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/a-road-to-croydon-conversion/
Hat tip to Guido Fawkesになってるんだけど、Guidoのブログには見当たらないからtweet経由か何かかなあ。労働党より保守党支持のブロガー界隈がどう反応しているのか、興味はあるけれど、まあ別にいいや。
ともあれ、コメント欄だ。例によってものすごい「ユーモアのセンス」が並んでいてくらくらするのだが、そういうのじゃなく、もうほんと「本場直送」なのがいくつか。
9番目、マーク・マクレガーさんのコメントで、「保守党とつながりを強めるUUPはショーン・オキャラハンとつながっているわけだが」。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sean_O%27Callaghan
ショーン・オキャラハンは、1970年代にIRAの「義勇兵」として2人の英治安当局者を殺していて、でも実はアイルランド共和国警察のインフォーマーで、殺人で服役後出所して告白本を書いて、イングランド在住で、2006年にはゲイバーで知り合った男に縛られてなんちゃらということがあって(真相は私は知らない)、仕事としてはセキュリティ・コンサルタントで、UUPのアドバイザーをすることもあり、IRAが何かでかい声明を出すとメディアに出てくる。
10番目、ローリーさんのコメント。この人のコメントはいつも濃いのだが、これも濃いよ。「マリア・マクグワイアが右翼保守に落ち着いたということは全然意外ではない。元々そういう人物だった。彼女は私に、フランコはスペインに秩序と安定をもたらした素晴らしい人だと言っていた」……えっと、うん。そうなのか。直接知ってるのか。そして、「マリアはスペイン人 (a minor Spanish grandee) と短期間だが結婚していたことがあり、それからインターンメント導入直前にダブリンに戻ってきて、それからPIRAに入った」。インターンメント導入前ということは1971年より前で、ということはスペインはフランコ政権で……うはぁ。これはある意味で非常に伝統的なIRA。左翼のIRA(ソーシャリスト・リパブリック主義)から見ればそうじゃないけど。(IRAってほんっとめんどくさい。)そして、Dave O'Connel(この名前はTimeの記事にも出てくる)とくんでアムステルダムに武器の購入に出かけていって、スキポール空港でオドネルが直感的に危険を感じて急遽プランを変更、ここで今回の記事にあったように警察の摘発があったんですね。でオドネルとマリアが戻ったダブリンではちょうどシン・フェインの党大会があって、2人はそこで歓迎された後に、IRA内部のインクワイアリにかけられ、警察に通じていたのではないかという疑惑を晴らした、と。また、オドネルとマリアはアムスで深い仲になって、それはしばらく続いていたが、その後、マリアはオブザーヴァーの記者、コリン・スミスと恋愛関係に。(記事で「ジャーナリスト」ってあったのはこの人ですね。)そしてスミスと一緒にロンドンに飛び、スミスにいろいろと話をしたのが本になって出版された、と。PIRA内部また支持者をはじめとする人々は、スミスは英国のエージェント(たぶんMI6)だと考えていた、と。当時、オブザーヴァーの者という名目のMI6のエージェントがいたことは記録されているが、それが(コリン・スミスに対するレッテル貼りの)原因である、と。(コリン・スミスってこの人だろうな。アイルランドでも活動していたという記載はあるから。)
それっきりマリアの消息はなかったが、スミスと結婚して幸せに暮らしているのだろうと思っていたところにこのニュース、しかも目立たないようにしているのだろうと思いきや、検索してみたらいろいろと目立つことをしているし、クロイドンの学校教育を「金儲けのため」の私営企業に売り渡すことに汲々としているとは――とローリーさんは書いている。そしてこのあとにまだ少しあるのだけれど、そこはここでは割愛。
このあとぽつりぽつりと、アイルランド共和国がいかに「保守」であるかの話が混じりつつ、「1970年にはフランコはかなり軟化していて、死刑という点ではIRAのほうがよほど強硬派だった」という、冗談ですよねはっはっはと言いたくなるようなコメントもあり(たぶん冗談じゃないと思う)、「Provosのやり方を否定して政治の道をとったんだから別に辞任する必要ないのでは」という意見あり(でもNIでそうするのとイングランドでそうするのとはちょっと違うような気もする。それも保守党だし)、ふむふむと読んでいるとまたどかーんと。
23番目、ベルファスト・ゴンゾさんのコメント。「彼女がProosだったという線で話しているけれど、彼女が関わった取引は失敗してるわけで、可能性としてはIRAを抜けるころは英国のエージェントだったってことも除外できない」という内容で、リンク先がRuairí Ó Brádaighの伝記の192ページ。いや、これはもう、ついていけません……。マリア・マクグワイアの本が1972年という時期にあって「反IRA」のプロパガンダとして大きな役割を果たした、というのは説明されなくてもわかるんですが……というところでコメント欄の26番目、Sluggerでは2ページ目になるんですが、イリアさん(?)も「なるほど」という反応。ただしローリーさんは2ページ目の5番目のコメントで「自分はその説はとらない」と言明。同じ投稿で、Eire Nuaでのソーシャリスト・リパブリックと、マリア・マクグワイア(旧姓)のような保守主義との齟齬について少し。
そして2ページ目の3番目、アナリストさんのコメントで、「マリアの本が出たとき、コナー・クルーズ・オブライエンが『歴史的に重要』と言っていた」。
http://en.wikipedia.org/wiki/Conor_Cruise_O%27Brien
オブライエンはアイルランド共和国の政治家で1970年代の「反IRA」のスピアヘッド的な人。……え、でも40年代にはマクブライドの下で分断反対の陣営にいたのか。
アイルランドって何でこんなに複雑なんだ……ついていけない。この人個人が複雑というのもあるのだけど(UKUPに参加してみたりしてるし、今はLabourだし、結局は「統一アイルランド」で一貫しているし)。でもこの人のエドマンド・バーク論は読んでみたいです。バークはアイルランドから語られるべき人物のひとりだし。
……というわけで、感想を一言でいえば「うはぁ」です。アイルランドはあんなに小さな島なのに、なぜこんなに複雑なんでしょう。(その答えは、CMのあとで!……じゃなくて、常に「他」との関係があるからで、それが「英国とのつながり」であれ「反英」であれ英国だけを基準にしてればまだ「わかりやすい」のだけど、それだって「単純」ではなく……涙目、私には把握できそうにもない。)
※この記事は
2008年12月03日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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