kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月02日

冷戦の遺跡――英国の核シェルターと核のボタン

イングランド、ウィルトシャー北部のコーシャム。風光明媚な地として名高いコッツウォルズの南西の端に位置するこの町のあたりには、地下にもうひとつの「町」がある。深さ100フィート(30メートルくらい)、面積35エーカーほど。碁盤の目状に張り巡らされた道路(車両が走行できる通路)は全長60マイルを超える。

コードネーム「バーリントン Burlington」――1950年代末に建設されたこの「地下都市」は、冷戦期に「ソ連からの核攻撃」を想定して建設された英国政府のための「核シェルター」で、その存在は長く秘密とされてきた。閣僚や官僚など中央政府の人々(最高で4,000人)を3ヵ月まで収容でき、閣議を行なう部屋や電話交換所、放送設備(BBCの)はもちろん、貯水施設と浄水設備、発電施設、病院や食堂、台所、洗濯場、物資保管庫なども完備されていた。

緊急時に政府が置かれることになっていた「バーリントン」は、冷戦終結から13年後の2004年12月にその役目を終えた――貯水施設から水が抜かれ、発電のための燃料タンクから燃料が抜かれ、完全に「遺物」となった。

BBCのサイトにはこの「地下都市」の見取り図やギャラリーがある。(ページ右のサイドバーが目次。)
http://www.bbc.co.uk/wiltshire/content/articles/2005/12/14/burlington_nuclear_bunker_feature.shtml

この「地下都市(だったもの)」を、歴史家のピーター・ヘネシー教授がめぐるオーディオ・スライドショーが、BBCのサイトに出ている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7751912.stm



※基本的に、Playボタンを押すだけで再生。写真のキャプションを見たい人は画面の右下にあるShow Captionsをクリック。

(1:49の、「倉庫に積まれたまま、結局使われることがなかったオフィスチェア」の写真が妙にくる。)

このスライドショーは、12月2日の夜にBBC Radio 4で放送されるラジオ番組、The Human Buttonの予告編的に作られたものだ。
http://www.bbc.co.uk/radio4/factual/pip/fseue/

Radio 4の番組は、放送後7日間はオンラインでいつでも聞けるので(ラジオはUK外からでもサイトで聞ける。テレビはダメだけど)、私も聞いてみようと思っている。

番組案内から:
http://www.bbc.co.uk/radio4/factual/pip/fseue/
Historian Prof Peter Hennessy speaks to the people who have operated Britain's nuclear deterrent over the years and today, including military commanders, politicians and former Vulcan bomber crew members. He visits Northwood, the headquarters from which the order to fire would come today, and Corsham, the secret nuclear bunker which, in the 1960s, would have been the location for an alternative government in the event of all-out war.


スライドショーの解説から:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7751912.stm
The dark and dusty underground complex near Corsham has remained relatively untouched since the height of the Cold War.

But if the crucial moment had come - would ministers have pressed the UK's nuclear button?

Here, historian Professor Peter Hennessy tours the Corsham bunker for Radio 4 - and finds out if the former Labour Defence Secretary Denis Healey, and the late Prime Minister Sir James Callaghan, would have retaliated in the event of a Soviet nuclear attack.

オーディオ・スライドショーには、デニス・ヒーリー元防衛大臣(在1964〜70、ハロルド・ウィルソン内閣)の現在のコメントと、故ジェイムズ・キャラハン元首相(在1976〜79)のコメントが入っている。

キャラハンは「核兵器は単に抑止力として保有していたが、もしも本当に使うほかはないということになっていたならば、私はボタンを押していただろう。しかし、もしそうしていたら、私は死ぬまで、自分で自分を許すことはできなかっただろう」と語っている。

キャラハンは2005年3月に、93歳を目前に死去している。このインタビューは、「バーリントン」がお役御免になった2004年12月から2005年3月の間に収録されたものだろうか……そのへんはラジオ番組を聴かないとわからない。

※この記事は

2008年12月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼