「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年11月27日

4人の警官の死

23日に報じられた北アイルランドで警官4人が一度に死亡した事故について、フォローアップ。前記事:
http://nofrills.seesaa.net/article/110099048.html

事故は午前4時に起き、日が昇ってから撮影された現場検証中の写真(望遠で引っ張ったもの)ではよくわからなかったのだが、車は三菱のマークがついていた。他の記事を見ると、Mitsubishi Shogun Sport vehiclesだそうだ。4人の乗った車は、道路を曲がろうとしたときに何らかの原因でコントロールを失って、道路脇のコンクリートブロックにぶつかって炎上したらしい。路面は特に荒れているというようには見えなかったが、雨(ひょっとしたら氷)でスリップしたのかもしれない。警察車両には航空機と同様のブラックボックスが備え付けられているので、それを解析するとのこと。炎上した車は、焦げた後部がめちゃくちゃに壊れていた。BBC NIの現場レポートが下記に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7745246.stm

で、今はもうURLがわからなくなってしまったのだが、その日の晩のBBC NIの現場からの生中継のニュースでは、現場に2人の政治家が足を運んでインタビューにこたえていた。ひとりはDUP(ユニオニスト)、もうひとりはSDLP(ナショナリスト)だった。

BBC NIのレポートは、4人の警官のうち2人がプロテスタント、2人がカトリックだったことを述べ、それについて彼ら2人の政治家からコメントを取っていた。「ディヴァイドを超えて4人が一緒に仕事をしていたこと」について、いずれの政治家もとても大切なことだというように述べていた。

彼ら4人は全員がMourneの出身で、小さな町だからそこではすべての住民が彼ら4人の誰かと何らかのつながりがあるという。

そんなところで、「北アイルランド紛争」が30年も続いていたし、ひょっとしたらMourneの街自体はそれほど分断されていなかったのかもしれないけれど、その「紛争」の「終わり」を象徴するかのように、警察という組織で、ユニオニストのバックグラウンドの人もナショナリストのバックグラウンドの人も同僚として働いていた、という事実が示される。

一方で、別の記事では「どこそこで爆発物が見つかった」とか「脅迫」とかいうことを伝えていたりもする。

不思議な感覚にとらわれる。なぜあんな狭い場所で、あんな「紛争」が可能だったのだろう。なぜ、こっちでは「コミュニティの分断を超えて」という美しい話が現実で、あっちではその逆なのだろう。なぜ、GFA後に建設されたピースウォールは、GFA前に建設されたそれより多いのだろう。

亡くなった4人のお名前――Kevin Gorman, James Magee, Declan Greene, Kenneth Irvine ... 私でも見ただけでわかる。誰が「カトリック」で誰が「プロテスタント」か。(イングランドで起きた事故ならそんなこと考えもしないだろうけど。)アイルランドに人たちにはもっとわかるだろう。

4人を悼む地域の人たちのことば:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7745617.stm

記事の最後にこういうくだりがある。
The Orange Order expressed its sympathy to the families of the four police officers who lost their lives in the accident.

It said "Constable Kenny Irvine was an active member of the Orange Order and Royal Black Institution in the area and held office in both organisations".


24歳のケヴィン・ゴーマンは地元で知られたスポーツマンで、ゲーリック・フットボールもアソシエーション・フットボールもプレイしていた。

39歳のデクラン・グリーンは2002年に、おじさんとその息子と孫を一度に海難事故で失っている。この海難事故も地域の人たちには大きなショックを与えた。

30歳のケネス・アーヴァインは、まだ幼い子供がいる。地域のオレンジロッジのメンバーで、音楽隊に所属。7月12日のパレードで笛なり太鼓なりパイプなりを担当していたのだろう。

27歳のジェイムズ・マッギーは、「極めて有能」な警官で、仕事熱心で人当たりもよかった、とUUP所属の地方議会議員で地域の警察パートナーシップの長であるデズモンド・パターソンが語る。

北アイルランド警察署長、英政府の北アイルランド担当大臣らのお悔やみの言葉が下記ページに集められている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7744831.stm

マーティン・マクギネスの言葉が、私が解釈の余地を取りすぎなのかもしれないけれども(それがMMであるというだけで)、とても重い。
Martin McGuinness, Northern Ireland deputy first minister

"I would like to pass on my condolences to all the victims' families at this very difficult time.

We have followed too many funerals of friends and loved ones."

「亡くなられた方々全員のご家族にお悔やみ申し上げたい。私たちは、友人や親しい人たちを、あまりにも多く見送ってきた。」

※この記事は

2008年11月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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