「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年11月26日

【本日放送】BS世界のドキュメンタリー「憎しみを越えられるか 〜北アイルランド紛争・対話の旅〜」

今夜放送です。

BS世界のドキュメンタリー
<シリーズ 和解への模索>
憎しみを越えられるか 〜北アイルランド紛争・対話の旅〜
11月26日 水曜 午後9:10〜10:00 
(※この前7:00から天皇杯の試合の中継があるので、天皇杯の試合が延長になったら放送時間が変更になるそうです)
NHK BS1
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081126.html

激しく衝突した北アイルランド紛争。30年にわたる相互テロの応酬で3600人以上が亡くなった。10年前の停戦合意を受けてテロは沈静化したが、双方に残した傷跡はいまだ癒えておらず、日常的な傷害事件や暴動は頻発している。都市ベルファストではいまだ、敵対する地区に足を踏み入れたことのない人がほとんどだ。

憎しみや暴力の連鎖は、どうしたら食い止めることが出来るのか。その答えを探るべく、一つの試みが注目を集めている。敵対する武装組織メンバー、テロの加害者、被害者が集まって、共にアイルランドやスコットランドなどを旅して対話を重ねるプロジェクトが2001年から毎年続けられている。

主催したのはNGOの「グレンクリー」。これまでに7回の対話の旅が行われ、約70人が参加した。参加者はこの旅を通じて、過去の憎しみやわだかまりを克服したいと切実に考えている人たちだ。「争いから離れた自然の中では、対立した者同士が胸にしまい込んだ思いを打ち明け始める」

番組では今年、新たなメンバーで行われる旅に同行取材する。加害被害を問わず紛争によって傷ついた人々は、その傷をどのようにいやそうとしているのか、旅の過程で彼らの何が変わってゆくのか。いまだ紛争の後遺症に悩み、それを乗り越えようともがく人々の現実を見つめる。

原題: 憎しみを越えられるか 〜北アイルランド紛争・対話の旅〜
制作: NHK / NHK情報ネットワーク / 千代田ラフト(日本) 2008年


「グレンクリー」は、グレンクリー平和和解センター Glencree Centre for Peace and Reconciliationのことだと思います。アイルランド共和国大使館の「過去のイベント」(下記)など参照。
http://www.ie.emb-japan.go.jp/The%2050th%20Events%20Page%20Nihongo.htm

BS世界のドキュメンタリーの<シリーズ 和解への模索>では、金曜日にも英国・北アイルランド関連の番組があります。ブレア政権の前にNI和平に取り組んだマイケル・アンクラム関連。

BS世界のドキュメンタリー
<シリーズ 和解への模索>
過激派と交渉する男 〜イスラム社会との対話〜
11月11月28日 金曜 午後9:10〜10:00
NHK BS1
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081128.html

●マイケル・アンクラム(英国保守党政治家 93-97年北アイルランド担当大臣)
IRAとの対立の糸口を探すために、90年代にIRAとの対話を模索した。その経験を生かし、中東との対話の糸口を探したいとハマスやヒズボラの代表との対話を重ねる。「対話により、お互いの誤解に気づき、妥協点が探れる」と語る。

●アラスター・クルック(コンフリクト・フォーラム設立者)
元イギリス情報部員でEU代表にも籍をおいた人物。9.11同時多発テロ以後、西側と中東との対立が激化しているのを受け、04年12月にNGO「コンフリクト・フォーラム」を設立。西側知識人や外交官を中心にフォーラムを開催し、中東社会への正確な理解と、彼らにテロリストというレッテルを貼ることへの危険性を訴える。主にパレスチナとイスラエルの対立の現場で対話の糸口を探ってきた。
イスラエルがレバノン南部を攻撃した際、ヒズボラの代表と話し合うことにより、紛争を短期間に終わらせる道を模索したことなど、過去の事例に則って具体論を語る。

●マーク・ペリー (クルック氏の片腕 アメリカ支部代表)
コンフリクト・フォーラムの米国支部代表。中東との対立が米政権主導で進められていることから、米政権内部に働きかけ、イスラム過激派=テロリストと位置づける議員らの考え方に変化をもたらそうとしている。

原題: A Way Out of the War on Terror
制作: NPO(オランダ) 2008年


マイケル・アンクラムについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Ancram
※末尾のExternal linksも参照。

アンクラムはカトリックで、ジョン・メイジャー政権でのNI担当大臣で、1994年のIRA停戦(とそれに続くUDAなどロイヤリスト武装組織の停戦)の立役者です。歴史に「もしも」を持ち込むのはご法度ですが、メイジャー政権でのこの動きがなかったら、1997年のブレア政権下での「和平」の筋道はつけられていたかどうか、というふうに見ることができます。……とか書きつつ、私も単に表面的に「和平への歩み」についての文章を読んだことがあるだけで、そんなによくは知りませんが。

アラスター・クルック (Alastair Crooke) の「コンフリクト・フォーラム」は下記。
http://conflictsforum.org/

マーク・ペリー (Mark Perry) は上記Conflict Forumのサイトに名前が出ています。

以上、取り急ぎ。

※tfjさん、IDコールでお知らせいただき、ありがとうございました。

※この記事は

2008年11月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼