kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年11月22日

【リトビネンコ事件】「ロンドンでお話ししてもいいんですよ」とルゴボイ。

アレクサンドル・リトビネンコが謎の死を遂げてから2年となろうとする11月22日、英国の警察が「容疑者」と断定しているロシア人のインタビューが、英紙タイムズに出ている。

November 22, 2008
Litvinenko murder suspect Andrei Lugovoy makes peace offer over tea
Tony Halpin in Moscow
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article5209797.ece

今回のタイムズは、「ルゴボイがインタビューに応じた」というより、「ルゴボイが記者を呼び出した」ということらしい(後述)。私が見ている範囲で、前回彼が英国のメディアのインタビューに応じたのは5月のことだ。

2008年05月21日 よりによってCL決勝の日に「ルゴボイのインタビュー」
http://nofrills.seesaa.net/article/97437486.html
※ちなみに「CL決勝」はマンU対チェルシー、会場はモスクワでした。

今回のタイムズのインタビューでは、今ではロシア下院議員となっているアンドレイ・ルゴボイ(英警察が容疑者と断定している人物)だけでなく、リトビネンコがああいうことになったときに彼と一緒にロンドンを訪問していたドミトリ・コフツンも同席している。タイムズの記者によると、ルゴボイのほうからコフツンも一緒にどうですかという申し出があったそうだ。余裕だなあ。

タイムズの記事のURLをクリックすると、ルゴボイの写真が出てくると思う。このストライプを着てOKの人ってなかなかいないよね、という感じのストライプのスーツは、2006年11月の訪英時にロンドンで買ったものだそうだ。余裕だなあ。

ふたりが記者と会ったのは、モスクワのレストラン、「アリストクラット」。彼らがオーナーなんだってさ。で、ルゴボイはコーヒーを頼み、記者とコフツンは紅茶を頼んだ。コフツンは「何も入っていないのを plain and simple tea」と笑みを浮かべて言ったとか。余裕だなあ。

でも、記者の観察によると、ルゴボイは元気だけれども、コフツンはあれ以来どうもイマイチらしい。すっかり老けてしまい、髪は白くなり、顔はしわができてやつれている。記者は、彼がポロニウムに被曝して入院したこと原因だろうということをにおわせている。

Mr Lugovoy, 42, may be in good shape but Mr Kovtun has aged considerably, his cropped hair now grey, his face lined and drawn. He was treated in a Moscow clinic for polonium exposure after Mr Litvinenko's death.


事件後コフツンがひどく体調を崩していたことは過去記事に。

2006年12月08日 【リトビネンコ事件】コフツンが昏睡状態との報道が出て消えた。
http://nofrills.seesaa.net/article/29174520.html

さて、今回のタイムズの記事は、ルゴボイとコフツンが記者を呼び出したことで実現したらしい。コフツンが渡英し、ふたりの汚名を濯ぎたいのだが、ということらしい。

一瞬、意味がわからなかったのだが――コフツンが渡英しても意味ないというか、彼は英当局に手配されてないし事情聴取の対象にもなっていないはず――、コフツンはドイツ警察で手配されていて(ロンドンに入る前に訪れていたハンブルクの前妻の家にトレースを残している)、彼が渡英してもドイツに身柄引き渡しが行なわれないのなら、喜んで英当局に協力しようということらしい。

ルゴボイは、「こちらがコフツンをロンドンに送れば、スコットランド・ヤードにとっては捜査継続に非常に役立つでしょう」と言っている。余裕だなあ。

そして、コフツンの身柄がドイツに引き渡されることがないのなら、またルゴボイが逮捕されないとの確約があれば、ルゴボイがロンドンに行くこともまったくありえないわけではない、という。

……(^^;)

2人ともリトビネンコ殺害には関係していないと主張しており、「この状況からロシアが何か得をするとでも? 何も得ていないのに」と述べている。

つまり、特に何か進展したとかいうことではない。ただ事件から2年という節目に消息がありました、というだけのことかもしれない。

なお、スコットランドヤードはルゴボイのこの提案について「いいかも」という反応。

November 22, 2008
Lugovoy talks plan welcomed by detective
Dominic Kennedy, Investigations Editor
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article5209798.ece

ただしドイツについてはイングランドの法ではどうにもならんので、コフツンの身柄引き渡し云々はわからんよというふう。(だからルゴボイの提案がわけわかんないんだけどね。そんなに捜査協力したいんなら自分がイングランドに行けばいいだけじゃん、コフツンに先に行かせるとかイミフメイ、というのが第一印象だったのだけど。)

この記事でnoteworthyなのは下記ですかね。
Alex Goldfarb, a friend of Litvinenko and co-author with his widow, Marina, of Death of a Dissident, said: "These two people are playing games because they know that their bluff will not be called. They want to create a positive PR effect and make it appear as if they are ready to cooperate with the investigation."


最近、ベレゾフスキーが静かですね。



Google newsで少し関連記事を見てみた。

20日にはモスクワで、アレクサンドル・ネクラーソフのドキュメンタリー映画が上映されたらしい。
Film about Litvinenko to Show in Russia
Nov. 20, 2008
http://www.kommersant.com/p-13613/Alexander_Litvinenko_film/
The documentary film Rebellion: The Litvinenko Case, also known as Poisoned by Polonium: The Litvinenko File, will be shown for the first time in Russia this evening, according to the website arthouse.ru.


11月5日には、リトビネンコの自宅の放射能除去作業が完了したことが報じられていた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7710719.stm

※この記事は

2008年11月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼