kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年11月18日

ある「訃報」――「ネットの匿名性」の向こうに。

英ガーディアンのいわば「グループ・ブログ」であるComment is Free(以下、「CiF」)に、17日付で、1件の訃報記事が投稿されている。投稿者はCiFのエディターであるマット・シートン、つまりCiF運営サイドの人だ。

2006年3月14日にスタートしたCiFは、現在、メインの記事(本文記事)を投稿するライターだけでも600人以上(ガーディアン所属の人もいれば、フリーランスの人もいるし、別の組織・団体などに所属する人もいる)という大規模な「グループ・ブログ」だ。そこに、ユーザー登録さえすれば誰でも投稿できるコメント欄がついていて、コメント欄に投稿している人を含めたら……見当がつかないけれど、数千のオーダーで「投稿者・参加者」がいるだろう。

マット・シートンが伝えている訃報は、そういった非常に多くの「投稿者」のひとりについてのものだ――メインの記事を書くライターではなく、コメント欄での投稿者。CiFでのその人のユーザー名(ハンドル)はLennyStoneさん。

ハンドルという「匿名」に近いかもしれないものを使ってコメント欄に投稿しているだけのひとりの投稿者の訃報を、大手メディアの一部である運営側がこういう形で取り上げるのは、異例のことだ。そう思って、シートンの記事から初めて、いくつか記事やコメントを読んでみた。

実は、LennyStoneというユーザーネームは、私も、パレスチナについての記事のコメント欄でお見かけした記憶がある(一瞬、Leytonstoneと勘違いしたのを覚えている)。この人のコメントはいつも、イスラエル政府のやってきたことに対し非常に批判的で、同時に広い視野を備えたコメントだった。ジューイッシュのイスラエル人のいう「共存」というのはこういうことなのだろう、ということを、平易な書き言葉で、他者との(言葉だけの)討論というコンテクストのなかで、教えてくれた投稿だった。だからシートンの書いた訃報記事を読んでみようと思ったのだが。

In memoriam LennyStone
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/17/lennystone-leonardstehn

この記事でシートンは、LennyStoneは、本名Leonard Stehn(レナード・スターン)さん、「著名な音楽家で、(ロンドンの)ギルドホール音楽・演劇学校(大学)のチェロの教授だった」と書いている。(Leonard Stehnで検索すると、音楽の教授のデータベースのようなものや、現在活動しているチェリストのプロフィールのページなどにその名前があることが容易に確認できる。)

Lenny - real name: Leonard Stehn - was by all accounts a distinguished musician, a professor of cello at the Guildhall School of Music and Drama.


そしてシートンの記事には、彼は「音楽家としては、イスラエル・フィルハーモニックについての記事を読みたいと思います。残念なことに、パレスチナの人たちはこの楽団の演奏は聞けないでしょうが、すばらしい楽団ですよ」と投稿している、とある。

シートンが上記のほかに記事内で取り上げているLennyStoneの投稿は、今年9月4日のセス・フリードマン(エルサレム在住のライター)の本文投稿につけられたものだ。この投稿でLennyStoneは、誰か別の人のコメントへの返信として、次のように書いている。
"There are three main types of posters who attack Israel." You seem to forget (ignore?) those, like myself, whose hearts and minds have always been with Israel, but detest the "nationalist Zionist" political programme, which has contributed little to the country's economic and cultural success, and compromises its security, by placing it forever at odds with its neighbours. A leading spokesman for such as myself is Daniel Barenboim ... tell me what you think of Barenboim - one of the greatest living Israelis, a credit to his people and his country - and I'll know who and what you are.

「イスラエルを攻撃する投稿者には3タイプいる」ですか。でも1種類お忘れですよ(あるいは無視しておられるのかもしれませんが)。私のように、イスラエルを愛しているけれども、その「民族主義的シオニズム」の政策は絶対にいやだという意見です。このおかげで隣国との関係は常に軋轢のあるものとなってしまっていますし、それはイスラエルの経済的、文化的な成功にはほとんど何もプラスになることはなく、安全をゆるがしています。私のような意見の持ち主で先頭に立っているのがダニエル・バレンボイムです。バレンボイムについてあなたがどうお考えか、お聞かせ願いたいですね。今生きているイスラエル人の中で最も偉大な人物の1人であり、イスラエル人とイスラエルの顔といえる人物です。この点でご意見をうかがえれば、あなたについて把握することができますのでよろしくお願いします。


セス・フリードマンの記事は、'Ethnic cleansing by stealth' というタイトルで、ヨルダン川西岸地区をレポートしたものだ。もっと詳しく書くと、Karmel入植地が建設されたためにぼろぼろになっているUmm al-Kheirというベドウィンの村の訪問記だ。イスラエルの入植者のやっていることが、元々そこに住んでいた人たちの間にどういう影響をもたらしているかを具体的に述べ、「イスラエル政府が本気で国を守りたいと考えているとは思えない」という疑問を強く打ち出し、「イスラエルは言っていることとやっていることが全然違う」ということを(改めて)指摘した記事だ。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/04/israelandthepalestinians.humanrights
More than that, they are undermining their own desired goal of a two state solution, since the carving-up of the West Bank to make way for Jewish-only access roads and buffer zones around settlements erodes any chance of a viable Palestinian state being created.


フリードマンは、プロフィールによると、ロンドン北部、ハムステッド・ガーデン・サバーブ(Hampstead Garden Suburb: Golders GreenからEast Finchleyのあたりの高級住宅街……というより、日本人学校がGolders Greenにあったころ、J&J [Jewish and Japanese] Townと呼ばれていたエリアにあるめちゃくちゃ高級な住宅街)で育ち、シティで6年間証券会社で働いた後にイスラエルに移住。2004年から06年にかけてイスラエル国防軍の戦闘部隊で従軍し、除隊後はライターとして活動中。エルサレム在住。つまり「イスラエルのユダヤ人」だ。

彼の記事はいつも息が詰まるほど密度が高くて――自国政府(イスラエル政府)のやっていることにどうしても納得できないというのがコアにあるジューイッシュが、そのフラストレーションを抱えながら、あちこちに出かけていっては(彼でさえ、それは「出かけていく」という行為だ)目撃したことを言葉で綴っている彼の文章は、「外部の者として淡々と綴る」というものにはなりえず、とにもかくにも「なぜ?」というでっかい疑問符があって――こちらにしてみれば「読む」ということが大変な、いっそ「つらい」と言ってしまいたくなるようなものだ。そういうのが毎回投稿される。

それだけに彼の記事には脊髄反射的な反応も少なくない。CiFが「開かれた場」であるがゆえに、彼のCiF記事にはいろいろな「コメント」が投稿され、その中でひときわ声がでかいのが「ユダヤ人でありながら『同胞を支持する』ことを拒む者」に対する実質的罵倒だったりして、1件のそういうコメントに複数の投稿者から波状ツッコミが入っていたりして(あまりによくある風景)、個人的にもそういう声のでかい人がどういう感じなのか直接的に知らないわけではなく(「日本の民主主義は原爆のおかげ」とか、historically inaccurateだってことでも平気で「事実」として書くからね)、つまり彼の記事のコメント欄は、読むと頭が爆発しそうになることがある。

(そうでないこともある。というか、そうでない場合のほうがたぶん多い。でもそれはそれで、みんなで「困ったもんですな」と語り合っているだけで何かをしているような気分になっているのではないかという気分に襲われることもある。別のタブで「カルテットの中東特使」のトニー・ブレアがなんちゃらとかいう記事を開いていたりするからだが。)

LennyStoneは、フリードマンの投稿によくコメントしていた人のひとりだった。コメント欄をざっと見て彼の名前があれば、そこだけでもコメントを読んでおくか、というような感じだった。といっても、最近はフリードマンの投稿自体が文章として洗練され、より濃縮されてきていて、コメント欄まで見ない(見る余裕のない)ことが多かったのだが。

そのフリードマンが、LennyStoneについて書いている。11月17日、冒頭のシートンの記事と同じ日付だ(実際、シートンの記事中に「あとでフリードマンのポストがアップされる」との告知がある)。CiFの編集サイドで、彼についての追悼の特集を企画したのだろう。ひとりの、「匿名」の「コメント投稿者」についての追悼企画を。

A gentleman among commenters
Seth Freedman
guardian.co.uk, Monday November 17 2008 16.30 GMT
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/17/lennystone

「議論は平行線」になる「イスラエル/パレスチナ」のトピックのコメント欄で、相互の共有点を探していこうという取り組みを最も熱心に行なっていたひとりがLennyStoneであった、と彼は書く。そして、彼自身がいかにLennyStoneから多くを教わったかということも(かなり厳しいことも言われたことがあるらしい)。フリードマンとLennyStoneは、フリードマンがイングランドに帰省した(<たぶん)ときに実際に顔をあわせている(パスオーバーのディナーに家族が招待したそうだ)。そしてメールでのやり取りが続いていたが、それが突然途絶えた。絶交されたのかという心配までしていたところに、LennyStoneをよく知るCiF利用者のGingerwaster(ハンドル)から、彼の死を知らされた。先週末のことだったそうだ。

For all that Cif might seem, to the naked eye, simply a collection of faceless commenters hiding behind the shield of pseudonyms and invented personalities, there are chinks in the armour of anonymity that give the lie to such a view.

CiFは、ハンドルと仮想のパーソナリティの影に隠れた顔のないコメント投稿者の集まりにしか見えないかもしれない。しかし、匿名性という鎧にも隙間がある。それを見れば「匿名だから」云々という見方には何も意味がないということがわかる。


フリードマンのこの記事に、Gingerwasterさんがコメントを投稿している

それによると、LennyStoneことレナード・スターンさんは1939年5月3日、米国オレゴン州ユージーンに生まれた。両親ともに音楽家で、お母さんがピアノの先生だったのでまずはピアノを、続いてお父さんにならってクラリネットを始めたが、やがて指揮者を目指すようになり、オーケストラというものを理解するためにチェロの道に進んだ。始めたのは遅かったが上達は早く、ポートランド・シンフォニー(現オレゴン・シンフォニー)でチェロ奏者として活動、故Raphael Spiroらとともに弦楽四重奏の楽団でも演奏した。大学卒業後にニューヨークに移り、フリーの演奏家として成功したが、指揮者への夢は捨てておらず、ピエール・ブーレーズに師事、そしてロンドンのギルドホール・スクールの大学院に進んだ。卒業時にストラヴィンスキーの『春の祭典』でタクトを振ったのは名演奏として記憶されている。その後、ザルツブルクのモーツァルト・フェスティバル、北アイルランド、アムステルダム、香港などでプロの音楽家として活動を重ね、英国の在住許可を取得。ロンドンでは交響楽団のメンバー選考に最後まで残りはしたが選ばれず(外国人だし、いろいろあったみたいです)、1971年にギルドホールでチェロの教師となり、35年間ここで教えた(最後は「学校のアドミニストレーションとのあれこれに疲れた」らしいです)。2008年10月14日、癌による合併症でロンドンにて逝去。



先日来、はてなブックマークのトップページで、Where the Hell is Matt? (2008) というビデオが話題になっている。ずいぶん前からあるビデオだが、今回、高画質で見られるということで改めて話題になったようだ

http://www.youtube.com/watch?v=zlfKdbWwruY&fmt=22 で、フルスクリーンでも充分にきれいな画質で見られるのでぜひ。

MattことMatt Hardingさんはコネチカット出身。オーストラリアのブリスベーンでゲームの開発の仕事をしていたが、あるとき仕事を辞めてアジア放浪の旅に出る。そして旅の仲間に「ちょっと踊ってみろ」とそそのかされ、たまたま思いついただけの(結果的に)「変な踊り」(になってしまったもの)を撮影したビデオをネット上に置いておいたら「おもしろい」と口コミで広がった。その「変な踊り」がストライド・ガムの人たちの目に止まり、同社が資金を出すということで彼はその踊りをひっさげて(?)世界の各地に実際に足を運び、どこぞの砂漠からどこぞの氷の上まで、いろいろな場所で変な踊りをして映像におさまり、それを編集したクリップをYouTubeにポストして話題になり……という次第。2本目で「自分だけが踊っててもなあ」ってことで地元の人たちも混ぜるようになり(そこらへんで子供がぴょこぴょこしていたのかもしれない)、今話題になっている3本目のビデオではその地域の人たちと完全なコラボレーションになっている。ビデオでは1つの場所はほんの数秒しか写らないのだけど、その中にその場所ならではのものが必ず入っていて、そしてマットはいつでも踊っていて、見ているだけで何か楽しくなってくるシリーズだ。→1本目 (2003-04)、2本目 (2005-06)、2本目のアウトテイクス(0:52が笑)、3本目

http://www.wherethehellismatt.com/
http://www.youtube.com/user/mattharding2718
http://en.wikipedia.org/wiki/Matt_Harding

3本目のワンシーン。


IDFの兵士たちも、入植者たちも、ネットで「お前はテロを支持するのか」って難癖つけている人たちも、マットみたいに踊り出したらいいのに、と本気で思うほど私は夢想家ではないけれども、それでも、マットのビデオを見ているとちょっとだけ、そんなことを思ったりもする。

4622070944バレンボイム/サイード 音楽と社会
A・グゼリミアン
みすず書房 2004-07-20

by G-Tools


4773808101占領ノート― 一ユダヤ人が見たパレスチナの生活
益岡 賢
現代企画室 2008-11

by G-Tools




ちなみに、Comment is Freeとは、1872年から1929年にマンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)の編集長を務めたCharles Prestwich Scottの言葉、"Comment is free, but facts are sacred."(「意見は自由である。しかし事実は神聖である」)から取られたもの。「言うのはタダ」といった意味ではない。(掛詞にはしているのかもしれないけど。)

※この記事は

2008年11月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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