1972年1月30日、 20歳でアートスクールの学生だったマーゴ・ハーキンはその場にいた。そして、帰宅して見たテレビで報道されていたことと、自分が自分の目で見たことのあまりの違いにショックを受け、映画制作の道に進むことを決意した――北アイルランド映画祭のために来日しているマーゴ・ハーキン監督は、9日の上映後の質疑応答のときにそう語った。
「デリー・ダイアリー ブラディ・サンデーのその後」 Bloody Sunday - A Derry Diary
2007年、マーゴ・ハーキン監督・制作
http://www.niff.jp/films-derry.htm
http://www.imdb.com/title/tt0938609/
この映画は、事件から26年も経過した1998年に開始された「サヴィル・インクワイアリ」を追ったものだ。「サヴィル・インクワイアリ」とは、1997 年に成立した労働党ブレア政権下で実現した「ブラディ・サンデー事件」の真相究明ための公式なインクワイアリ(調査)である。膨大な数の証人から聞き取りが6年間にわたって行なわれ、2004年に調査の段階は終了したが、当初確か2006年8月には出るとの予定だった最終報告書は遅れており、いまだに出ていない。
このインクワイアリを実現させるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。……
それから約9ヶ月が経過した。
今ごろは、サヴィル・インクワイアリの最終報告書が出ているはずだった。
出ているはずだった……
Year's delay for Saville report
Page last updated at 21:41 GMT, Wednesday, 5 November 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/foyle_and_west/7711536.stm
orz ...
今年2月の北アイルランド映画祭で東京にいらしていたマーゴ・ハーキンさんは、作品上映時のトークで、「英国のマスコミはこのインクワイアリについていくら費用がかかっているだの、どのくらいの時間が費やされているだのということを繰り返しています」とおっしゃっていた。それがまた、長引くのだ。
証言量が膨大すぎるのと、事件が昔すぎるのと、撃たれた人の数が多すぎるのとで、整合性のある最終報告書が形にならないのだろうと私は認識している。そして、その元々の原因は、事件直後のウィジャリー・レポートの雑さにあったのだということも認識している。
それでもしかし、orz ...
※もうちょっとマトモなことは改めて書きたいと思います。とりあえず、メモ兼ご閲覧のみなさまへのお知らせ(アップデート)として。
記事クリップ:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Bloody%20Sunday/
※この記事は
2008年11月08日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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