「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年11月07日

「英国のテロ」と「外国人」についての調べもの(ほんの少し)

「留学生」についての英国のイミグレ(内務省)の「規制強化」に関するエントリ@11月6日の続き。このエントリの末尾から少し:
http://nofrills.seesaa.net/article/109199426.html
上記のような、いわば「経済的脅威としての(EU内・EU域外からの)イミグラント」というストーリーに、内務省独自の(といってよいと思いますが)「国家安全保障上の脅威としてのイミグラント」というのが重ねあわされているところに、「学生」の存在があります。

日本での「テロ対策強化のための『外国人』の指紋押捺義務化」について、「日本で『テロ』と呼ばれうるものを実行したのは、地下鉄サリンであれ爆弾であれ、日本人だったのに」という反論が即座に可能であるのと少し似ていますが、英国の「テロ」で「外国人」によるものは――私も全部を見ているわけではないので正確に断言できるわけではありませんが――、多いわけではありません。

でも、近年のhigh profileな「テロ事件」で「外国人」が実行犯である事件というのはあり、さらに「英国を拠点とする外国人が米国で計画」といったケースもあります。


というわけで、その件についての調べもののまとめです。といってもゆるい調べものです(統計数値などは参照していません)。

まず、「英国におけるテロ」の代表格として、1970年代から2000年代の、Provisional IRAおよびReal IRAなど北アイルランドの武装組織の攻撃ですが、これらは実行犯は基本的に「北アイルランドの人」だし(北アイルランドに生まれた人の場合は、基本的に、パスポート上「英国人」で、同時に「アイルランド人」でもあるかもしれない)、最初に爆弾闘争に打って出た時期のPIRAのリーダー(ショーン・マクシュトイファン)は、出自としてはイングランドの人です。(ついでに言うと、彼のルーツは「アイルランドのカトリック」でさえない。イングランド人とアイルランドのプロテスタントの間に生まれたんですから。)なお、現状、ブリテン島における彼らリパブリカンの攻撃は2001年、Real IRAのイーリング爆弾テロ、およびバーミンガム爆弾テロ未遂が最後です。(このほかに「爆発物が見つかった」などといったものはあるかもしれません。)

2001年9月11日後は、英国の「テロ」事件(無罪含む)には次のようなものがあります。■(黒い四角)をつけたのが「外国人」によるもの、□(白い四角)をつけたのが「英国人」によるもの。(ここで「英国人」とは、「UKのボーダーで外国人としてのパスポートコントロールを受けない人」と考えます。こう考えるとEUパスポート保持者も「英国人」になっちゃうんですが、ゆるい調べものなのでご容赦ください。)


■2003年1月の「リシン」事件→2005年4月に無罪判決
ロンドン北部のフラットを借りていたアルジェリア人の「セル」がリシンを製造していた、として逮捕・起訴。裁判で客観的に立証できず(そうとう無茶苦茶な「証拠」だったようです)、無罪。
ロンドンからイラクへ、そしてアフガニスタンのアルカイダの潜伏場所へと伸びている「リシン・ネットワーク」があるという主張は、裁判で退けられた。しかし英国政府筋は、この事件を結ぶに当たって、従前どおりの「ロンドンからイラクへ、そしてアフガンへのネットワーク」という主張を繰り返し、それをニュースに流したのである。
「アルカイダのリシン・テロ計画」という神話を解体する@2007年09月09日


□2005年7月7日のロンドン地下鉄・バス同時爆破テロ→実行犯含め56人死亡、700人ほどが負傷。
この事件は、結局何がどうだったのかということをフォローしきれる関心を持ち続けている人が少ないようで(私も含めて)、英語版ウィキペディアですら中途半端な記述になっていて「まとめ」がやりづらいのですが、実行犯4人は「外国人」ではなく「英国人」のイスラム過激派 (British Islamist extremists) で、4人中3人はパキスタン系英国人、1人はジャマイカ生まれで幼少期に家族とともにイングランドに移住した英国人(英国滞在年数から考えて英国籍保持と考えられる)。つまり、極右の言葉遣いをしない限りは、彼らは「外国人」とはいえない。

■2005年7月21日のロンドン地下鉄爆破テロ(装置が起爆せず、未遂)→実行犯・関連する人々を逮捕、公判中。実行犯は既に有罪、関連して逮捕起訴されたうち何人かは無罪。
実行犯で高飛びした先のイタリアで身柄を拘束されたオスマン・フセインはエチオピア出身で英国籍保持(結婚による)。爆破未遂の翌日、ブラジル人の男性が、彼と間違われてロンドン地下鉄で射殺された。ほか、ヤシン・オマールはソマリア出身で子供のころに家族が英国に難民として受け入れられ、2000年に無期限在留許可。ラムジ・モハメッドはソマリア出身でソマリア国籍らしい。ムクタル・イブラヒムはエチオピアからの独立戦争の時期のエリトリア出身で英国市民権保持。もうひとり、実行前に警察に出頭した男は、バックグラウンドがよくわからないのだけど(もっと調べればわかる)ガーナ国籍らしい(彼は法廷でガーナの言葉を使っているとか)。(この事件は「英国人」も関わっているけれど、「外国人」の割合が高いので黒い四角で表示します。)

□2006年8月発覚のヒースロー発航空機爆破未遂計画→そんな計画が実際にあったのかなかったのか不明、という法的判断
容疑者として逮捕され起訴された25人のうち、「航空機爆破計画」としての意味のある裁判に至ったのは8人で、「航空機爆破共謀」について1人はまったくの無罪、7人は陪審が評決に至らず。新聞報道では「3人有罪」と書かれたが、この3人が有罪になったのは「不特定の人々の殺害」で、航空機爆破計画の存在の有無は不明。8人のうち1人はまったく無罪なのでのぞいて、7人とも英国人(2人は改宗者)。

■2006年11月のアレクサンドル・リトビネンコ事件→英当局がロシア人を容疑者に特定したところで外交上の問題が絡んで膠着。
これは、捜査当局が言っている通りの事件だったとしても、イミグレがどうのこうのとは関係がない。

□2007年6月29日のロンドン自動車爆弾未遂→ほんとによくわからない事件ですね、これは。
翌日の事件(グラスゴー)の実行犯の関与が指摘されているが、ロンドンでの事件で逮捕された人たち(インド人の医師ら2人か3人)は濡れ衣だったことが判明。

なお、この事件の背後には、米国での爆破テロを計画し実行しようとしていたとして有罪になり、現在英国の刑務所にいるディレン・バロットの存在(少なくとも彼の作った39ページの爆発物メモの存在)が指摘されている。バロットは1971年インド生まれで、1歳のときにケニアで仕事をしていた両親とともに英国に渡っているので英国市民権があるはず。20歳のときにイスラム教に改宗。2000年8月に学生ヴィザで渡米し、2001年4月まで滞在、この間に「ターゲット」の調査を行なったとか。

□2007年6月30日のグラスゴウ空港自動車爆弾未遂→実行犯その場で逮捕。公判中。
2人の実行犯のうち、現場でやけどを負って病院に送られたカフィール・アハメッド(ほぼ1ヵ月後、2007年8月2日に死亡)はインド生まれ、サウジアラビア育ちのムスリムで、英国には大学院生として滞在していた(He was an engineer who was studying for a PhD in computational fluid dynamics.)。もう1人のビラル・アブドゥラはイラク系英国人で、お父さんが医者で、2004年にバクダードで医師免許取得、2006年に英国で医師登録し、グラスゴウの地域の総合病院で外来担当医として勤務。

……という感じです。これらのほか、いちいち調べなかったのですが、極右勢力メンバーないし元メンバーによる爆弾製造計画(らしきもの)などがニュースで報じられています。極右勢力に加入しているかどうか今ちょっとわからないのですが、極右な考え方(移民排斥論)の人による商店攻撃やタクシー運転手襲撃もありました。これらは「ヘイト・クライム」なのか「テロリズム」なのか、定義がよくわからないのですが、「ヘイト・クライム」として扱われると思います。

ホームオフィスがまもなく始める「ナショナルIDカード」は、こういったこと(「英国人」による「テロ」)を「対処すべきこと」と位置付けて計画されたものです。そしてそれが「先行」のかたちでまずは「外国人」に適用され、次には、今日あたり報道されていますが、空港職員に適用されます。そうして対象を拡大し、ほどなく「全国民」に適用されることになっています。

ところでしばらく前に、MI5が「テロの懸念」について資料をリークしたか取材に答えたかした記事をガーディアンで読んだのですが、そこで「脅威」として位置付けられていたのは北アイルランドの武装組織でした。もちろん、Provisional IRAではなく、「非主流派リパブリカン」と呼ばれる、組織の体をなしているのかいないのか、報道の範囲ではよくわからない勢力(Real IRA, INLA, Continuity IRAなど)ですが。そして実際、彼らはイングランドにこそ来ていないようだけれど、NIではあちこちで彼らのものとみられる爆弾(爆発物)が処理されています。

ということで。

※この記事は

2008年11月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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