http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_jemillais/index.html
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_jemillais/exhi.html
入ったのは平日の午後3時すぎという時間帯だったのですが、かなり混んでました。今見てみたら、しばらく前から、Bunkamuraミュージアムのサイトに「混雑状況についてのお知らせ」が出ていますね。やっぱ混んでるんだ……というわけで、何かゆっくり見たい作品がある方は、閉館30分前に入場が締め切られたあとの時間帯で見たいものをゆっくり見られるように計算してお出かけになられるのがよろしいかと思います。全体的に、空間に比べて絵が多くて大きくて、ぎっちり展示されているという感じでした。これはスペース的な制約なので仕方がないのですが、見たいものを見るには、思っているより時間がかかります。
会場では、入り口すぐの「展覧会の主旨」とか「館長のご挨拶」などが掲示されているところで出展作品の目録のプリントが無料配布されているので、それをもらっておくといいと思います。このプリントで「オフィーリア」に描きこまれている花や植物の「意味」が解説されているし、展覧会全体の展示の方法が現代的というか「テーマ別」になっているので、展示をそのまま見てるだけではいつの作品かをつかみづらいし(ミレイのように時期ごとにいろいろな画風のある画家では、この展示方法は若干つらい)。ただし「ラファエル前派」の前期時代のもの(ジョン・ラスキン夫人とのロマンスの頃までのもの)は別立て、という扱いになっています。
展示は、次のようなカテゴリになっていました。
1. ラファエル前派 Pre-Raphaelitism
2. 物語と新しい風俗 Romance and Modern Genre
3. 唯美主義 Aesthecism
4. 大いなる伝統 The Grand Tradition
5. ファンシー・ピクチャー Fancy Pictures
6. 上流階級の肖像 Society Portraits
7. スコットランド風景 Scottish Landscapes
ロンドンのテイトのサイトで、それぞれの作品の図版も見られます。各ルーム番号をクリックしてください。(ただし、テイトでは出ていたけれども日本には巡回していない作品もあります。日本には来ていてもロンドンでは出ていなかった作品もあるみたいです。)
http://www.tate.org.uk/britain/exhibitions/millais/rooms/
下記はテイトでの図録。
Millais Heather Birchall Tate Gallery Pubn 2008-02 by G-Tools |
→このほかの、John Everett Millais の画集など。下記は日本語訳のある研究書。
ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち (「知の再発見」双書) Laurence Des Cars 村上 尚子 創元社 2001-03 by G-Tools |
Bunkamuraでは、2番のコーナーの展示スペースの横にビデオのブースがあり、「オフィーリア」についての8分間の解説ビデオ(テイト・ブリテンのキュレーター、Alison Smithさんによるもの。製作はオランダのゴッホ美術館……この回顧展がロンドンの次に巡回した美術館)が上映されています。字幕だとうまく表現できていなかったのですが、verse, prose, paintingというそれぞれのかたちでの「オフィーリアの悲劇」の表現についてのくだりが特に興味深かったです。それと、当時植物の研究をしていた先生が、この絵の前で学生にレクチャーしていたとか(この絵を使って講義することを思いついたこの先生、「俺ってあったまいいな」と思ったに違いありません。ミレイは複数の季節にまたがってこの絵の背景を描いていたので、実際にはその時期には見られないはずの植物がここでまとめて見られるし)。また、ミレイの年表はこのビデオのブースの壁に貼られています。この壁にはダンテ・アリギエリに扮したミレイの写真のパネルもありました。
それぞれのコーナーの展示作品について。
1. ラファエル前派 Pre-Raphaelitism
このコーナーは展示にわりと余裕があり、見やすいです。
最初の作品は、10歳のときの石膏デッサン(天才少年と呼ばれたころのもの)。次がPRB (Pre-Raphaelite Brotherhood) 結成後の小品、「ヴァン・ダイクの工房にいるチャールズ一世とその息子」(1849年)ですが、これは若干アカデミック……というより単に絵が上手いんだな、たぶん。ついつい記憶の中のロセッティの作品(「技術なんか必要ない、描きたいことさえあれば」主義)と比べてしまうのだけど。この小品と同じ板に貼り付けられているのがやはり小品で、「少女の死を悼む画家」(1847年ごろ)。これはPRB的な変な空間。
ここで壁が終わって、角のところに「両親の家のキリストのための習作」が2点(いずれもペン画)、その横に「両親の家のキリスト」(1849-50年)。この作品は私は何度か見ているのですが、習作と並べて3点を見比べるとおもしろいです。聖ヨハネの描き方で試行錯誤してたこととか、当初は鳩の数が多かったこととか。キリスト教に関する図像学が頭に入ってればもっといろいろ見えたかもしれないのですが、私の残念な頭ではイマイチ……。完成作品の空間はPRBの流儀で歪んでいます。特に右側、聖ヨハネと聖ヤコブの向こう側がやばいです。目が回ります。
ここで部屋の反対側の壁に渡ると、小品が数点。初めて見るものがけっこうあるのですが、プレートを見るとテイトが持ってる作品だったり(ふだんは展示されてないのかも)。紙にペンの「マティルダ女王の墓の掘り出し」(1849年)はゴシックの絵画に倣ったものであることは一目瞭然ですが、人の表情などはブリューゲルなどの感じもあったり。
その次の「民を数える男爵」(1850年)は、中世の様子をさらさらっとペンと水彩で描いてみました、という感じですが、絵の脇の解説ボードに「男爵が手にしている名簿にはホルマン・ハント、コリンソン、ロセッティの名前がある」とあるのでよく見てみたら、うはは……PRBの中でこういうジョークが流行っていたそうです。互いに絵のモデルになってたり兄弟を引っ張り出してきてモデルにしてたりもしますが。
この並びには、オクスフォードの名士でミレイのパトロンになっていたジェイムズ・ワイアット (James Wyatt: 1774-1853) とその家族を描いた水彩画と油彩画。ワイアットは「オクスフォードの町で額縁製作と美術品売買をしており、ブレナム・パレスのマールバラ公のコレクションの管理者でもあった。1842年から43年はオクスフォード市長。ミレイとは1846年に出会い、パトロンになった」とのこと(手元のメモより)。彼と孫を描いた水彩画では、孫が手に持っているのはゴリウォグ人形かな。
で、これら微笑ましいような家族の肖像画で、ミレイは背景にラファエルやレオナルド・ダヴィンチの複製画を描きこんでこれらの巨匠をくさしていたりするんですが、お父さんの代から「革命家」だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとは対照的に、ミレイの場合はこういう「巨匠への反抗」は、ほんとに「若気の至り」。というか、元々がメインストリームのアカデミックな画家であるはずのミレイが、PRBでの理念や経験を通して自分のものとした「細部へのまなざし」と「物語のありかた」が、後年どのように展開されていくか、というのがこの展覧会で見るべきポイントのひとつ。
そのあと「木こりの娘」(1850-51年)、「マリアナ」(1850-51年)など、この時期の有名な作品があります。「聖アグネス祭前夜」が2点ありますが(ミレイはこの題材は何点も描いています。60年代のが画集に載ってたりするはず)、最初のが1837年のテニスンの詩を題材としたもの(これは個人蔵だからゆっくり見ておいたほうがいいです。ペンに淡彩の小品ですがすばらしい空間表現)、次のが1820年のキーツの詩を題材としたものだそうです。
この次が「オフィーリア」(1851-52年)。この細密描写は、ミレイのその後の作品からは消えていくものです。展示では、「オフィーリア」の油彩の前に「オフィーリアのための習作」(1852年)がありますが、これは背景を描いた後でバスタブにモデルのエリザベス・シダルを寝転ばせて描いたもの(そしてバスタブのお湯を温める火が消えてしまい、シダルがひどい風邪を引いてしまった)。完成した油彩画と見比べるとおもしろいのですが、「オフィーリア」は混雑する作品だという配慮からか、習作と完成作が離れてて、見比べるのは大変。(^^;) 習作から完成作に行くのはまだしも、完成作から習作に戻れない。習作では、柳の木の上にネズミか何かがいましたが、完成作で画面左にいるコマドリは習作にはいません。あと、習作では「髪」の存在感が大きい。これは単にペン画だからかもしれません。表情も違います。完成作でのオフィーリアのあの表情、どこにも焦点の合っていないあの表情は、この習作には見られません。
なお、上述したビデオの解説を聞いてからこの絵に戻って解説ボードを読んで絵を見るなどすると、さらにおもしろいと思います。
「ラファエル前派」のカテゴリでの展示はここまでです。ここに「イザベラ」(1849年)、せめてその習作があれば……みたいな感じ。
2. 物語と新しい風俗 Romance and Modern Genre
いきなり「エフィー・ラスキン」(1853年)の鉛筆画! お茶ふきました。あとはこのころにスコットランドに旅行したときのおもしろいスケッチ(左図など)が続きます。(ただしジョン・ラスキンの肖像画はありません。これもすごい絵なんですけど。)ミレイは当時、身長182センチ、体重57キロと長身痩躯で、周囲から痩せすぎをネタにされていたらしいです。
壁が変わって、大画面の、ドラマチックな油彩画が続きます。ここでおもしろかったのは、「1746年の放免令」(1852-53年)。ミレイの油彩と、サミュエル・カズンズ (Samuel Cousins: 1801-87) の版画が並べて展示されています。当時、名画を版画にしたものが現代で言う「複製画」的なものとして広く好まれていたのですが(もちろん、本の挿絵にするための版画化の作業というのも大量にあったのですが)、カズンズはそういう版画の名手で、ミレイは自分の絵の版画化を彼にやってもらっていたとのこと。犬の背中の感じなど、見事な版画でした。なお、この作品で、ジャコバイトの反乱に参加して囚われていた夫を解放する命令書を持って、赤ん坊を抱いて決然と立っている女性のモデルは、ラスキン夫人ことエフィ・ラスキン(後のミレイ夫人)がつとめています。
で、ここまではだいたい年代別の展示なのですが、ここから年代無視が徐々に始まります。1862年の次は1854年、その次は1864年の本の挿絵(8点)、次が1853年、1856年、1858年……という感じです。
「信じてほしい」(1862年)は当時 "problem pictures" と呼ばれていたジャンルの作品で、父親が娘に、お前の持っているその手紙を見せなさいと迫る、というもの。ヴィクトリア朝ですなあ。人物2人の背後にあるテーブルの上のもの(クロッカスの鉢植え、鉢の文様、白磁のティーカップ、銀の器など)にも何か意味がありそうな気がしますが、解説ボードではスルーされていましたのでわかりません。
「ため息の橋」(1858年)は、当時社会問題化していたこと――身ごもってはならない子供を身ごもった、娼婦ではない女性の投身自殺――がテーマで、ロンドンのウォータールー橋のところに立ち尽くす女性を描いたもので、エッチング。エッチングはこのほかにもこのカテゴリで1点、別のカテゴリで1点出ていました。
1864年の本「神のたとえ」の挿絵は、スコットランドの風景を使って描かれたものだそうです。これはもっとゆっくり見たかったのですが、私が通るときは常に別の人たちがゆっくり見ていて(みな考えることは同じ……)、閉館間際では時間切れになりました。小品で8点なので、かなり時間かかります。本の挿絵では、日本の郡山市美術館が持っている書籍がガラスケースで展示されていました。2点。キリストの生涯を綴った本と、テニスンの詩集です。(後者は図版で見たことがあります。)
3. 唯美主義 Aesthecism
ここは大きな壁にずらっと、5点の大作です。1858年の「休息の谷」。これは、印刷ではうまく見えない細密描写がすばらしいです。芝生とか土とか、木々が重なっているところとか。キリスト教的な「休息」の空気感というか。
1872年の「ああ、かようにも甘く、長く楽しい夢は、無残に破られるべきもの――トマス・ムーア『ララ・ルーク』より」は個人蔵です。めったに見られません。ベラスケス流で肖像画で何かをやろうとしている、という印象でしたが。
あとは、1863-65年の「エステル」、1859年の「アリス・グレイの肖像」、1868年の「姉妹」(自分の娘たちを描いたもの)です。年代ばらばらです。描き方も全然違います。特に「姉妹」あたりでは、これらは「唯美主義」なのか、という疑問もちょっと残ります。このカテゴリに当然入ってよさそうな「秋の葉」とか「花嫁の付き添い」などがないことで、欠落感は否めません。そういえばリヴァプール、マンチェスター、バーミンガムのテイトではない美術館にある作品が東京ではひとつも出ていない(ロンドンのはテイトだけでなく複数の美術館から出ている)。あと、ロイド・ウェバーのコレクションのも東京には来ていません。許可が下りなかったのかな。
4. 大いなる伝統 The Grand Tradition
油彩画7点。10歳くらいで「神童」、20歳くらいで「反抗的な若い画家 (PRB)」だったミレイが、「グランドマスター」みたいな画風で……というカテゴリのようです。「お手本」がジオットとかではなく、ベラスケスとかティツィアーノとかです。仮にPRBがなかったとしたら、ミレイという画家はきっとこういう絵ばかりを残し、同時代的名声は博しただろうけれど、20世紀末とか21世紀初頭には忘れられていたかもしれない、と思います。
展示順に、1870年の「遊歴の騎士」(下村観山の模写でも知られている作品で、しょっちゅう日本で見るので日本にあるのかと思うほど。前回は2003年に芸大で見たのか)、1869-70年の「ローリーの少年時代」(いい絵ですよね、これ)、1874年の「北西航路」(なんか典型的すぎておもしろみはないけど発見はある)、1886年の「どうかご慈悲を! 1572年のサン・バルテルミの虐殺」(もろにベラスケスっぽい)、1894-95年の「しゃべってくれ!」(フューズリかと)、同じく1894-95年の「聖ステパノ」(これすごかった。右側に、見えるか見えないかくらいに暗く描きこまれているのとか)、1871年ごろの「夢遊病の女」……最後の「夢遊病の女」以外はテイトのコレクションです。
5. ファンシー・ピクチャー Fancy Pictures
「子供」を「かわいらしい子供」として描いた、まさにヴィクトリアン的な価値観そのものの作品など。確かにかわいらしいし、絵としての完成度はすごいし、目の前にあればじっくり見るんですが、見終わった後に特に何も残らないという、予算かけた商業主義のアクション映画みたいな一連の作品群と、なぜここに展示されているのかよくわからない、コスチュームものの作品群。
作品は、展示順に、1863年、1865年、1877年、1883年、1868年、1889年、1882年、1888年、1894-95年、1876年という感じ。これの前のカテゴリでも明白でしたが、1890年代(晩年)のはかなり異質です。
子供を描いた作品はいずれもかなり有名なものでしたが、例の石鹸の宣伝ポスターは来ていませんでした。
子供以外のでは、「使徒」(1894-95年)。もう「王道」そのものなのですが(サージェントの肖像画みたいな感じ)、これはよかった。この作品のモデルは、ロード・レイトンの有名な作品でもモデルをつとめたマリー(マリア)なんとかさんというイタリア系の女性だそうです。
6. 上流階級の肖像 Society Portraits
1870年代と80年代の作品が11点。エッチングの「何を考えているのか A Penny for her Thoughts」(1878年)が「肖像」というカテゴリに入っているのが、何かよくわかりませんでした。解説ボードにも「解釈は見た人に任せる物語性」とか「バッスル・スタイルのドレスがどうのこうの」とあり、それはこの展覧会では「物語」のカテゴリに入る流れでは、という気が。
これのほかは、まったくの肖像画が10点。ミレイの子供やミレイの自画像もありますが、ほかは堂々たる方々の「どうだ!」系のポートレイトばかりで、ご婦人の豪華なドレスでオナカイッパイです……。1872-73年の「ビショフスハイム夫人」は、銀行家夫人でオーストリア出身のユダヤ人。解説ボードに「ミレイにポートレイトを描いてもらうことは、権力ある【原文ママ】ユダヤ人たちが英国の社交界に浸透していく上でも大きな意味を持っていた」とありました。
「エヴェリーン・テナント」(1874年)は暗い背景に赤が浮き出て緑が乗っているというあでやかな作品でした。計算が行き届いているというか。
ロンドンでの展覧会ではカーライル肖像とテニスン肖像が出ていたとのことで、特にテニスンのが見たかったのですが、来てませんでした。残念。あと、グラッドストンとディズレイリも、ロンドンでは出ていたそうです。
なお、これらの肖像画に多用されている背景の色(茶色を変化させたもの)はベラスケスの絵から発想されたもので、当時の流行だった、と、ある作品の解説ボードにありました。一つ前のカテゴリの「使徒」も同様の流れでの着想かもしれません。(この画家は、こういう要素が大きくあるから、「テーマ別」より「年代別」のほうがむしろ見やすいと思うのですが。フレデリック・レイトンとかロセッティとかバーン・ジョーンズなら「テーマ別」は見やすいだろうなと思います。)
7. スコットランド風景 Scottish Landscapes
個人的にはこれがこの展覧会の目玉。1870年から92年にかけてミレイがスコットランドで描いた21点の大画面風景画のうち、5点が来ていました(ロンドンでは12点)。それぞれに傾向も技法も異なっていて、大変に幅が広い。ひとりの画家の風景画が5点あって、それでいて退屈しないというのは、自分的には初めてかも。でも展示スペースに「やっつけ」感が漂っていたのは残念すぎる。
ここはだいたい年代順の展示になっています。最初が1873年の「ヨーロッパカラマツ『孤独な森の静寂』――ワーズワスの詩より」。基本的に細密描写系だと思いますが、すごい速い感じ。筆のあとをたどっていたらちょっと目が回りました。画家は静寂のなかに何かを見て、それをとらえている、というか。
次が「月、まさにのぼりぬ、されどいまだ夜ならず――バイロンの詩より」(1890年。題名はバイロンのChilde Harold's Pilgrimageから)。この絵を描いたころのミレイは、注文に応じて「かわいらしい子供」とか「上流階級の肖像」を描いていたということを考え合わせると……ミレイは決して「他人に評価などされずとも、わが道を行く」という画家ではなく、ロイヤル・アカデミーの会長になるような画家であり、「サー」で、上流階級やアッパーミドルの名士が肖像画を注文するような一流のメインストリームの画家でした。でもスコットランドに行っては、ターナーめいた茫洋とした作品を描いている。そして「現代の生活というのは疲れるものです」的な内容のチャイルド・ハロルドから題名をとる。とても英国的な芸術家だなあと思います。
3点目が、「吹きすさぶ風に立ちはだかる力の塔――テニスンの詩より」(1878-79年)。これはテニスンの「ウェリントン公の詩に捧ぐ Ode on the Death of the Duke of Wellington」から取られたタイトルで、まさにこの言葉を視覚化したような作品。ある種「英雄」的な、「ロマン主義」的な作品です。
4点目が今回の自分的ハイライト、「霧にぬれたハリエニシダ」(1889-90年)。非常に残念なことに、展示スペースの問題で、この絵を充分に離れて見ることのできる空間がなかったので(なんてこと!)、図版で見ていたほどのひんやりとした静謐な空気感は体感できませんでした。展示を普通に見ていくと、最初にかなり近い距離で画面を目にすることになり、そのまま何となく眺めて出口に行く人が多かったみたいですが(ここまででオナカイッパイになってるし、そうなるだろうなあという展示の仕方でした)、これはもったいない。反対側の壁(そこにも絵があるのだけど)まで下がって見ると、露に濡れた林が浮かび上がる。それから近づいてみると、ある距離まで寄ったところで突然「絵」が分解されて意味をなさなくなる(「絵の具の点」になる)。そこで再び距離をとると、背の高い針葉樹(だと思う)の下草というか雑草(furzeではなく、その前にある茶色く枯れたもの)が浮かび上がり、空気が漂ってくる。すっごい洗練されています。この絵で足を止めている人はみんな、同じように「前進、後退、前進、ギリギリまで近づいて細部を見る、後退……」をやってておもしろかったです。この作品もテニスンの詩にインスピレーションを得たものだとか。
最後は「穏やかな天気」(1891-92年)。隣がすごすぎてまるで印象に残っていません。もったいなかったかも。
ロンドンでの展覧会では出ていた雪景色のものが東京ではなかったのが残念です。この人の風景画の「白」は見てみたい。
以上。展示室の出口のところには、ミレイのパレットと絵筆が展示されていました。ロンドンのテイト・ブリテンにある銅像で持っているものかもしれません。
入り口のボードによると、ミレイの回顧展は死後すぐに行なわれたもの以来1世紀以上ぶりとのことです。
■ジョン・エヴァレット・ミレイ (1829-1896) について:
ウィキペディアのエントリ:
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Everett_Millais
1911年版ブリタニカ百科事典のエントリ:
http://www.1911encyclopedia.org/Sir_John_Everett_Millais
the Victorian Webのミレイについての目次:
http://www.usp.nus.edu.sg/landow/victorian/painting/millais/index.html
訃報記事、オビチュアリ:
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9907E1DC1E3AE533A25757C1A96E9C94679ED7CF
http://www.artrenewal.org/articles/2002/Millais/obituary.asp
複製画かなにかの業者さんのサイトに図版48点:http://www.2searchart.com/artist.php?articleid=261
今回の回顧展に出ていた作品がけっこうたくさんあります。(あくまでもオンラインで見る簡易な図版集としてのリンクです。この業者さんがいいかどうかはわかりませんのであしからず。)
この回顧展がロンドンで始まったときのリンクいろいろ@当ブログ過去記事:
http://nofrills.seesaa.net/article/57290428.html
↑このときにガーディアンが「展覧会の目玉」(米国にあるので英国では初の展示)と書いていたPeace Concludedは、東京には来てませんでしたね。
※この記事は
2008年10月23日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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Dust covered painting in attic found to be a masterpiece
Last Updated: 5:14PM GMT 23 Nov 2008
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/3507130/Dust-covered-painting-in-attic-found-to-be-a-masterpiece.html
制作年は正確には不明だが、裏面に画家の署名あり、エフィは20代半ばで、耳の脇で両手を組んで頬杖をついている姿を横顔で描いた洗練された作品(うはあ、これは本物を見たい)。エフィが組み合わせた手で左手の薬指を隠しているのも味わい深い。
1972年に美術商のジェレミー・マースが売りに出した作品が、35年以上経って、いきなり見つかったもので、現在45歳の女性が9歳のお誕生日にもらった絵をしまいこんだまま忘れていて、家を売ろうとしたときに、別の品物(アンティークのテーブル)の鑑定を頼まれてその女性の家を訪れたオークショニアが、偶然「ミレイの作品」を発見したらしい。すごすぎる。
発見時、絵は壁に立てかけられた状態でほこりまみれになっていて、オークショニアがほこりを払ってみたらこんなのが出てきてびっくり、だったそうです。