「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2008年10月22日

映画Hunger、あと一回上映があります。

Hunger例の「17分間ワンカット」のシーンで、断片的にしか聞き取れない北アイルランド訛りの英語でのボビー・サンズと神父のやり取りを聞きながら、少なくとも一度は「狂っている」と心の中でつぶやいてました。そうやってアウトプットが言語化できたので、予想よりはるかに楽に見ることができました。事前に映像クリップなどを見て「これは大画面ではきつい」と思っていたのだけど、きついことはきつかったにせよ、予想していたほどでは……。

21日、東京国際映画祭の「ワールドシネマ」部門で上映されたスティーヴ・マックイーンの長編映画第一作、『ハンガー Hunger』を見てきました。夜7時過ぎからの上映で、120席ほどの小さなシアターは、8割以上は埋まっていたような感じ。今年2月の「北アイルランド映画祭」よりさらに若い世代が多いという印象(それはおそらく時間帯のせい)。英国での封切りが10月31日なので一足早く、20日のロンドン16日のベルファストでのプレミア上映とだいたい同じタイミングで見られたことになります。

あと一度だけ、今週金曜日に上映されるので、見逃したくない方はぜひ。
  10月24日(金) 11:20〜12:56(開場11:00)
  TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen5
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=169
※今日の午後9時まで、チケットぴあで前売りが買えるはずです。

映画そのものについては、すごく長くなるので、別のエントリにしますが……ひとつだけ。

字幕は、もし今後劇場公開やDVD化の予定があるなら、何とかしてほしい……北アイルランド関連は用語が大変であることは重々承知しているのだけれども(the Republican movementとか、それどころかRepublicanですら、「わかりづらい」ので)、あれはちょっといくらなんでも、という点が。

例えば、ボビー・サンズと神父が対話する例の「17分の長回し」のシーンで、神父が「君たちは闘争を続ければいい」というような内容のこと(うろ覚え)を言う場面で――ここ、全然聞き取れなかったから字幕を見たのですが、「テロをするのも自由だ」というように、「テロ」という語が使われていたんですね。でも、リパブリカン運動のサポーターである神父が、IRAのやっていることについて、誰かの言葉の引用以外で、IRAの「義勇兵」との真摯な会話で、「テロ」という言葉を使うことは、ありえない。IRAのやっていることについてこの言葉を使うのは、「敵」の用語法であるか、少なくとも、IRAを支持しない立場の用語法です。

映画の脚本は当然、そこはすごく丁寧にやってあって、この映画で「テロリズム terrorism」という言葉が、IRA側の人物の言葉として出てくるのは、サンズが「political terroristsって連中は言うよね」というようなこと(うろ覚え)を神父との会話で述べるときだけです。

ストーリーの根幹、というか映画の作り手のメッセージを伝えるために最も重要な部分で、「テロ」という用語がしれっと出てきたことには、心底ガックリ。同じ映画で、There's no such things as political violence, political murder ... っていうサッチャーのスピーチが使われていて、ボビー・サンズらの闘争はそれに対する闘争――「ポリティカル」を認めない英国政府に対する闘争である、というのが映画のコアなのに、IRAのサポがIRAについて「テロ」という用語を使うなんて……ないないないない。

で、私はこの「テロ」の箇所で字幕見るのやめました。3割くらいしか聞き取れないんだけど(ベルファスト訛り、早口、会話がリアルすぎて音声が聞こえづらい箇所がある、などなどで)、この「テロ」の使い方があまりに無神経すぎて腹立たしくて。スティーヴ・マックイーン監督がどれだけ綿密な取材をし、どれだけ神経を使ってこの作品を仕上げたか、ということをインタビューなどで知っているだけに。

日本の観客のための「説明」として単純明快な「テロ」という言葉が必要だったのかもしれないと後から思いはしたのだけど、それでも「闘争 struggle」というIRAの用語を使うなどすべき。実際には神父はその用語を使っていなかったかもしれないけど(これはマルクス主義の用語で、カトリック教会がIRAのそういう要素について微妙な態度だったこともまた事実なのだけど)、サッチャー政権側、もしくはUDAやUVFやDUPやUUP側の用語である「テロ」よりは、IRA側に近いので。

それと、刑務所の職員の指に「UDA」と刺青されているのが大写しになるシーンで、字幕が、あろうことか、「反カトリック」……orz

これじゃあ「字幕」じゃなくて「訳注」だ、と内心でツッコミ入れたのは、120席あまりのあの劇場で私だけじゃなかったと思います。「UDA」が何の注釈もなくわかる人がそんなにたくさんいるとは思わないけれど、それでもせめて「プロテスタント」で。北アイルランドが「カトリック対プロテスタントの対立」だったことくらい、お金払ってこの映画を見に来る観客は知っていると前提してよいのでは。

ってかこれは北アイルランド関係で何か書いてる側がもっと書くべきなのかも。「北アイルランドといえば」でIRAしか連想されない状況を変えるために。(書いたって「ニーズがない」から読まれないんだけどね……「反政府武装組織」は熟語化しているけれど、UDAのように「実は政府側の非合法武装組織」については熟語化しそうなフレーズすらないし。)

で、自分的には、日本語字幕はいらんから英語字幕つけてほしい、と心から思った次第です。これで気が散ったのも、映画を予想してたよりも楽に見ることができた一因かも。日本語字幕のクレジットは確か岡田先生でしたが、記憶違いかも。

※この記事は

2008年10月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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