この1981年のハンストを描いた映画、Hungerが、今年のカンヌでカメラドール(新人賞)をとったことは、今年の5月に書いた通り。
http://nofrills.seesaa.net/article/97989526.html
Hungerは、1999年にターナー賞を受賞したアーティストであるスティーヴ・マクイーン(同姓同名の映画俳優とは無関係)による長編映画第一作で(詳細は、7月のエントリを参照。少しスクロールダウンしてください)、音楽はベルファスト出身のデイヴィッド・ホルムズが担当しています。
「劇映画」だが、「台詞」らしい台詞はほとんどないし、音楽もごく控えめ――音楽担当に決まったデイヴィッド・ホルムズが監督に「この映画に音楽は不要だと思う」と意見したほどだそうです。
……って、だらだらと周辺情報を書かざるを得ないのは、ちょっと見たこの映画のクリップを私がどう消化してよいのかもわからず、どうすれば伝えられるのかがわからないからなのだけど、そういうことはすっ飛ばして、事務的に先に進みます。
この映画が、今年の東京国際映画祭で上映されます(WORLD CINEMA部門)。
日程は:
10月21日(火) 19:20〜20:56(開場19:00)
Bunkamura ル・シネマ2
10月24日(金) 11:20〜12:56(開場11:00)
TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen5
詳細は:
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=169
同映画祭のWORLD CINEMA部門は、日本でのロードショーが決まっていない作品が上映される部門なので、これを逃したら次にいつ見られるかわからないかも(ただし、映画祭のラインナップが決まったあとにロードショーが決定している可能性もあります)。
クリップを見たりする限り、後々まで引きずるようなめちゃくちゃ重たい作品であることは確実なので、その点をご考慮のうえ、どうぞ。(←日本語になってないよ。)
――以上、いつも読んでくださっているという方からメールをいただいたことに基づいて書きました。
ところで、この映画、英国でも10月に封切とのことで、Buzzle.comにレビューが出ているのを先日読みましたので、それについても。
Hunger: Bobby Sands in Agony on film
By Dominic Ambrose
Published: 9/25/2008
http://www.buzzle.com/articles/hunger-bobby-sands-in-agony-on-film.html
このレビューの内容を下記に(概要。【 】内は私の補記):
英国のスティーヴ・マクイーン監督による『ハンガー』は、1981年のIRA【とINLA】による「ダーティ」プロテストの期間中、メイズ刑務所の中はどうなっていたのかを描く映画だ。カメラは、壁に排泄物が塗りたくられた房内に入り、尿が溜まった廊下を通り、サディスティックな看守が囚人たちに振り下ろす警棒の下に潜り込む。看守が囚人の髪や髭を強制的に刈り――鋏が頭皮や肉を切り取ってもお構いなしで――、カメラはクローズアップでとらえる。
この暴力は一方から一方へのみ向かうものではない。ひとりの看守は、老人ホームにいる母親を訪ねているときに暗殺される。看守の脳が母親の膝の上に吹き飛ばされ、母親は何が起きたのかわからず、遠くを見やる。
この暴力描写は受け入れるのが難しいものだ。それも意図的にそう作られたものだ。マクイーン監督は、当時の恐怖を、こんにちの観客に、視覚的に、また感覚的に伝えようとしている。1981年のこのハンスト以来、あまりに多くの惨劇があり、歴史的変化が起こり、私たちはともすれば、これほどまでに多くの人々が体験した苦しみを、忘却してしまいかねない。この映画は、この時代の暴虐を、「ほら、これを見てみろ」というように直截的に提示することに、非常に成功している。……このあとしばらく、映画技法についての説明の部分を割愛……
マクイーン監督は、映画をほとんどまったくの無音(台詞なし)で始め、それからだんだんとプレッシャーが高まって、突然ことばがあふれ出すというように作りたかった、と述べている。最終的にはいくらか修正しているが、始めの30分ほどは言葉はほとんど出てこない。そして、沈黙に近い状態が、刑務所の礼拝堂での人々の会話の声で破られる――礼拝堂ではカトリックの神父がミサを行なっているが、神父の形式的なことばはほとんど聞き取れない。カメラが後ろに引き、大勢の政治犯たちが、まるでカクテルパーティか何かのように盛んに話に興じているさまをとらえる。孤立した房を越えてコミュニケーションをとることができるのは、このときだけなのだ。
……ちょっと中断。
私は、人間から――とりわけ「アイルランド人」から、「ことばを奪う」ということがどういうことなのか、頭では想像できるけれども、実際にどうなのかというと想像もつきません。この映画についてのレビューをカンヌのときに何点か読んで一番「きた」のは、実はそのことであり、それゆえにこの映画を見るのがとても怖い。「ことば」というものについての自分のあり方の上に、しばらく回復不能なダメージを受けるのではないかという恐怖があります。それでもこの映画は、「お仕事」としてとかではなく、とにかく見なければならないと思っています(仕事として、というか義務感で見るとかいう映画じゃないことは、既に明らかです)。クリップを見るたびに「ムリだこれ、見たら頭が麻痺してしまう」とか思うのですが、そうやって少しずつクリップを見て慣らしていこうか、と。
そしていざ実際に見たら、奔流のように言葉を吐き出さないと、やっていられないくらいの映画だろうと思っています。あるいは逆に、しばらくまったく沈黙してしまうか。飲食することもふつうにはできなくなるかもしれない(というのは、私はハンストで死んだ彼らの写真を見たことがあるので)。少なくとも、当分はジェリー・アダムズの写真は見たくなくなると思います。(^^;)
……戻ります。
このレビューには、非常に的確なことばがあります。
It is a highly effective scene, illustrating beautifully the paradox of profanity, humanity and religious mission at the basis of the IRA movement.
つまり、「IRA運動の根底には、神への不敬と人間性と宗教上の使命というパラドックスがある。映画のこのシーンはそれを見事に描いている」。
ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』にも明確に描かれていましたが、アイルランドのリパブリカン運動(昔のIRAも、近年のIRAも、その分派も含め)には、「カトリック教会」の存在は大きなものでした。(「南」の26州がアイルランド自由国となったあとの教会の動きは、なんと言うかその、なのですが。)同時に、リパブリカン・ムーヴメントの多くの部分は「社会主義」の運動であり、つまり宗教の否定でもある。しかしまた同時に、リパブリカン・ムーヴメントは「ナショナリズム(民族主義)」の運動であり、「ひとつの民族としてのわれわれ」をつないでいるのはカトリックの信仰である。
その境目をめぐる考察というのもいろいろとあるのですが(それこそ、ガチの左翼でアイルランド系英国人であるテリー・イーグルトンの「お笑いアイルランド史」、正式な邦題でいう『とびきり可笑しなアイルランド百科』にも見られる)、それを「主義主張」や「信仰」からではなく、「人間」から描くというのは、とても重要な取り組みだと思います。ただ私には、それが「解読」できるかどうかはわからない。「信仰」というものを、私はたぶん共有していないから(いわゆる「葬式仏教徒」なので、自分が「生きる意味」を宗教に求めるということが、感覚的に理解できない)。
……戻ります。
この作品のような映画はいくつもの疑問を引き起こす。最も明らかな疑問は「何のために」で始まるものだろう。何のために彼らはIRAに入ったのか、何のために彼らは刑務所内でこれほど粘り強く戦ったのか、何のために彼らはこれほどまでに非人道的な扱いを受けたのか。そして、何のためにこの話を今さら持ち出すのか。
インタビューでも、マクイーン監督は、これらの質問に対し直接の回答はしていないが、彼はあの時代の悲劇は、人間が人間であるがゆえのものだと考えているようだ。……大きく略……ストーリー構築の上で監督は何かを判断するという方向付けはしていない、と述べている。しかしながら、この映画でボビー・サンズが英雄として描かれていることは否定しようがない。これゆえに、2008年10月に英国で封切られるときには、この映画は大変な論議を引き起こすであろう。
幸いにも日本は「英国での論議」とは直接的に関係しません。IRAについて、またIRAの「武装闘争/テロ」について直接の体験もかかわりも持たないがゆえの「無知」というものはあって、それが原因の「ノイズ」はあるかもしれないけれども、ボビー・サンズだというだけで「英雄」か「テロリスト」かのいずれかである、と決める必要はありません。それゆえに、ある意味「無心に」受け止めることができるのではないか、と思います。
……また戻ります。映画がどういうふうに展開するかについての、多少「ネタバレ」的な記述をはさんでその後の部分。
映画は、サンズの身体的な苦痛を時間を追って描くばかりではない。監督はこの状況によって暴き出された知的なジレンマを描こうともしている。つまり、20世紀の西欧で起きている中世的な宗教戦争という、時代錯誤の存在を。監督は、決定的な場面を使うことでそれに成功している。ハンガーストライキがまさに始まろうとしているときに刑務所を訪問した神父とサンズとの間で交わされる会話のシーンだ。サンズは囚人たちの選択を正しいものだと主張し、神父がそれに反対する立場を取るという17分にわたるこのシーンで、監督は長回しを使い、矛盾も逆説も何もかもすべて、そのままカプセルに閉じ込めようとしている。
サラエボ映画祭でこの作品が上映されたとき、17分の長回しを可能にした技術的な面についても、それを成り立たせている2人の俳優の才能についても、多くの人々が語りたがった。しかしながら、このシーンを成功させているのは、それがいかに効果的にメッセージを伝えているか、である。
このレビューを書いた人は、このシーンについてあまり肯定的な評価をしていません。何しろ複雑で矛盾に満ちた宗教的な論争が17分も展開されるのですから、「わかりづらい」ものだろうと思います。しかも、アルスター訛りで。(そもそも聞き取れないかもしれない。)
ちなみに、サンズを演じているのはミヒャエル/マイケル・ファスベンダー(ドイツ生まれ、アイルランド育ちで、2004年にウエストミンスターのガンパウダー・プロットのテレビ映画でガイ・フォークス役、2006年には1921年のアングロ・アイリッシュ条約についての舞台でマイケル・コリンズ役、あと映画『300』とか)。
神父はリーアム・カニンガム(アイルランドの渋い俳優。『麦の穂をゆらす風』でデイミアン・オドノヴァンの最大の「同志」だったダン、『プルートで朝食を』でクラブ出禁で放り出されたキティたちを連れて森に行き、夜空の「冥王星」を指し示したバイカー、など)。
……レビューに戻ります。
欠点はあるが、この映画は力強く印象的な作品である。歴史というものは決して真に解決されるものではない、ということを思い出させてくれる。これは北アイルランドを遠く越えて伝わっている。2008年8月にサラエヴォ映画祭で上演されたとき、神父を演じたリーアム・カニンガムがボスニアの観客と話をし、アイルランドの状況とボスニアの「紛争 troubles」とのパラレルについて言及した。マクイーン監督もまた、メイズ刑務所での残忍な行為と、イラク占領から生じた刑務所での残忍な行為とのパラレルについて示唆的なことを述べている。これは、英国の歴史においてはある時代の話であるかもしれない。しかしある意味では、人間性の悲劇についての話である。一方の集団がもう一方の集団に対し、文明社会のルールを超越したかたちで、支配権を有したときにどうなるか、ということについての。
『ハンガー』は、この痛々しい時代を扱った芸術作品として重要なものだ。この作品によって、あの時代についての新たな、より冷静な議論がなされるようになることを願いたい。この映画は非常に明確に疑問を提示している。この作品には疑問だけで回答がないというのであれば、それは、そもそも回答などというものがまだないからだ。これは、いまだ書かれている途中の歴史である。それも、非常な苦痛を伴いつつ、1ページごとにゆっくりと書き進められている歴史の。
関連記事は「北アイルランド、映画」のタグ↓でクリップしています。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Northern%20Ireland/film/
東京国際映画祭関連でもうひとつ。
マイク・リー監督の最新作、Happy-Go-Luckyも、Hungerと同じ部門で上映されます。
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=165
こちらの上映は、21日(火)13:40〜15:38にBunkamura ル・シネマ2、25日(土)11:00 - 12:58にTOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen5です。
「マイク・リーだから公開されるだろう」というのは必ずしも当たらないので(Topsy Turvyが日本未公開、ギルバート&サリヴァンについての映画なのに)、これは見ておきたいと思います。
Happy-Go-Luckyについては、在ブライトンのブレイディみかこさんのブログに。
http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/51212310.html
あと、「アジアの風」部門で、パレスチナのラシード・マシャラーウィの作品が何本も上映されます。この人の映画は、私は何年か前のアラブ映画祭でWaitingを見ていますが、すっごくいいです。
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/title.php?lcat=3
これもすごそう……「私のマーロンとブランド」
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=109
イスタンブールの少女が北部イラクの恋人に会うため国境を越える。トルコ、イラク、イラン、クルディスタンをめぐる道程は困難をきわめていく…。ユーモアと緊迫が交差する実話ストーリー。
※クルドについての映画は、「ユーモア」の黒さがツボるとすごかったりしますよね。
※この記事は
2008年10月16日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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