kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年10月16日

アイルランド共和国におけるINLAの活動と、刑務所のチャンバーポット

これはブログのエントリにする必要はないのかもしれないけれども、たぶんまったく知られていないといってもいいことに関連していると思うのでエントリにしておく。

アイルランド共和国(南のほう)に、Portlaoiseという都市がある(発音は「ポートリーシャ」または「ポートリーシュ」みたいな感じ)。そこに、Portlaoise Prisonという刑務所がある。武装闘争系非合法各組織メンバーが贈られる刑務所で、簡単に言えば、事実上「テロリスト専用」の刑務所だ。もちろんアイルランドで最もセキュリティが固い刑務所だという。(くどいようだが、これは「北アイルランド」ではなく「南」の話である。)

「北アイルランド紛争」の時代、ここにはProvisional IRA(いわゆる「IRA」)のメンバーシップで有罪となった人やその活動(襲撃、強盗、殺人など)で有罪となった人が入れられていた。1974年には19人が白昼に塀を乗り越えて脱走した。1985年にはPIRAの大脱走計画があったが、これは未遂に終わった。刑務所内で爆発物を作ってゲートを爆破する計画だったが、それが爆発しなかったためだ。

そういう「いわく」のある刑務所で、先日、またもやちょっとあった、という報道が、15日のベルファスト・テレグラフに出ていた。(アイルランド共和国のメディアにも出ているけど。)

INLA prisoners attack jail boss in Portlaoise pot protest
By Tom Brady
Wednesday, 15 October 2008
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/inla-prisoners-attack-jail-boss-in-portlaoise-pot-protest-14002540.html

※以下、お食事中の方、ティータイムをお楽しみの方などは、お食事やお茶が終わってからお読みください。

この記事見出しにある "pot" とは、chamber potのこと、つまり排泄物用の容器のことである。(なぜそんなものが、19世紀ではなく2008年のアイルランドの房内に、という疑問は、記事の最後で解消される。)

ベルテレさん記事によると、先週土曜日、刑務所スタッフが、INLA (the Irish National Liberation Army)収容棟でINLAメンバーが、スープ用レードル(おたま)の柄で武器を作ったと知り、日曜の午前中に、INLA収容棟の1階にある房の捜索が行なわれた。その房にはINLAメンバー8人が収容されていて、そのうちのひとりはINLAダブリン支部のリーダーとされる人物である。

この捜索にINLAメンバーが抗議し、房内で使っているチャンバーポットの中身を、ネット越しにぶちまけた。

INLA収容棟の隣は、CIRA収容棟(21人が入っている)と、RIRA収容棟(30人が入っている)である。(CIRA = the Continuity IRA, RIRA = the Real IRA)

そして、INLAがぶちまけたチャーバーポットの中身が流れていった先には、RIRA収容棟の食糧置き場と台所が……。

RIRAの台所はすぐに閉鎖され、衛生検査を受けることになった。

とばっちりをくらったかたちのRIRAに対し、INLAは謝罪したそうだ。(ああ、心底ばかばかしい。)

そしてもちろん、INLAは単にチャンバーポットの中身をただぶちまけたわけではない。彼らの標的は定例の視察に訪れていた所長 (prison governor) だった――彼らの房の前で「君たちの(房内捜索は不公平だという)抗議には根拠がない」と告げていた所長と、一緒にいた職員が、チャンバーポットの中身をかけられた。気の毒に。

月曜日、INLAは正式に、自分たちの房が捜索されたのは不公平であるとして苦情の申し立てを行なった。そして抗議は続き、火曜日には2人が隔離ユニットに移された。水曜日には元の房に戻されたそうだが。

CIRAはINLAの抗議を支持しているらしい。RIRAもたぶんそうだろう。

刑務所側の説明によると、前回、ポートリーシュ刑務所で収容者が所長を攻撃したのは30年以上前のこと。ということは、1985年のPIRA大脱走計画未遂のときでさえ、そういうことにはならなかった(所長が出てこなかっただけかもしれないけど)ということになる。

そして、ベルテレ記事の最後にはこうある。
It was learned later that the five INLA prisoners involved in the incident had been punished last night by being locked up in their own cells for more than a month without access to phone calls or visits.

つまり、チャンバーポットによる攻撃を行なったINLAのメンバーのうち5人は房から出ることを禁止され、電話も面会も一切禁止という懲罰を受けていた。

だから「チャンバーポット」があったのだ。それが「裏目に出た」というか、ダーティ・プロテストのことは誰でも知っているだろうし……。いや、もちろんダーティ・プロテストと今回の件は、コンテクストがまるで違うのだが。(突き詰めて考えると、「まるで違う」と言い切るにはわかっている事実が少なすぎるのだが、「まるで違う」と書いておく。なぜなら、後述するとおり、今のこのINLAに「思想」があるとはとてもじゃないけど思えないからだ。)

しかし何ともナンセンスな話だ。

アイルランド共和国でのINLAなどの活動は、社会の表面に現れる範囲では、明らかに「ギャング活動」だ。その根底にあるとされる「大義」、つまり「アイルランド人の解放 liberation」とか「統一アイルランドの(武力による)実現」とかが、どこまでシリアスなものなのか、私は知らない。むしろ、それらはただの標語かもしれない。

2007年7月のアイリッシュ・インディペンデントの記事では、INLAの活動が活発化していることに対し、アイルランド共和国の警察と北アイルランドの警察が懸念を強めていると伝えている。
http://www.independent.ie/national-news/the-inla-hasnt-gone-away-either-you-know-1047202.html

この記事によると、2007年にINLAはアイルランド島全体で2件の殺人を犯し、ダブリンでは手榴弾と銃による攻撃を行ない、北アイルランドでは武器を公然と示している(show of forceかな)。また、若いメンバーの獲得活動も活発に行なっており……ということは、昨年のIMC報告書(第何次か忘れたけど複数の報告書)にも書かれていたと思う。

アイリッシュ・インディペンデントの記事は、英国のメディアによくある記事とは多少異なっていて、グッドフライデー合意(1998年)での「政治的暴力で有罪判決を受け服役中の囚人の早期釈放」(2000年か2001年までにロイヤリストもリパブリカンも、全員釈放された)が、彼ら武装組織に「恩恵」をもたらしていることを、淡々とではあるが、批判的に書いている。(この「早期釈放」は、GFAの交渉過程において最も反対が強かった要素だが、それがなかったら「紛争」はいかなる形でも「終わって」いなかっただろうと思う。)

2007年7月のこの記事の時点では、記事の出た数日前にダブリンのパブで、PIRAのダブリン支部のメンバーでシン・フェインの党員が、INLAによってハンマーで襲撃されている、とのこと。アイルランド共和国警察は、IRAが麻薬密売など非合法活動で得たカネ(protection racket)をINLAが標的にしている、と見ている。

で、パブでの襲撃事件では誰も目撃者として証言してくれないので捜査が難航している、といったことも記事には書かれている。(北アイルランドでの事件のいくつか、例えばロバート・マッカートニー殺害事件と同様の事情だろうが、ダブリンではベルファストよりさらにストレートに「ギャングの脅し」の形だろう。)

そして、INLAがこういう形で共和国で得たカネが、北アイルランドでの活動に使われている。

2000年以降、INLAとPIRAはドラッグ密売での抗争で血みどろの殺し合いをしており(しかも武器が「斧」とかさあ、もうほんと勘弁してください……)、ダブリンでは抗争が激化していたが、今回の「チャンバーポット」攻撃に加わっていた「INLAダブリン支部長」が逮捕され、銃器所持などで有罪となり投獄されたことで、INLAダブリンの活動は弱まっていた。しかし彼はこの記事の出る3ヶ月前(だから2007年4月か)に釈放されていた。(その後、また逮捕されて有罪になって刑務所に入れられている。今度は「INLAメンバーシップ」で。)

INLAはPIRAほどの固い組織ではない上に、90年代初めからの内紛でメンバーがたがいに潰し合い、殺し合いをしていたので相当弱体化していた。しかし中核のメンバーが生き残っていて、今もメンバーを集め、IRAの解体(……あれ、共和国ではこれが明示されているのか。the disbandment of the IRA)によって生じた状況を利用しようとしている。つまり、元締めのIRAがいなくなったことで行き場を失ったドラッグ密売のショバ代を自分たちのものとしようとしている。

そして南で集めたカネで、北で気勢を上げている――というのが2007年7月の報道で、2008年に入ってから、北アイルランドで「非主流派リパブリカン」によると思われる爆弾事件の件数は、報道で見る限り(つまり、PSNIの統計数値は私はまだ見ていませんが)、増えている。なお、この記事によると、INLAには中央司令部のようなものはなく(PIRAとの最大の違い)、Derry/StrabaneとBelfastとDublinの3支部で構成されているとのこと。そして、北アイルランドの2支部は政治的武装闘争に戻ることはあまり真剣に考えていないが、ダブリンがやばい、という話。

で、今回の「チャンバーポット」の件でも出てくるダブリンINLAのリーダーは、今年6月に「INLAのメンバーシップ」で起訴されて有罪判決を受けているようだが、34歳の男性でアーマー出身(つまり北アイルランド出身)とのこと。記事を見れば名前もわかるけど、それはここではコピペしません。

「Provisional IRAが解体した場合、あとに残される空白がどうなるかが心配される」ということは言われていたし、PIRAだけでなくロイヤリストの組織でもそれは言われているのだけれども、実際にアイルランド共和国ではPIRAという組織が弱体化したところで、INLAが暴れている、ということなのかも……。



つけたし:

「チャンバーポット」の件について、アイルランドのメディアの記事:
http://www.herald.ie/national-news/power-battle-in-high-security-jail-as-inla-hurl-waste-at-governor-1499404.html

レードルの柄で作っていたのは、shivと呼ばれるmakeshift knife(手製のナイフで、ちゃんと刃をつけたりはしていないものだろう)。また、騒ぎが始まったときに、RIRAとINLAの囚人が一緒になって、看守側に挑んでいたとか。

ということは、ベルテレの報道とあわせると、INLAとRIRAとCIRAが「共闘」しているということか。IMCの報告書でこれら3組織が武装闘争において共闘しているというようなことが書かれているが、塀の中でも同じということか。

※この記事は

2008年10月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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