「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2008年10月15日

ロシア人弁護士の車に水銀のような物質、弁護士と家族が体調を崩す@フランス

恐ろしすぎて笑えてくるニュース。ブクマの100字では概要も書きとめられないのでブログで。(最近、ブログでちゃんと書かないとということがブクマでとりあえず100字でメモったまま積み残しになるという、ひどい本末転倒が生じています。特に北アイルランド関連、そろそろついていけなくて書こうとすると胃がおかしくなるか、事態が動かないかで。)

Russian rights lawyer 'poisoned'
Page last updated at 19:29 GMT, Tuesday, 14 October 2008 20:29 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7670518.stm

フランスのストラスブールで、月曜、ある人の車の中で水銀のような物質が発見された。車に乗っていたのは、ロシアの弁護士、カリーナ・モスカレンコ (←読み方が合ってるのかどうかわかりません。綴りはKarina Moskalenko) さんとその家族(子供を含む)。カリーナさんもご家族も気分が悪くなったり頭が痛くなったりして病院へ。

フランスの検察の話では、その物質は生命が危険になるほどの量ではなかったが、もう少し検査をしてみないとならない。(そもそもそれが「水銀」だったのか、「水銀に似た別の物質」だったのかも、この記事の段階では不明。)

彼女のクライアントにはクレムリンに批判的な人たちがいる――例えば、今はシベリアにいる元大富豪のミハイル・ホドロコフスキー、そして、自宅アパートのエレベータで射殺体で発見されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤのご家族。

何より恐ろしいのは、水曜日にはモスクワでポリトコフスカヤ殺害事件の三被告の予備審問が予定されているということだ。カリーナ・モスカレンコ弁護士は、車の中の水銀のような物体のために体調を崩していて、モスクワには行けなくなってしまったのだから。

彼女は、エコー・モスキー(ラジオ)で、「健康によかれと思って水銀を車の中に入れる人はいません。子供たちもいたので、大変に心配です」、「今は、あれを見つけるのが遅すぎたのか、あるいは早すぎたのか、ということで頭がいっぱいです。ひょっとして、もっと長時間にわたって気付かれずにいるという計画だったのだろうか、と」と語っている。

彼女の同僚のひとり、アンナ・スタヴィツスカヤさんは、この件はポリトコフスカヤ事件の裁判に関連して、「彼女を脅そうとしたもの」のようだ、と述べている。また、予備審問の延期を要請するだろう、とも。

ストラスブールの検察補佐の人は、この件について捜査が開始されている、と述べている。また、モスカレンコ弁護士とご家族は医学的な検査を受けている、とも。

記事の末尾には、いちいち書かんでもわかります、ということが書かれてます――アレクサンドル・リトビネンコ事件。

形式として「謎の金属」が関係しているし、ロシアだし、反クレムリンだし、リトビネンコ事件はもちろん連想されるのだけれども、個人的にはむしろこちら↓。

http://en.wikipedia.org/wiki/Rosemary_Nelson
Rosemary Nelson (September 4, 1958 - March 15, 1999) was a prominent Roman Catholic Northern Irish solicitor. ... Nelson was killed by a car bomb outside her home in Lurgan, County Armagh, in 1999, aged 40. A loyalist paramilitary group calling itself the Red Hand Defenders claimed responsibility for the killing.

In 2004, the Cory Collusion Inquiry recommended that the UK Government hold an inquiry into the circumstances of Nelson's death.

The resulting inquiry into her murder opened at the Craigavon Civic Centre, Craigavon, County Armagh, in April 2005. In September 2006 the British security service MI5 announced it would be represented at the inquiry. This move provoked criticism from Nelson's family, who reportedly expressed concerns that MI5 would remove sensitive or classified information.

... and then:
A disc containing personal and protectively marked material relating to the Rosemary Nelson Inquiry has been lost. ... Police launched an investigation, but it is believed the disc was not stolen.

Friday, 16 May 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7405496.stm


# As far as I'm concerned, there's no updates for this "lost disc". If "the disc was not stolen", then it simply went missing and were lost? Or there was a person who were extremely careless and thought the disc was something to be discarded? :-P

And the public inquiry has been going for a while, under Sir Michael Morland.

※この記事は

2008年10月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ガーディアン、モスクワのルーク・ハーディングの記事@16日付け:
Russian lawyer at centre of poisoning investigation
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/16/russia-anna-politkovskaya

ポイントとしては、フランスで捜査が進められていて、警察はモスカレンコ弁護士は故意に毒を与えられたのだと見ている。また、車の中にあったのは水銀であると考えられている。ただし警察からの公式な発表はまだ行なわれていない。

事件当時、車には弁護士と夫(職業はchemistだそうで)、子供が乗っていて、問題の物質は座席の下にあった。夫が車の中を掃除しているときに発見した。一家はしばらくの間頭痛や吐き気などを覚えていたとのこと。

水曜日のモスクワの法廷では、アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件で起訴されている3人の被告(彼女を見張っていたチェチェン人の兄弟2人と、やり方を指導した元警察官)の予備審問が、予定通り行なわれたらしい。それも非公開で。(当局では「極秘資料がある」ことを口実に非公開裁判を正当化している。)

また、彼女のクライアントには、ホドロコフスキー、ポリトコフスカヤの家族のほかに、ガリー・カスパロフ(現在は反クレムリンの政治組織を率いているチェスの世界王者)。

以上、ガーディアン記事からのメモ。
Posted by nofrills at 2008年10月16日 12:16

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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