kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年09月29日

ロシア、ある財界人のインタビュー

The International Herald Tribuneの28日付に、ロシアの富豪のインタビュー記事が出ていた。(The New York Timesにも出ているかもしれない。)経済ネタかなと思いつつクリックすると……名前は見たことある人だ。

でもどのコンテクストで見たのだっけ、と自分のブログ内検索をしてみると、2007年1月8日にこの人についての英サンデー・タイムズの報道について書いていた(のを忘れていた)。「リトビネンコと関係のある富豪が毒を盛られた」という報道だ。結局その「毒」の件についてはSTの記事ではよくわからなかったのだが、次のようなことを書いていた。(IHT記事にも、2ページ目に「ノヴァヤ・ガゼータ」の経営危機を救った出資者だとある。)
『ノヴァヤ・ガゼータ』といえば、アンナ・ポリトコフスカヤが多くの記事を書いていた新聞だが、この新聞に書いていたジャーナリストは、この3年間で3人殺されている。ゴルバチョフとレベデフは、クレムリンから独立した立場のこの新聞をサポートするために株式を買い取った。この買収について、編集長は極めて好意的に受け取っている。


ともあれ、ロシアについて興味がおありの方は目を通しておいてもいい記事かも。下記です。

In shadow of Kremlin, an oligarch speaks out
Published: September 28, 2008
http://www.iht.com/articles/2008/09/28/europe/tycoon.php

「チェーホフ基金」のパーティでAleksandr Lebedevは、ロシアの富豪の多くとは異なり、最近の株式暴落のあおりのことを人前で口にする。「皆様方のなかに、今もまだ資金的に余裕がおありになって、『チェーホフ基金』をサポートしてもよいという方がおられましたら」と彼が述べると、一堂から笑いが巻き起こる。「ちょうど私もフォーブスの富豪リストから外れたばかりですので」。

ロシアの富豪(オリガルヒ)はかつて、ロシア社会に大きな発言力を有していた。テレビで頻繁に発言し、政党に献金していた。しかしプーチン政権下で状況は変わった。富豪らはすべてを奪われるか、恐怖のあまり政権にすりよるかするようになった。だがレベデフは例外である。ロシア議会で要職にありながら政権に批判的スタンスを公然と示す彼は、冷戦期を思わせるようなプーチンの発言について「ばかばかしく、頭が悪い」と評し、クレムリンは本当に必要なところ(ロシア経済の近代化)にではなく、冬季五輪のようなどうでもいいところに金をかけていると述べる。株式暴落もグルジアでの戦争のせいだと言う。「おかげで8月も9月前半も、投資はすっかり冷え込んでしまっていたんですから。私自身、投資家として、また企業家として、ぞっとする思いですよ」。

彼は口で言うばかりではない。あるインタビューで、ミハイル・ゴルバチョフと組んで新党を立ち上げる予定だと語っている。ゴルバチョフのUnion of Social Democrats(社会民主主義者連合)の副議長であるMikhail Kuznetsovが、実際にこの計画があることを認め、2011年の議会選挙で候補者を立てる可能性があると述べている。

レベデフは48歳。アエロフロートの30パーセントを保有しているほか、新聞社なども保有している。ソ連崩壊時、彼はKGB将校として英国にいた。その後ロシアに戻り経済専門家として活動し、National Reserve Bankの長となった。英国調の英語を流暢に話し、外見からは企業家というより大学の先生のような印象を受ける。

近年、彼は何度か、ロシアの指導者と対立している。今年4月には、彼の傘下にあるMoscovsky Korrespondent紙が「プーチン、現夫人と離婚し、新体操の女王と結婚」と報じ、騒動となった。このことについて、彼自身は知らなかったという。記事が出たときは釣り旅行に出かけていて、電話も通じなかった、と同紙に書いている。報道自体については「ナンセンスだ」と言い、ニュースソースについては「OBSニュースだ」と言う――OBSとはone babushka said(あるおばさんの話)だ、と。

しかし7月、モスクワ市長のYuri Luzhkovが、レベデフがGQのインタビューで「新体操の女王の件は、Y.M. Luzhkovが持ってきたニュースだ」と発言したことで、名誉毀損でレベデフを訴えた。これについてレベデフは、自身のブログで「Y.M. Luzhkovという名前の人物が何人いると思ってるんだ。第一私は、'Yuri Mikhailovich Luzhkov' だとは一言も言っていない」と反駁した。

このような態度は、1990年代にはよく見られたものかもしれないが、プーチン政権下ですっかり見られなくなった。2003年、プーチンは財界人を政治から切り離し、当時ロシアで最もリッチだったユコス社のミハイル・ホドロコフスキーを逮捕した。それから5年が経過するが、ホドロコフスキーはいまだシベリアで服役しており、財産も失われた。ロシア最大の石油企業、Russneftの社長だったMikhail Gutserievは、昨年、自社をクレムリンに忠実な人物に売り渡す際に経済紙に寄稿し、政府の締め付けがきついため、売り渡すことを余儀なくされたと書いた。1ヵ月後に脱税と不正の容疑で逮捕状が出され、彼は国外に脱出した。

ロシアのエリート層を研究する社会学者、Olga Kryshtanovskayaは、「財界人が動くと政界進出の兆しと見なされるのです。つまり競争相手と見なされます」と指摘する。

財界と政界の垣根はどんどん低くなっている。財務大臣のAlexei Kudrinは国営のダイヤモンド外車Alrosaを監督しているし、前首相のViktor Zubkovは、メドヴェージェフ現大統領からガズプロム社のチェアマンの座を引き継いだ。副首相のIgor SechinはRosneftのチェアマンだ。

「オリガルヒは、根本的に、クレムリンと結びついている、これが事実です」とKryshtanovskayaは述べる。

しかしながら、レベデフはどう見てもこのクラブの一員ではない。プーチンをこんなに鋭く批判するのは危険ではないのかとの問いに、彼はさらっと「私は自分が言いたいことが言えますし、行きたいところに行けます」と答えた。

2006年、レベデフはゴルバチョフと組んで、「ノヴァヤ・ガゼータ」紙の49パーセントを買った。同紙は独立系の新聞で、当時もなおクレムリンに批判的なスタンスを保っていた数少ないメディアのひとつだった。その数ヵ月後、同紙の看板記者であるアンナ・ポリトコフスカヤが銃殺された。

レベデフの「チェーホフ基金」のパーティには、俳優のジョン・マルコヴィッチやケヴィン・スペイシー、英国の劇作家のトム・ストッパードやクリストファー・ハンプトン、ロシアの映画監督ニキータ・ミハルコフも出席していた。モスクワでのパーティの翌朝、出席者の多くがヤルタに飛び、レベデフが2年の歳月をかけて修復しているロシア革命前のチェーホフ劇場に向かった。彼はここでマルコヴィッチやスペイシーとともに俳優養成所を開く予定である。

夜半近くになり、客が去った後、レベデフは誰もいないテーブルについて政治の話をした。彼は、ロシアと西洋の対立が深まっていることについて、大方は米国政府のせいだと言うが、ロシア政府が「ブッシュ政権の最悪の部分をコピーすることはやってはならない」と言う。ロシアは独立した政治機関を必要とし、知事も以前の直接選挙制に戻すべきだ、と彼は言う。ロシアという国が近代化に向かっているのだということを「投資家たちに示す明確なサイン」が必要である、と。経済は、株式暴落から立ち直っているが、ロシアの長期的経済政策は抜本的見直しが必要である、と。……以下、略


ウィキペディアでは、Aleksandr Lebedevの綴りではなく、Alexander Lebedevの綴りで出ている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Lebedev

こんなのもある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ponosov%27s_Case

The Other Russia(反プーチン陣営のハブ的な団体)のサイトでの記事一覧(英語):
http://www.theotherrussia.org/tag/aleksandr-lebedev/

それと、どうやらIHTの記事内の記述の一部は、古いデータに基づいているか、最新の状況を反映していないらしい。レベデフの傘下にあるMoskovsky Korrespondentは、既に発行停止になっているし(下記を読んで思い出した)。
http://www.theotherrussia.org/2008/05/03/tabloid-owner-explains-why-newspaper-was-shut/

つまり「書き方」っていろいろあるなあという。

※この記事は

2008年09月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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