kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年09月24日

David Holmesの新作と、ベルファスト

北アイルランドっていうといっつもアレな話ばかり書いているような気がするけど、たまにはこういう話もいいじゃない、というか。

今月、David Holmesの新作、"the Holy Pictures" がリリースされた。彼が開設しているMySpaceで、11曲中10曲がフルトラックで試聴できる。全体的に、すごくきれいな音の世界が広がるアルバム。
http://www.myspace.com/davidholmesofficial

B001CD9K5UHoly Pictures
David Holmes
Universal Int'l 2008-09-08

by G-Tools


2000年代になってからは、Analyze That, Ocean's Twelve, Ocean's Thirteen などハリウッド映画のサントラでの仕事が多いDavid Holmesは、ベルファストの人だ(生まれたのは、両親が仕事でアメリカにいたときのことのようだが、育ったのはベルファスト)。1969年生まれだから、「北アイルランド紛争」がスタートした年の生まれ、と言うこともできる。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Holmes_(musician)

その彼が、ベルテレさんのインタビュー(後述)によると、今後はベルファストに拠点を置くことにしたらしい。

まあ、音楽ってのは基本的にそういうあれこれを知らなくても十分に受容できるし享受できるものなのだけど、"the Holy Pictures" はやはり、「作者の動機」とか「作品の背景」といったものが、ある程度大きな位置を占めているようだ。

ジャケットに使われている男性と女性の写真は、デイヴィッドのお父さんとお母さんだ。20日付アイリッシュ・インディペンデントによると、"the Holy Pictures" というのはお父さんが育った地域にあったパブの名前(もちろん、ダブルミーニングであるにせよ)。

ベルファスト・テレグラフには、9月5日付でインタビュー記事が掲載されている。

David Holmes: This album contains my heart and soul
By Jane Graham
Friday, 5 September 2008
http://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/music/news/david-holmes-this-album-contains-my-heart-and-soul-13961996.html

デイヴィッド・ホルムズはインタビューなどであまり自分のバックグラウンドを語らない人らしい。記事の最初のパラグラフには、his most revealing interview to date(これまでのインタビューで最も多くを明かしているもの)とある。

最初は前置きで、話が始まるのは第3パラグラフからだ。ホルムズは、インタビューのときに、音楽、テクノロジー、映画、建築などについてとうとうと語るというタイプだが、今回の作品――これまでになくパーソナルな作品――では正直にありのままを語ることにした、という。

この記事で、彼は「9人もいる兄弟姉妹にも話してないようなこと」をジャーナリストに語っている。兄弟姉妹は彼が「考えてたこととかを新聞で読むことになる」のだそうだ。

記事はこの後、「デイヴィッド・ホルムスという人について」の説明が続いていて核心部分についての話がなかなか始まらないのだが、ライターがホルムズのこれまでの仕事について熱っぽく説明したあとで、「彼はロンドンやニューヨーク、LAに暮らしてきたが、娘が生まれて4年経過し、父親が亡くなって1年、彼はベルファストを拠点としている。そして制作した今作は、彼の家族や友人、そして彼が育った街についての作品だ」と書く。

「理屈を言えば、このアルバムの着想は12年前、母を亡くしたときからのものだ」と、ベルファスト東部の自宅のピカピカのキッチンでお茶を入れながらホルムズは語る(彼は絶え間なくお茶を飲んでいる)。

あたしもお茶……お台所はピカピカじゃないけど。

「母の死はとてもこたえた。母が死んだあとはクリスマスが嫌いになったほどだ。クリスマスの日には母の墓に行くだけだった。娘が生まれるまではずっとそういうふうだった。」

「母は俺のやることは何でもサポートしてくれていた。夜中の2時まで、ラジオの仕事でのミックスを聞いて、これはすごいとかそういうことを語ってくれていた。シカゴの親戚のところに行くと、ハードコア・ダンスのレコードを何箱も買ってきてくれた。ソウルとか、リズム&ブルーズとか。母はほんとうにパーティが好きな人で、それも酒があるからじゃなく、気分の話で。」

おかあちゃん、かっこよすぎです。夜中にアシッドハウスとテクノばっかり延々と、って感じだけど。

そしてそのお母さんの死後、彼はスタジオでいろいろと試してはいたけれども、実際にそれが形になったのは、昨年お父さんが癌で亡くなったことだ、と続く。

「親はいて当たり前だと思っていた、ということに突如として気付かされる。父が亡くなった6週間後にスタジオに入って、そうだ、この感情をカプセルに閉じ込めて音楽にしよう、と思った。ああいう感情に真正面から意識的に取り組んだのは初めてのことで、すばらしい経験だった……うまくいったときはただうまくいったということがわかった。それで、後になって、両親を失っていなかったらこれらの曲は存在していなかった、ということに気がついた。」


インタビューではこのあと、10曲目(だからMySpaceでも聞ける)の "Ballad Of Jack And Sarah" について、「アルバム全体で最も鮮烈」と評しているが、この曲ももちろんなのだけど(これはMySpaceのストリームじゃなくてCDで聞きたい)、7曲目の "Melanie" の明るさと走る感じ(「疾走感」というのとは私の中でちょっと違う)と、続く8曲目の "Hey Maggy" の、言葉にすると平板だけど「アンビエントな」サウンドスケープからドラマチックに展開するところとか、すごくきれい。2曲目の "Story of the Ink" の美しさは異常だし。

というようなのと対照的なのが歌入りのトラック、正直私は「歌えない人が歌ってる」と思ったのだが、これ、ご本人。(あと、タイムズのインタビュー記事では、SuicideのMartin Revがヴォーカルで参加しているとある。これは盤を買わなくては……。)

以前は、歌詞を書いて歌ってもらうために「ポップスターを借りてきていた」というホルムズだが、今回は、このカプセルに閉じ込められたものに言葉と声を与えられるのは自分のほかにはいないと気付いた。そしてそれは彼にとって心底恐ろしいアイディアだった。

「いざ歌いだしてみると、歌は実際ヘタクソだけどいい感じだ、という人のことが思い浮かぶばかりで」と彼は笑いながら言う。

「で、結局重要なのは、心をこめてやることだ、と。歌うのは怖かったけれども、楽しかった。カタルシスを得られるし、解放される。セラピーに行くようなものだった。1曲追えるたびに、線を引いて、ニコニコ笑いながら先に進んでいく、そんな感じがした。」


上手い・下手じゃない、ハートだ!というあたり、根がpunkなんだと思います。音に関してあれだけの技術のある人が。

歌詞の中に、'You're crystallised in every drop of tear' (あなたは、涙の一滴一滴の中に、結晶になっている) という一節がある、と述べた彼は、「ある意味では、両親を永遠に刻むドキュメントを、自分が永遠に持ち続けておけるものを作りたかったのかもしれない」と語り、この作品がいかにパーソナルなものかを説明している。

※うにゃ。これはともかくも歌詞を読まないと――音作りがジザメリとか初期プライマルスクリームみたいなので、聞き取れません。'You're crystallised in every drop of tear' は5曲目、The Holy Picturesの歌詞にあるのが耳で確認できましたが。iTunesにもあるけど、これは盤を買ったほうがいいよね。(下手に全曲試聴があると「お」と思ってもなかなか買うまでが長いんだよなあ。>自分)

インタビューの最後の部分は、「ベルファストと自分、そして娘」について。

「俺がここで育ったころはひどかったからね」と彼は言う。「1970年代のOrmeau Roadは、本当に暗いところだった。でもほんとに好きだったけどね。いい友人もいたし、大切にしたい人たちもいたから。そういう人たちが今もここにいる。自分にとってインスピレーションを与えてくれる場所だよ、これまでもずっと。」

Ormeau Roadか……ニュース記事の中でしか知らないけれど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ormeau_Road
http://www.guardian.co.uk/money/2008/sep/13/homes

インタビュー記事の最後は、「本人はそんなことはないと言うが、彼はベルファストの音楽家や芸術家、著述家から、ベルファストの創作活動の新たな夜明けを象徴する人物だと見なされている」といったことから、地域への彼の貢献についての話(例えば、若い芸術家にいろいろと援助・支援したり、ドラマに音楽を提供したり、Good Vibrations Recordsのテリー・フーリーの伝記の制作に取り組んでいたり)があり、最後はベルファストについての彼自身の言葉で締めくくられている。

"I love LA, but after three months there I want to see graffiti and have an Ulster Fry and go to the back bar in the Errigle and have a couple of whiskies with the regulars, the simple things in life," he says dreamily. "That's happiness to me."

「LAも好きなのだけど、3ヶ月もすると、壁のグラフィティとかアルスター・フライとかが恋しくなり、Errigle(ライヴハウスのライセンスのあるパブ: via Real Music Club)のバーで常連さんとウィスキー飲みたいなあと思ったりする。ごく平凡なことだけど、それが自分にとっての幸せ、というもので。」




……という具合に、「ハリウッドでセレブの中で暮らせるような音楽界のスターが、わが町に戻ってきた」調にまとめられているベル・テレさん記事でした。

なお、付け加える必要はないかもしれないけれども、Ormeau Roadでの「壁のグラフィティ」は、「グラフィティ」というカタカナ語が表すものとは完全には一致しないかもしれません。(→Google画像検索)例えば実際にこういうのもあるということですが(2006年でこれってのはかなりすごい)、この写真の壁に書かれているのはグローバル的にごくありきたりの、東京のうちの近所でもありがちな「グラフィティ」(ただし芸術性なし)に見えます。

それと、記事中の地の文にあるのですが、今年カンヌで新人賞をとったスティーヴ・マクイーンのHungerの音楽が、David Holmesだそうです。……というか、なぜそれに気付かなかったんだ>自分。
http://www.bbc.co.uk/northernireland/atl/news_specific183622.shtml
http://www.tiff08.ca/filmsandschedules/films/hunger

タイムズのインタビューによると:
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/music/article4633186.ece
"I went after that job, but when I read the script I told the producer it didn't need music. He said, 'Okay, that's interesting. We should talk.' In the end, we used just one instrument ― a hurdy-gurdy. By a mile it's the best film I've worked on."

どうしてもやりたかった仕事だったが、スクリプトを読んで、プロデューサーに、この映画には音楽は必要ないと言った。すると彼は「なるほど、それはおもしろい、もう少し話をしたい」ということになって、最終的には1つだけ楽器を使ってやることにした――ハーディ・ガーディを。あの映画は自分が関わった中で断然ベスト・ワンだ。

ハーディ・ガーディか。あの映像にあの音、想像しただけで涙目になるような組み合わせ。トレイラーではピアノが使われているのだと思うけど。(このピアノもかなり涙目になるけど。)
http://uk.youtube.com/watch?v=dmVPCX0LxN8


それと、現在製作中のFive Minutes of Heaven(主演はリーアム・ニーソンとジェイムズ・ネスビットで、主題は「カトリック」を殺害したUVFのメンバー)という映画の音楽もDavid Holmesだそうです。

David Holmesの旧作(映画サントラは除く)
ファースト(1995年)。ボーナスディスク収録曲を除いて全曲Last.fmでフルトラックで聞けます。これは1曲目が本当にすごい曲でね……。
B0000070XAThis Film's Crap, Let's Slash the Seats
David Holmes
Go! Discs 1998-04-06

by G-Tools


セカンド(1997年)。これも全曲Last.fmでフルトラックで聞けます
B000002GNXLet's Get Killed
David Holmes
Go! Beat 1997-10-21

by G-Tools


サード(2000年)。映画音楽の仕事をするようになった後の作品で、架空の映画サントラ。これはLast.fmには入ってません
B00004TLVXBow Down to the Exit Sign
David Holmes
Go Beat 2000-05-15

by G-Tools


あと、iPhone 3GのCMとか:
http://uk.youtube.com/watch?v=KYMvVUsmhh0

※映像はデイヴィッド・フィンチャー(『ファイトクラブ』とかNINのOnlyとか←五月蝿いな、自分)。声はロバート・ダウニー・ジュニア。

マイケル・ウィンターボトムのCode 46のサントラとか (名義はthe Free Association):
http://uk.youtube.com/watch?v=wB54LV6ajLk
B0007XFRS0Music from the Film Code 46
Free Association
Rykodisc 2008-01-13

by G-Tools




ベル・テレの記事は8日に出てすぐに読んでいたのだけど、つい数日前に、8月末にthe Sunday Timesにもインタビューが出ていたことを知った。

August 31, 2008
David Holmes' Holywood life
David Holmes has written the soundtrack to his Belfast youth
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/music/article4633186.ece

ここで1曲 (アルバムの2曲目のStory of the Ink)、ダウンロードできる。単純にきれいな曲なのでぜひ。

アルバムについて、本人の言葉で:
Mostly, it's a positive record about love, my life in Belfast and the people who continue to inspire me.


記事のタイトルはホルムズが好きなジョークだそうで(「Hollywoodじゃなくて、Holywoodだよ」というオチ。前者は「ハリウッド映画」のハリウッド、後者は北アイルランドのカウンティ・ダウンにあるハリウッド、というかUK語の音としてはHollywoodもHolywoodも「ホリウッド」だけど)、つかみは上々で、記事本体もとても読みやすくまとまってます。

ベル・テレの記事になかったこととしては、上にもあとから差込みでいくつか書き足したのだけど:

-彼に「あなたはサントラ界のセレブですね」とか言うと怒る。ハリウッドは仕事の場としては楽しんでいるみたいだけど……。

-彼は1年半前に子供のころからの友人2人と組んで、北アイルランドで映画制作会社を立ち上げた。その会社が制作した来年公開される初の長編映画で彼は音楽を担当している。この映画が、ベルファスト・パンクのGood Vibrationsのオーナー、テリー・フーリーについての伝記映画。大人になったらこういう音楽をやるとかこういう映画を作ると話していた仲間同士で、言ってたことを実現させた、という形。(これは単純に「すごいなあ」と思う。)

-今も彼はベルファストでDJをしている。(そういえばMySpaceに、25日のOpen Houseのイベントで回すという告知が出てた。本文に書き損なった。)

-The Holy Picturesには、ヴォーカルで、SuicideのMartin Revが参加している。(→Martin RevのサイトとかMySpaceとか検索して見てみたけど、このことについては記載なし。)

-お母さんは30代終わりに、近所の子供たちを集めてビートルズのコピーバンドを始めた。楽器は鍋ややかんの類。(それは当時のことばで「前衛音楽」というのでは……。金属音でビートルズかぁ……「ナショナリスト地域」の映像資料でよく出てくる「ゴミ箱と棒」とか、「ゴミ箱の蓋と地面」も使えそうだし。)

-アルバムとお母さんについて、ホルムズの言葉。「母は、楽観的に構えていられることなどあまりなかったときに、常に楽観的でいられた人。そのスピリットがほしかった。」

-昔のベルファストについて、これはベルテレはあんまり書きたくないだろうなあ。
"I enjoyed Belfast in the dark days," he insists. "The Troubles gave it an edge. I wouldn't change the way it is now, but it wasn't until the Troubles finished I realised what an incredible era we had been through. I used to run clubs in the art college, and the sense of escapism was electric. Kids from different religions came together to listen to music and get off their heads."

暗い時代のベルファストもおもしろかったよ。紛争のおかげでエッジがあったし。今がどうというんではないけれど、紛争が終わってはじめて、俺らどえらい時代に生きてたんだなということに気付いたくらいで。美大でクラブをやってたけど、とにかく逃げ出したいという感覚はすごかった。違う宗教の子たちが一緒に集まって、音楽を聞いて、憂さを晴らす。


-ベルファストで、夜間外出できないときは(彼は15歳からクラブでDJをしている)、家で映画のサントラをじっと聞いていた。『さらば青春の光』とか『真夜中のカウボーイ』とか『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』など。

-最初のシングル、De Niroを出して、最初のアルバムを出したらすぐにテレビドラマで使いたいという話があった。次にRessurection Manというアイルランドでの映画の音楽を担当したときにはまだエージェントも雇っていなかった。そしてハリウッドで仕事をしたときには、スタジオにエルヴィス・プレスリーのハーモニカ奏者とか、アリス・コルトレーンのダブル・ベースの人とか、スライ・ストーンのアルト・サックス奏者とか、フランク・ザッパのトロンボーンとトランペットの人が一堂に会した。(すごいな。というか、『コミットメンツ』を見たくなるような話。)

-そういう環境で、でかい予算の映画の仕事をして稼いだお金を持って、北アイルランドの低予算映画の仕事をしている。

なお、サンデー・タイムズのインタビューのときはお茶じゃなくてビール飲んでたそうです。



アイリッシュ・インディペンデント、20日付:
http://www.independent.ie/entertainment/music/theres-no-place-like-holmes-1478855.html

いろいろとつなぎ合わせたような記事だけど、ここは抜粋しておきたい。
Holmes, born the youngest of 10 children on Valentine's Day in 1969, reflects on his time in Belfast, saying: "I've seen the city in its darkest days.

"My earliest memory of the Troubles is when a gelignite bomb was thrown into our back garden.

"But the best thing about Belfast is the people, their sense of humour and their honesty -- they've got a real thirst for life," Holmes says.

"What you see is what you get -- it's the complete opposite of Hollywood."


それと、Gigwiseに掲載されたインタビュー@9月3日:
http://sexasaforeignlanguage.wordpress.com/2008/09/03/david-holmes-interview/
とてもいいインタビュー記事だと思う。特にこの言葉は、試聴の音質であっても、音を聞いてから読むべき言葉。
"When you have a record that's this personal, it's roots firmly planted in Belfast and family, through major loss in your life, losing your parents, losing your friends it's a hard process", notes Holmes looking back, “but it's not just about that, I think there's a very positive air about the record too, like a celebration. I don't think it's a depressing record. So what I was trying to say is that it's the process that began back then, and the whole process of this record was very organic, I just never felt ready before."


"There were some tracks that were inspired by other people in my life, my best friend, people still alive and people lost in tragic circumstances, but it was when my father died, that's when I went into the studio and tried to encapsulate how I felt, not just about losing my dad but being parent-less. When you lose the second parent it's a very different hit to the first because suddenly you've got no one. So thats what I was really aiming to capture when I went into the studio, to encapsulate how I felt in the music and words." Holmes has more than succeeded in conveying the duplicity and complications of loss, nowhere more viscerally than on the albums ethereal closer "The Ballad of Sarah and Jack", that lilts into view on a minimalist piano line and grows to flood the surroundings, sweeping the listener into its world.


あと、Hey Maggyの最後の声は、やはり娘さんだそうです。コントロールルームにいるときに娘さんが入ってきて、マイクがONになってて、娘さんの声が聞こえてきたので録音ボタンを押した、と。(こういうのは、20代の人が知ると、「丸くなった」とかいう印象を受けるかもしれない。)それと、マーティン・レヴは "I Heard Wonders" に参加しているとのこと。


※この記事は

2008年09月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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