「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2008年09月21日

【記事メモ】パキスタン、イスラマバードで自動車爆弾、死者多数

1時間ほど前にアラートがあったニュース。パキスタンのイスラマバードにあるマリオット・ホテルに自動車爆弾、死者数が少なくとも30(現時点で40超との報道あり)、ホテルは現在も炎上中のようです。

ガーディアン:
http://www.guardian.co.uk/world/2008/sep/20/pakistan

ホテルの駐車場にとめられている何台もの車が爆発の勢いでひしゃげて黒こげになった写真(AP配信)があります。背後の建物がホテルで、炎が窓から噴き出しています。

パキスタンは現在ラマダンの期間中で(パキスタンでなくてもそうですが)、日没後に飲食が解禁される(イフタール)タイミングで、爆発物を積んだトラックが、マリオットホテルの厳しい警備を破って入ってきて爆発したようです。イフタールの宴でホテルのバンケットルームには300人ほどがいて、記事が出た時点でまだ、建物内に残されている人も少なくないとのこと。

BBC(記事更新が頻繁です):
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7627135.stm
現場の映像(未編集)つき。救急車が到着するところ、ホテル内から人が救出されるところ(両側から支えられながら自力で歩いている男性で、流血の画像に弱い人が見てもたぶん大丈夫です)。

数時間前に、ザルダリ新大統領(暗殺されたベナジール・ブットの夫)が就任後初めて国会で演説を行なったばかりでした。パキスタンでは最近、アフガニスタンから越境してきた米軍が空からの攻撃を行ない、パキスタン人の民間人に死者が出るなどしており(数日前もありました)、ザルダリ大統領は演説で「我が国の領土を、反乱勢力であれ外国の軍隊であれ、破壊することは許さない」ということを語っていました。

この爆弾についての記事@Google News UK:
http://news.google.co.uk/news?ned=uk&ncl=1248515539&hl=en&topic=w

パキスタンについての記事のクリップは:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Pakistan/

以下、後日追記(被害状況など):
23日、BAがパキスタン便の運行を見合わせるとのBBC報道:

BA halts flights after hotel bomb
Page last updated at 09:42 GMT, Tuesday, 23 September 2008 10:42 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7630822.stm

マリオットホテルの被害規模などについての部分を抜粋:
Six UK nationals, including one child, were hurt in Saturday's suicide bombing at the Marriott Hotel which killed 53 people and left 266 with injuries.

A lorry laden with 600kg of explosives rammed the hotel's security gate.


つまり、死者53人(うち1人はチェコの大使)、負傷者266人。爆発物は600キロ。単位換算すると、600 kg = 1,322.77357 poundだから、約1,300ポンド。

ただのメモ:
1996年マンチェスターが1500kg (3300 lb)、1993年ビショップスゲートが……ウィキペディアでは記載がないけどこれはマンチェスターより威力は大きかったはずだし(ただし各種の条件で変わってくるので一概にはいえないにしても)、96年のドックランズも同じく。1998年オマーは500 lb (230 kg) とのこと。

※この記事は

2008年09月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:26 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。