「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年09月08日

英語系記事@はてなダイアリのお知らせ

はてなダイアリで書いている英語に関する記事のお知らせです。

まず、先日、Google翻訳(日→英)で遊んでみたらおもしろかった(お茶ふいた)のでそれをネタ的にちゃちゃっとメモったら、なんかわかんないけど真面目に書いているものに比べて5〜10倍の勢いでブクマをいただいてしまい、ブクマのコメントの内容から発展して「フランス語→英語」の話にまで広げて(素材としたフランス語はIRAについてのル・モンドの記事だけどね)、さらにはダイアリのコメント欄とブクマのコメントでもうひとつ独立した記事を書く、ということをやりました。

これは、「英語が読めない/英語で書けないのでGoogle翻訳を使っている」という方には、是非目を通していただきたい記事なのですが、結論を言うと「現状、Google翻訳は日英間の翻訳はほとんどできてないから使うな」ということでしかなく、「じゃあどの機械翻訳なら(少しは)まともなのか」ということには触れていません。

そこで、今年1月に書いた「英→日、『使える』無料翻訳はどれか」に続き、「英→日、『使える』無料翻訳はどれか〜2008年9月版」を書きました。翻訳結果を淡々と並べて、少し解説をしているだけの記事ですが、1月の記事とあわせて参考にしてください。

また、昨年の8月に「カタカナ語として定着している語で、英語にしようとすると紛らわしい語がいろいろあるので迷ってしまう語」について人力検索はてなで質問をしたのと同系統で、カタカナ語を英語でスペルアウトするときに迷いがちな、「LなのかRなのか」についてのクイズを、Yahoo!の「みんなの検定」で作ってみました。ちょっとした息抜き、頭の体操にどうぞ。
http://minna.cert.yahoo.co.jp/cgyat/294447
※CCのby-nc-saにしてあります(非営利・改変OK・同条件再配布で)。

これはカタカナ語を英語にしたらどう綴るかの単純なクイズ(選択式)で、全部で10問、解答表示画面には丁寧目の解説つきです。Yahoo! のIDがなくてもログインしていなくても試せると思うので、適当に遊んでいってください。

Flashプレイヤーで貼り付けができるので、下記(「続きを読む」)に貼り付けておきます。

あと、夜になってからここの右側に貼り付けたflashのバナーが、私がYahooで作った「クイズ」の一覧になっています。適当に遊んでいってください。






http://minna.cert.yahoo.co.jp/cgyat/294447









追記:
Yahooでもう1つ、作りました。「紛らわしいぞ」クイズ、ということで。
http://minna.cert.yahoo.co.jp/cgyat/294567










さらに:
「バンド名、書けるかな」 http://minna.cert.yahoo.co.jp/cgyat/294853
「人名、書けるかな」 http://minna.cert.yahoo.co.jp/cgyat/294907

意味がなくてアホなことを真面目にやるんです。
タグ:英語

※この記事は

2008年09月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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