◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年08月28日

「他地域に比べ治安も比較的安定しているジャララバード市」(JICA, 2007年)

資料のメモ。引用内の太字は引用者による。

 JICAはアフガニスタンの農業を中心とした持続的な経済発展と地方の安定および地域格差是正を図る為に、人口の大部分を占める地方農村部をターゲットとして「地方農村総合開発プログラム」を形成し、安全に配慮しつつも地方農村部への事業展開を推し進めている。現在まで、同プログラムはカブール、マザリシャリフ、バーミヤン、カンダハルを拠点として事業を実施しているが、他地域に比べ治安も比較的安定しているジャララバード市については、農業のポテンシャルも高いことから今後同プログラムの重要な拠点として期待される。

 一方で、同地での事業の進捗管理や案件形成、州政府、他ドナーとの連携・調整、同地域の安全等を含む情報収集については、カブールでは現地事情の把握が困難であり、また急激な治安状況の悪化等による緊急事態への対応についても配慮する必要がある。よって、本年6月に開設したジャララバード連絡事務所の維持管理や同地域で実施予定案件の実施促進・管理、治安情報収集等を目的とした企画調査員を配置することとなった。
 ……

http://partner.jica.go.jp/k/TOR/20070706_3.html

上記は、「2007年7月6日〜2007年7月20日」の募集期間で出された、JICA(「独立行政法人国際協力機構」。何年か前までは「特殊法人国際協力事業団」の名称で、日本のODA実施機関のひとつ)の求人告知である。(なお、採用された「企画調査員」の任期は「2007年10月上旬〜2008年10月上旬」の予定になっている。)この時点では、ジャララバードは、JICAも「他地域に比べ治安も比較的安定している」と言い切れるような状態だったことがはっきりとわかる。

それから1年と2ヶ月足らず。ジャララバードは「治安も比較的安定」とは言いがたい状態にあることが、伊藤和也さんの死によって、日本社会に対し(っていうかマスコミに対し、かな)、明示された。実際、元々山賊が出没するなどで非常に危ない地域が、ジャララバード近くにはある、ともいうのだが、要は中央政府(カブール)の力が及ばない地域がある一帯、ということだろう。

まず、位置関係を把握するための地図。英語表示の地図はAFP記事にもあるが、もっと大きな位置関係を把握するための地図は、広河隆一さんのサイトにあるものがとても見やすい。パキスタンのペシャワール、アフガニスタンのジャララバード、カブールの位置関係が一目瞭然だ。
http://www.hiropress.net/special/020105.html

このページから、2002年1月の記事だが、少し引用させていただく。
……ジャララバードからカブールまでは、車で 5 時間ほどかかります。途中サロウビという町を通るのですが、この周辺は昔から強盗殺人が多いことで有名な所です。特にサロウビ近くの 20 キロほどは道も険しく、崖の上を車が走るのですが、ここで急に武装グループに停車を命じられるというわけです。例の 4 人のジャーナリストが殺されたのもここです。その後もひんぱんに強奪事件は起きています。……


私はアフガニスタンで誘拐・拉致され、また殺害された「外国人ジャーナリスト」や「外国人支援活動者」について細かく把握しているわけではないし、BBCかガーディアンに記事が出たときに、重要そうなら(または自分に興味のあることなら)目を通す、というくらいにしか接することができていないが、カブールとジャララバードの間は、「あのへんは山賊がいて危ない」という地域だった、というのは広川さんの上記記事だけでなく、ほかの記事(英語のものなど)でも、けっこう前から読んでいるように思う。

月曜日の晩、テレビ朝日のニュースで電話インタビューに応じていた共同通信の通信員さん(在カブール)は、「あの地域は、使われている言語がアフガニスタンの公用語(ダーリ語、パシュトゥー語)ではなく、政府の関係者も現地の人と直接コミュニケーションができないから」と説明し、月曜日に一瞬だけ出たの「未確認情報(身柄解放)」の背景には、そういうことがあるだろう、と述べていた。また、タリバンが犯行声明を出してはいるが、「100%タリバンの犯行」ではなく、「タリバンとつながっていないわけではない地域の山賊の犯行」ではないか、と考えられるとおっしゃっていた。つまり、「タリバンの司令官が『あいつを拉致しろ』と命令して行なった誘拐」ではなく、山賊が、例えば金目当てで地域で有名な日本人をガンポイントで連れ去った、という可能性がある、と。

――以上、資料的なことを記録のために。

伊藤さんの事件については改めて。本当に言葉もない。今の段階では、合掌することしかできない。



追記:

外国人すべて標的 アフガン 盗賊横行
2008年8月28日(木)08:15
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20080828006.html
 平成18年からアフガニスタンで取材活動をしている「アジアプレス」所属ジャーナリスト、白川徹さん(23)によると、伊藤さんが拉致されたジャララバード近郊は自動小銃などで武装した盗賊が横行する危険地域。「今回の事件も、盗賊による犯行との印象が強い」とみる。

 白川さんも18年12月、乗り合いタクシーで移動中、自動小銃などでで武装した4人組に襲われた。民族衣装を着て、ひげを伸ばし、耳の聞こえない現地人のふりをして難を逃れたが、「日本人とばれていたら危なかった」。

 白川さんによると、同地域を含むアフガン東部や南東部は米軍の誤爆や誤射などが多く、外国人への反発が強まっている。「盗賊くずれやタリバン志願者も増え、2年間でさらに治安は悪化している」

 こうした反感はNGOなど支援団体も例外ではない。今年3月、首都カブール周辺の難民キャンプを訪れた際は、支援が十分に行き届かない状況を「あいつら(支援団体)がちょろまかしているからだ」と揶揄(やゆ)する声を聞いたという。「学校を建ててもらった村ですら、外国人というだけで忌み嫌っているところがある」と白川さん。

 「2年前には“敵国”の外国人ばかりをターゲットにしていたが、最近は対象が『すべての外国人』に広がっている風潮がある」といい、「今回の事件はとてもショックだ。NGOなどの活動に歯止めがかからなければいいが」と話した。


「歯止めがかかる」の使い方が微妙な記事だけど(元の発言が仮にそうだったとしても、これは記事にするときに修正かけないと。通常「悪いことに歯止めがかかる」という)、記事中の白川徹さんの発言部分をすべて引用させていただく。

「ジャララバード近郊は自動小銃などで武装した盗賊が横行する危険地域」だというこの説明と、このエントリの一番上のJICAの求人にある「同プログラムはカブール、マザリシャリフ、バーミヤン、カンダハルを拠点として事業を実施しているが、他地域に比べ治安も比較的安定しているジャララバード市」という説明とを照らし合わせると、結局「比較的安定」でしかないだろうところで、さらに最近ひどくなってきている(武装勢力がタリバン傘下に入っている)のだろうか、と思う。

上記の産経新聞記事には、元在アフガニスタン公使参事官の宮原信孝久留米大教授の説明も掲載されている。「武装集団」がどういう状態にあるどういう集団なのかについての話だ。2004年に、武装集団が原則非合法化されて(政府に許可を受けた場合は別、というか反政府側の活動を阻止しようとしたのだろう)、アングラ化したということが説明され、アングラマネーにとって特に重要なケシの栽培にはペシャワール会の農地開拓事業は「目障り」な存在だった、と指摘されている。宮原教授は、「伊藤さんはペシャワール会と地元の人々への脅しのために誘拐されたとしか思えない」との見解だ。

これが妥当なのかどうかについては、私には何も判断材料はない。

また、NHKのBS特集「未来への提言」の内容をまとめた書籍でロメオ・ダレールさん(ルワンダ虐殺時のPKO部隊司令官、カナダ人)と伊勢崎賢治さんの対談で、銃を持って戦っていた人たち(武装勢力、と呼ばれる人たち)についての言及がある。直接的な関係はないのだが、これを読むと今「銃を持っている人たち」の像がよりはっきりするかもしれない。重ねて強調しておくが、下記の抜粋は、今回の件と直接の関係はない。

伊勢崎:
 ……とても珍しい事例が……アフガニスタンでありました。北部同盟の全部隊5万人近くが日本主導のDDR(訳注:武装解除・動員解除・社会再統合)によって武装解除したのです。
 国際社会は……カルザイ政権のもとに新生国家の象徴として単一で新しい国軍を創設するしかない、という強い合意に達していました。その目的のために、わたしたちは統一政権の障害となるあらゆる軍隊、軍事力の動員解除をし、兵士を武装解除しなくてはならなかったのです。
 ……
 ……武装解除を始めた当時、状況は非常に悪いものでした。周りの誰もが、武装解除について言及することさえできなかったからです。なぜならアフガニスタンでは、……ムジャヒディンから武器を奪うことは、あの国における強いタブーとされていました。
 でもわたしたちは、アフガニスタン社会、政治家、国際社会の間で何とか政治的合意を形成し、……まるまる2年間の月日がかかりましたが、2005年、わたしたちは任務を完遂したのです。

――ロメオ・ダレール『戦禍なき時代を築く』、2007年、日本放送出版協会、pp.68-69


4140812206ロメオ・ダレール戦禍なき時代を築く (NHK未来への提言)
ロメオ・ダレール
日本放送出版協会 2007-09

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なお、ジャララバードについては、日本語版ウィキペディアではほとんど何もわからないし、英語版ウィキペディアでも現在の状況はほとんどわからない。「パキスタンに逃げていた難民が続々と帰還しつつある」という説明があるが、ソースがない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jalalabad

地図を見ればわかるが、物や人の流れる道(街道)筋にあり、それゆえ盗賊、山賊も多いのだろう。



事務的な注意書き:
この記事は、ほとんど資料を写しただけのものなので、コメント欄OFFです。トラバはオープンです。……と思ってたけど、早速機械的にキーワード拾ってこっちの中身をパクった上でトラバしてくるだけのsplogからトラバ来てたんで(削除済み)、トラバ承認制にしておきます。反映に時間かかりますがごめんなさい。

※この記事は

2008年08月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:25 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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