「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2008年08月13日

カシミール情勢が急速に悪化している。

北京で、オリンピックのメイン会場近くにあるEthnic Minorities Park(少数民族公園?)にStudents Free Tibetの人たちが10人ちょっと集まっていたのを取材していた英国人記者が、警察に連行された、とAugust 13 2008 05:55 BSTのタイムスタンプでガーディアンが報じている。警察の車に乗せられた英国人記者が、同じく北京にいる英国人ジャーナリストに電話をしてきて「乱暴な扱いを受けた。今はカメラを向けられている」と語り、警察官らに「なんで撮影してるんですか? 私は英国のジャーナリストで、五輪取材の書類は全部持ってますよ」と言い、続いて警官が「チベットについてどう思いますか?」と尋ね、記者が「意見なんかありませんよ。ジャーナリストですから」と答えるのが聞こえ、その後警官が電話は使うなと言い、通話は途切れたとのこと。また、彼が拘束された後、その公園からは学生たちも排除された。現場にはほかにも記者がいたが、警察が記者らを撮影していた、とのこと。もっと詳しい記事が、あとでCPJかRSFに出るかもしれないが、とりあえず第一報としてはこんなところだ。

「ラサからの報道」は見ないにせよ、チベットも本質的な点で「平穏無事」であるとは思えないのだが、チベットからさらに西、チベットに対する中国の侵攻(1950年)より前の1947年から「紛争」状態が続いているカシミール地方で、ここしばらく、情勢の悪化が伝えられている。火曜日にはスリナガルで「治安当局による非武装のデモ隊への発砲」などで11人(複数地域の犠牲者を合わせて14人)が殺されたとの報道があった。

Protesters shot dead in Kashmir
Page last updated at 12:23 GMT, Tuesday, 12 August 2008 13:23 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7555398.stm

Indian security forces shoot dead Kashmir demonstrators as thousands defy curfew
Randeep Ramesh in Delhi
The Guardian, Wednesday August 13 2008
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/13/india.kashmir

まずは地域の地図。(これ見ながらじゃないと話がわからない。)


経緯を簡単にまとめると、月曜日に治安当局の発砲で分離派リーダーが死亡→その埋葬で混乱が予想されるので外出禁止令→人々が外出禁止令に反対→さらにデモ、発砲、ということだ。構図は、「インドの治安当局」対「分離派の住民(ムスリムでインドからの分離を主張)」。

BBCの記事に、1分10秒くらいのニュース素材映像が埋め込まれている。

細い通りの脇に兵士が並び、人々が走っていく映像で始まり、10秒もしないうちに切り替わって大通りで群集を散らす軍(カメラは軍側から撮影している)、ここで人々の中から投石があり(ガーディアン記事掲載の写真参照)、軍が、まずは斜め上に向けて発砲(空砲なのか実弾なのかプラスチック弾なのか何なのかは私にはわかりませんが、知識のある方なら音でおわかりになるかも)、それから水平撃ち。ここでカメラが右にパンすると、銃弾が飛んでいった先の群集をとらえる前に、カメラを構えた平服の男性の姿が。そしてここでまた映像が切り替わってものすごい数の群集。月曜日に発砲で殺された人たちの埋葬の様子。

2001年9月11日の前、「世界にとっての最大の脅威」として注目されていたのは、NPT体制の外側で核兵器を保有するに至ったインドとパキスタンの対立だった。カシミール地方をめぐる武力衝突は、過去半世紀の間にインド、パキスタン、中国を当事者として発生していて(印パ戦争、中印国境紛争)、今から10年前の1998年にはインドとパキスタンが相次いで核実験に成功した。

今回の発砲事件が起きたスリナガルは、カシミール地方の南のほう、つまりインドが支配する地域(ジャンム&カシミール)の中心都市である。この州は、ヒンズー教徒が多数のインドの中で唯一、住民の多くがイスラム教徒という州である。かつての「英領インド」は「宗教の違い」を「民族の違い」とするかどうかでかなり揺れたのだが、結局それが「民族の違い」という方向になって、ヒンズー教徒のインド、イスラム教徒のパキスタン、という二国家になった。1947年の独立の際、「インド」の地域に暮らしていたイスラム教徒が「パキスタン」の地域に移住するなどした。しかしカシミールはいろいろな事情があり、宙に浮いた状態になって、それが後の印パ間の紛争に直接つながった。何度かの大規模な軍事衝突を経て、the Line of Control(LoC、停戦ライン)が引かれ、その南はインドが、北はパキスタンが支配しているが、LoC近辺では常にいろいろある――例えば北アイルランドとアイルランドの間の「国境・ボーダー」の近辺で常にいろいろあったのと同様だろう。

12 August 2008付けのBBCの記事は、最新情報に最新情報を書き足したもので(私が最初に見たときは「外出禁止令発令」を報じる記事だった)、記述としてはかなり読みづらいのだが(まるで下書きだ、原稿整理前の)、おおよそ、以下のような内容である。

ジャム・カシミールでインドの治安部隊が投石を行なうイスラム教徒の人々に発砲、少なくとも11人が死亡し、多数が負傷した。

イスラム教徒が多数を占めるカシミール・ヴァレーのスリナガルなど各都市では(インドによる)外出禁止令が出されて2日目になるが、数千人がそれに抵抗している。ジャム・カシミールでは1人が衝突で死亡している。

外出禁止令は、月曜日に警察が発砲したために死亡した分離派リーダーの葬儀を前に発令されたもの。

カシミールではこの数年は比較的平穏な状態が保たれていたが、この数日の緊張の高まりで情勢悪化が懸念される。

当局者は、前日の負傷が原因で死亡した2人を含め、火曜日の死者数は14人であると述べた。

今回の外出禁止令はカシミール・ヴァレーの10地域すべてで発令されている。13年ぶりのことだ。

デリーにいるBBCのクリス・モリス記者は、カシミールの分断は危険な水準に達している、と言う。

カシミール・ヴァレーでのデモは、20年近く前の対インド分離運動以来、最大規模のものとなっている。6月に始まった今回の事態で、警官隊との衝突でムスリムもヒンズー教徒も20人以上が死亡し、数百人が負傷している。

火曜日、外出禁止令を無視したムスリムによる抗議行動が複数起こり、治安部隊が発砲した。北部バンディポラ(Bandipora)で行進を解散させようと軍が発砲し、3人が死亡、5人が負傷した。ラスジャン(Lasjan)とライナワリ(Rainawari)でも3人が死亡した。


そして、火曜日からひどく悪化しているこの事態の発端は、月曜日の事件にある。このくだりがこのBBC記事はかなり把握しづらいのだが、だいたい次のようなことだ。

月曜日、LoC近辺で数千人規模の抗議デモがあり、このとき分離派指導者のシェイク・アジズ(Sheikh Aziz)が発砲を受けて死亡した。シェイク・アジズは分離派のアンブレラ組織であるthe All Party Hurriyat Conferenceのリーダーのひとりで、つまりインドの支配に反対する活動の中心人物だった。

スリナガルのメインのモスクでの葬儀には多くの人々が集まり、「自由を」といった反インドのスローガンを叫んだ。

警察(インド警察)は、月曜のデモ隊への発砲の理由について調べるとしている。また、デモ隊からの投石で何人かが負傷したと述べている。

(火曜日の外出禁止令で)、カシミール・ヴァレーの商店、事務所、教育機関はすべて閉鎖され、分離派の指導者たちは自宅軟禁 (house arrest) となっている。


つまり、月曜日に指導者が射殺された件についてはよくわかっていない。おそらくそのうちに「調査結果」が公表されるのだろう。それが「運悪く、警告の発砲に当たって致命傷となった」とかいう「言い逃れ」と解釈されるようなものなら、残念だが、事態はもっと悪化するだろう。

「グルジアの支配にNO」という南オセチアにロシアが出てきたように、ジャム・カシミールにパキスタンが出てこられるとは思わないけれども、そうなったらもう最悪だ。

ヴァレーから離れたヒンズー地域のジャンムでは、ヒンズー教徒とムスリムの衝突が発生しているが、ヴァレーほど激しいことにはなっていないようだ。

また、月曜日のシェイク・アジズらの抗議行動については、次のような説明がある。つまり、カシミール・ヴァレーの果樹農家が、収穫した果物を売ろうとしても、ヴァレーからインドへの幹線道路がヒンズー教徒によって封鎖されているので売ることができず、収穫したものが腐ってきている。それに反対しての抗議行動だ、と。また、ヴァレーでは食糧や医薬品が不足しつつある、とも。

一方でインド政府は道路封鎖を否定し、トラックは2つの地域を警備つきで行き来している、と述べている。

BBCのこの記事では背景に押しやられていてよくわからないのだけれども、そもそもはジャンムの地域でヒンズー教徒がイスラム教徒に対する何らかの妨害をしたのが発端だろうということが何とか読み取れる。(読み、外してないよね。)

で、今回の深刻な情勢悪化のきっかけとなったのは、6月に、ある土地をヒンズー教寺院を運営するトラストに譲るという決定がなされたことだ。これにムスリムが怒り、激しい抗議運動がおきた。結局土地の譲渡は取りやめとなったが、これで今度はヒンズー教徒が激怒。こうして、カシミール・ヴァレーや南部ジャンム付近(ヒンズー教の地域)で抗議デモなどが起きていた。

BBC記者は、インド政府は情勢悪化に気づくのに遅れ、一方で野党は政治的利益のためにすぐに状況を利用した、と指摘している。そしてその結果として、「カシミールの分断」は深くなっている、と。

……あとでガーディアン記事から書き足します。→書き足しました。



BBCのつぎはぎの記事をえっちらおっちらと読んだあとにガーディアンの記事を読むと、事の経緯がよくわかる(まあ、BBCはこれまで継続的にカシミール最新情勢を詳しく伝えてきたわけで、今日の記事がパッチワーク状になっているからといって何、というわけではないが)。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/13/india.kashmir

ガーディアン記事は2パラグラフ目で、今回の事態悪化の発端はジャンムのヒンズー教徒の道路封鎖だと明確に示している。その上で、次のパラグラフでは、インドとパキスタンの関係がまた不安定化するのではないかとの懸念が高まっていると指摘している。ここまでの3パラグラフで「事態の概要」を明確に示した上で、第4パラグラフからあとで詳細に入る。(とてもオーソドックスな書き方なのだが。)

第4パラグラフからしばらく、今回の事態(外出禁止令発令からデモ隊への発砲、シェイク・アジズの死とその葬儀)についての説明がある。死者のなかには地元のジャーナリスト1人も含まれている、とある。(これはあとでCPJに詳報が出るだろう。)

シェイク・アジズが殺されたときについては、次のように書かれている。
Aziz was killed on Monday when police fired into a large crowd of Muslims trying to march to the Pakistani portion of Kashmir in protest at the "Hindu blockade" of the highway linking the Kashmir valley with the rest of India. Mirwaiz Umar Farooq, head of the separatist umbrella group the Hurriyat Conference, told the Guardian that India "should not be surprised at the nationalism of Kashmiris. There has been a facade of normalcy in Kashmir. Tourists coming and mobile phones arriving do not mean that people are not angry."

アジズは月曜日、カシミール・ヴァレーとインドを結ぶ幹線道路が「ヒンズー教徒によって封鎖されている」ことに抗議し、パキスタン管理区域へと進んでいたムスリムの群集に対し警察が発砲したときに殺された。分離派のアンブレラ・グループ、ハリヤット会議の長であるミルワイズ・ウマール・ファルークは、ガーディアンに対し、インドは「カシミール人のナショナリズムに気付いていなかったのだろうか。表面的にはカシミールは異状なしで、観光客も来れば携帯電話も普及した。しかしそれは人々が怒っていないということではない」と語った。


3月のチベットでも、中国側は「私たちのおかげで経済発展しているのに、何を怒ることがあるのだろう」というようなことを言っていた。とてもよく似ていると思う。(こういうのは、かつての「列強」が「植民地」に対し、「植民地支配も悪いことばかりじゃなかっただろう」と言うときとか、あるいは「発展させてやるためにわざわざ行ってやったのに、植民地主義呼ばわりかよ」と言うときとかのロジックと同じなのだが。)

記事ではこのあと数行、ファルーク氏の「独立論」があるが、そこは飛ばして次。

ムシャラフ政権で、パキスタンはインドとの和平プロセスを始めており、インド支配下のカシミールでの紛争 (troubles) について言及することを避けてきた。しかしパキスタンの新政権は昨日、「インドが占領しているカシミールの人々に対し過剰な力を行使した」ことを非難する声明を出し、インド政府を驚かせた。

インドの外務スポークスマンのNavtej Sarnaは、「明らかに内政干渉だ。いかなる点でもプラスにならない」と反論する。


そして、専門家は、カシミール問題がインド亜大陸にとって、国内問題としても両国の国際関係の問題としても、不安定要因となりうると懸念を語る。

"The first thing is the whole event is very undesirable in terms of both the domestic situation and its linkage with the larger bilateral peace process," C. Uday Bhaskar, a senior strategic analyst, said. "I see this will have a bad impact and considering that Pakistan is going through a bad turmoil now, the overall impact on the peace process will not be very positive."


その後は記事の最後のまとめで、今回の紛争は5月に(BBC記事では「6月」となっていたけれども)州政府が100エーカーの土地を、ヒマラヤ山脈のヒンズー教の神殿への巡礼に譲ったことに発端があり、ムスリムの抗議は州政府がその計画を取り下げて沈静化したものの、今度はヒンズーのナショナリストが幹線道路を封鎖した、といった経緯の説明と、「ヒンズー・ナショナリズムの右翼団体がこの件を鎮火させずにいるのではとの懸念を抱いている専門家もいる」といった解説、さらにはマンモハン・シン首相(インド)が昨夜緊急会合を開いたが、たいした進展は見られないようだ、と書き添えて締めくくっている。

※この記事は

2008年08月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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