「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2008年08月12日

グルジア・ロシアの戦争でアイルランドに意外な影響

グルジアとロシアの間の軍事衝突について、双方の陣営から、aggression(侵略)という言葉が出てくるようになった。(これはinvasionなどより数段強い表現で、国際法でいう「侵略戦争」が、war of aggressionである。)

以下、Google Newsから見つけたもの。
... a phone call on Sunday from Dick Cheney, the vice-president, to Mikheil Saakashvili, the Georgian president, in which he said that "Russian aggression must not go unanswered".
http://www.ft.com/cms/s/0/c3508ce2-67d1-11dd-8d3b-0000779fd18c.html

Prime Minister Vladimir Putin on Monday flayed the US for encouraging Georgia’s "aggression" as Russia and the Tbilisi government accused each other of launching fresh attacks ...
http://howrah.org/World/23874.html


そんな情勢のなか、呑気な話になるかもしれないが、アイルランド共和国が思わぬ形で影響をまともに受けることになった。

アイルランドとグルジアは、この9月から開始されるFIFAワールドカップ欧州地区予選で同組に入っている。両国の初戦は9月6日に予定されている――アイルランドにとってのアウェイ、つまりトビリシで。

今日の時点で、南オセチアから南下してゴリあたりまで制圧したロシア軍がトビリシに接近しつつあると報じられているが、9月のトビリシはサッカーの国際試合どころではないような状況になっている可能性は高い。

という次第で、FAI(アイルランド共和国のサッカー協会)が、FIFAとグルジアのサッカー協会に対し、試合会場の変更を要請したことが、今日のBBCで報じられている。

Republic seek new Georgia venue
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/7554789.stm

ちなみに、アイルランドとグルジアが入っている予選グループ8は、両国のほかはイタリア、ブルガリア、キプロス、モンテネグロで、9月6日の試合はキプロスでキプロス対イタリア(こちらは「紛争」が本格的に終結しそうな段階)、モンテネグロでモンテネグロ対ブルガリアが予定されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/2010_FIFA_World_Cup_qualification_-_UEFA_Group_8

※この記事は

2008年08月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼