「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年08月05日

CIRAとは何か、について。

7月28日のエントリ、《【メモ】CIRAが「『戦争』は終わっていないんだよ」と言い、MI5も「北アイルランドのテロ」の脅威を説く》について、「CIRAというのは何か」というご質問をメールでいただきました。とりあえず、そのご質問へのお返事をリライトしたものをブログのエントリとして公開しておきます。

とても雑なものなので、これをベースに何かを書く、ということはしないでいただければと思います。ただし、これを入り口にして、CAIN、英語版ウィキペディアなどの資料を参照してまとめていただくことは問題ありません、というかむしろ歓迎します。そうやってお調べになったものについて書かれた場合には、コメント欄かトラバでお知らせください。



「CIRA (Continuity IRA)」は、いわゆる「IRA」(Provisional IRA; IRA) とは別の組織です。「RIRA (Real IRA)」が「IRA」とは別であるのと同じです。

「IRA」を名乗る諸組織については、まずは「IRAのリスト」をご参照ください。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_IRAs

簡単な解説は、7月28日のエントリの末尾にもリンクしてあるのですが、下記のエントリをご覧ください。

いろいろな「IRA」〜IRBからReal IRAまでの概略@2006年11月06日
http://nofrills.seesaa.net/article/26857689.html

■「CIRA」とは何か:
「IRA」は1920年代(アングロ・アイリッシュ合意と内戦)以降、何度か分派を繰り返していますが、CIRA (Continuity IRA) は1986年にProvisional IRAから分派した人たちです。新しい分派ではありませんが、Provisional IRAや、1998年に分派したReal IRAのように、イングランドでボムってみたり要人を暗殺してみたりという活動はしていないので、「北アイルランド紛争」の文脈でニュースに出てくることはほとんどありませんでした。私も2000年に初めて存在を知りました。

CIRAの分派のコンテクストは、大雑把にはIRAというよりSinn Feinの歴史で見たほうがわかりやすいのですが、中心にあるのは、アイルランドが「統一アイルランド」としての政府を持つまで議会には参加しない、という基本的な方針です。CIRAはそれを堅持すべきという考えです。(ジェリー・アダムズのシン・フェイン、つまり元々はProvisional Sinn Feinという名称だったシン・フェインは、いろいろあって、英国の下院を除いては、議会に参加するようになっています。これはCIRAからは「悪しき妥協」と見なされています。)

「シン・フェイン」でググると「共和主義シン・フェイン」についてのページが検索結果の上位に表示されます。ややこしいのですが、この「共和主義シン・フェイン」は、ジェリー・アダムズが党首をしている「シン・フェイン」とは別の組織です(Googleの検索アルゴリズムはこういう事例には対応できないのだろうけれど、これはちょっとほんとによくないんですよね。検索結果でヒットする文書の質とは関係なく、単に、それは人々が検索している「シン・フェイン」ではないから。そして「それが《違う》シン・フェインだ」ということに気づく人々はおそらくとても少ないから)。

そして、この「共和主義シン・フェイン」がCIRAの政治組織、と言ってよいようです(「共和主義シン・フェイン」ではそれを否定していますが、「共和主義シン・フェイン」とCIRAのメンバーが共通している、などの事実があるそうです)。ただし「共和主義シン・フェイン」とつながりのある武装組織は、CIRA以外にも複数あります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Republican_Sinn_F%C3%A9in

なお、組織名にある「共和主義」はRepublianの日本語訳ですが、シン・フェイン自体が昔っからずっとRepublicanであり(というか、「Republicanといえばシン・フェイン」)、分派がわざわざ名称に「共和主義 Republican」をくっつけたのは、「我々はリパブリカニズムについて一切の妥協をしない」という決意表明のようなものです。ややこしいのですが、「共和主義シン・フェイン」も「シン・フェイン」も、アイリッシュ・ナショナリズム&アイリッシュ・リパブリカニズムの組織です。

■「共和主義シン・フェイン」と「シン・フェイン」の違い:
「共和主義シン・フェイン」の主張を読んでも話はわかりづらいかもしれませんが、要は“「(ジェリー・アダムズの)シン・フェイン」は、元々のシン・フェインの主張から後退し、妥協している、我々は元々のシン・フェインの主義主張を堅持する”、ということです。そして、「共和主義シン・フェイン」と「シン・フェイン」の主張は私のような外部の者から見れば、ほとんどすべて同じです。両者で異なっているのは、中核となる理念や主義主張ではなく、その理念を現実のものにするためにどのような方法を取るか(あるいは「どのような方法が許容されるか」)、ということです。そこで譲れないからこそ、分派したということは理解はできますが、何と言うか……。

■「IRA」という名称:
「なんとかIRA」と“名乗る”組織がいくつもあることについてですが、英語での呼称で接頭辞(?)がついたものは、正式な名称であるというより、むしろ「通称」です。アイルランド語(ゲール語)では、PIRAもRIRAもCIRAもすべて、"Oglaigh na hEireann" (←アクサン記号を省略)と名乗っています。これが「正式名称」です。

例として、PIRAの声明(2005年7月):
http://nofrills.seesaa.net/article/24448559.html
# RIRAの声明も探せばあるはずなのですが、サボります。

■大まかに2つに分類される「IRA」系諸組織:
英国やアイルランド共和国の治安当局は「IRA (Oglaigh na hEireann)」諸組織および「Sinn Fein」系政治組織を大まかに2つに分類しています。

1つは1998年のグッドフライデー合意に賛成したリパブリカンです。具体的には、Provisional IRA(いわゆる「IRA」)とSinn Fein(党首ジェリー・アダムズ)の、いわば「主流派」です。ニュースなどで「IRA」と「Sinn Fein」が出てくるときは、彼らを指します。

もう1つがグッドフライデー合意に反対したリパブリカンで、"dissident republicans"(「非/反主流派リパブリカン」)と総称されています。CIRA, RIRAを含む「IRA系の諸組織」とその政治組織(RSF, 32 CSMなど)はこちらに分類されます(RIRAと32 CSMは1998年の合意に反対してPIRA, SFから分派、CIRAはその前、80年代に分派していますが、理念的に当然グッドフライデー合意には反対)。治安当局(MI5など)も、IMC(北アイルランドの武装組織を監視する「独立監視委員会」。「独立」は「英、アイルランド政府とは別」の意)も、公に明らかにしている範囲では、dissident republicansはある程度まとめて「同じグループ」として扱っています。

で、彼らdissident republicansの動きが活発化していることを英当局は警戒している、というのが、7月28日のエントリで触れたガーディアンの記事の内容です。

ガーディアン記事に添えられている「CIRA」の写真は、記事ページの写真クレジットによると、ロイターの資料写真です。いつのものなのかは調べてもわからないのですが、撮影場所はウエスト・ベルファスト。

ウエスト・ベルファストは「共和主義シン・フェイン」の本部があり(「共和主義」ではないほう、つまりジェリー・アダムズ党首のシン・フェインもそうなのですが)、2006年にはCIRAのグラフィティが街で見られるようになっていたことが報道されています。
http://www.guardian.co.uk/uk/2006/aug/17/northernireland.ireland
"Join the Cira" slogans appear on the Falls Road in Belfast near the offices of Republican Sinn Féin (RSF), the political wing of the dissident republican faction. The main Sinn Féin movement characterises it as "one of the republican micro-organisations ... opposed to the Good Friday agreement [with] little or no support within the community".

Ruari O'Bradaigh, the party's spokesman, told the Guardian earlier this summer that his organisation was attracting "younger people who had not been previously involved" in politics. "I know we are called dissident republicans," he said, "but to be logical it's the Provisionals who are dissenting from the traditional republican position."


■Dissident republicans:
"Dissident republicans" という呼び方は、グッドフライデー合意後に出てきたものです。つまり、何に対するdissidentなのかというと、グッドフライデー合意に対するそれ、ということです。例えば2000年のBBC記事(下記)に、mainstream republicansと対比する形で出てきます。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/773157.stm

Dissident republicansとしてまとめて扱われているグループに入れられていると考えられる各組織の名称には非常に細かいものもあり、組織名を目にする機会があっても私はいちいち覚えていないのですが、大きなものとしては、下記の組織があります。
- Real IRA (RIRA)
- Continuity IRA (CIRA)
資料は www.mi5.gov.uk/output/Page40.html で。

これらに加え、INLA (Irish National Liberation Army) も含めてdissidentsと扱うこともあります。

「北アイルランド紛争」が最も激しかった時期、IRA(つまりProvisional IRA)と激しく対立し、殺しあっていたINLAは、「IRA系」とは別です(根っこは同じであるにせよ、枝としては別)。しかし、1998年のグッドフライデー合意に賛成か反対かで区切ると、INLAはCIRAやRIRAと同じ側に入ります。そして、最近ではINLAがCIRAとつながっているとの報道・報告がいくつか出てきています。

2006年には、IRA系のdissidents(つまり「PIRAの分派」)とINLAが接触していたとの報道がありました。
http://www.guardian.co.uk/uk/2006/aug/17/northernireland.ireland
The breakaway Provisionals in South Derry are reported to have been in contact with the Inla which opposes the peace process.


今年5月に出たIMCの第18次報告書でも、強盗、売春といった組織犯罪活動において「CIRAとINLAが組んでいると思われる」といった記述はありました。なので少なくとも、IRA系とINLAは完全な対立関係ではなくなっているのだろうと思います。詳細はわかりません。

INLAは1972年にOfficial IRA(1969年にProvisionalが分派したあとの「昔からのIRA」)から分派した組織です。彼らの政治組織はIRSP (Irish Republican Socialist Party) です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_National_Liberation_Army
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_Republican_Socialist_Party

INLAは、昨年か一昨年のIMC報告書では「活動できる状態にない」と位置付けられていたこともあったような記憶がありますが(正確なことはご自身でご確認ください)、この5月の報告書ではCIRAとの関係が疑われ、「活動を活発化させる懸念は否定できない」という位置づけになっています。

■「北アイルランド紛争」と武装組織:
「北アイルランド紛争」は、大きなコンテクストとしては、「プロテスタント系」(つまり「ユニオニスト」、「ロイヤリスト」)と「カトリック系」(つまり「ナショナリスト」、「リパブリカン」)の殺し合いで、「プロテスタント系」の武装活動を英国政府が黙認していた(あるいは英国が彼らを「死の部隊」として使っていた)、そして「カトリック系」の武装組織は英国をも標的として「武装闘争 armed struggle」を展開した、ということです。

一方で、「ロイヤリスト」の諸組織(UDA, UVFなど)の間でも、「リパブリカン」の諸組織(IRA系)の間でも「内ゲバ」のような抗争はあります。(「ロイヤリスト」の抗争は2001年から2002年にかけて激化していました。)

「ロイヤリスト」側は、基本的に「現状維持」(北アイルランドは英国の一部である、という状態の維持)を求めているので、例えば「UDAとUVFの争い」のコンテクストは「ギャングのシマ争い」だったりするのだけれども、「リパブリカン」側は「変革」(統一アイルランドの実現)を求めている以上、その内部での抗争は、ロイヤリストよりもずっと政治的なコンテクストがあります。例えば、「段階的に最終的な目標(アイルランド島から英国の支配を放逐すること)を達成する」ことではコンセンサスは取れているにしても、その過程については対立があって、「議会への参加、Yes or No」で分派したり、「和平合意、Yes or No」で分派したり……という感じです。

そして、そういう「内ゲバ」を離れた大きな流れとしては、「プロテスタントとカトリック」の正面からの対立の時代は終わった、という認識が受け入れられています(NI自治議会に議席を有している政党のうち、「プロテスタント」側で最も「強硬」なDUPは、「シン・フェインが自治政府に参加したことはユニオニストの勝利だ」という見解で、「カトリック」側で最も「強硬」なシン・フェインは、「統一アイルランドは武器を使わずに達成することができる、今はその第一歩」という見解)。

それでいて同時に「妥協」への反感(あるいは反対)も顕在化しつつあります。ユニオニスト側では「シン・フェインには断固としてNO」という主義の「強硬派」の政党、TUVがDUPから分派して組織され、ナショナリスト側では「非主流派」が「主流派」を武力で牽制している(象徴的事例としては、デリーでの「カトリックの警官」に対する襲撃があります)。

これが「北アイルランド紛争」の「終わり」の一章の政治的な状況と言ってよいと思います。

で、面倒なのは、こういうのを英国が黙ってみているとは誰も思っていないにせよ、またぞろ英国は「スパイを送り込む」という作戦をとっているらしい、ということです。

今年1月の、シン・フェイン(ジェリー・アダムズのほう)の機関紙の記事から:
www.anphoblacht.com/news/detail/23728
SINN FÉIN has called for an independent, public, judicial inquiry after the outing of a British agent at the heart of 'Real IRA' activities in County Antrim. Faced with the probable exposure of the agent, the British state jettisoned a case against four people arrested after the discovery of incendiary bombs during a house raid in Ballymena in 2005.

つまり、2005年にバリミナで「RIRAに対する家宅捜索」の結果、爆発物所持で逮捕された4人が、公判が始まったあとにいきなり起訴取り下げになった、ということです。彼らはど真ん中の「所持」で逮捕されていたにもかかわらず(ズボンのポケットから爆薬が出てきたのだそうです)。

シン・フェインは例によって「陰謀論」(MI5のセキュロクラットがシン・フェインを陥れるために反シン・フェインの小さなグループを主導している、というもの)全開でこの件について指摘しているようですが、その「陰謀論」はともかく、彼ら4人の起訴取り下げがかなり怪しいということ自体には確かです。

ただしこのあたりは、言うまでもないことですが、基本的にすべてが「情報戦」であり、部外者の素人がうかつに手を出せる領域ではありません。英語でなら情報はあるだろうという話でもまったくないです(何かあったとしても、「語る立場」の政治性というものを抜きに考えることはできない)。

※この記事は

2008年08月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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