kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年08月01日

バリミナ、NI自治議会議員への襲撃【メモ】

バリミナでシン・フェインの自治議会議員が襲撃された。

Republicans attack Sinn Fein MLA
Page last updated at 18:55 GMT, Thursday, 31 July 2008 19:55 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6432399.stm
A Sinn Fein assembly member has been attacked by young republicans in the Dunclug estate in Ballymena, County Antrim.


※BBCがURL足りなくなったのか、大ポカをやりやがったのかわかんないけど、このURLは今回の記事に出てくる人についての2007年のストーモント選挙関連のニュースで使われていたURLで、そのために私のはてなブックマークに入れられないので、ブログに書いておく。

襲撃されたDaithi McKayさんは、2007年ストーモント選挙で最年少で当選した人で、2007年選挙の時点で25歳。

水曜日にバリミナの団地に住むコミュニティ・ワーカーを訪ねたあと、インターンメントの記念行事(たぶん8月9日)のボンファイアをめぐって地域の若いリパブリカンと口論となり、ボコられたらしい。

コミュニティ・ワーカーはBBCの取材には応じたが名前などは出さないよう要請しており、襲撃後は団地から引っ越すことを考えている、と語っている。彼の話では、20人ほどの若者が集まっていた。「20人が900世帯のコミュニティを思うがままにできるなんて」。

BBC記事には暴行の現場をとらえた映像を含むニュースクリップがエンベッドされている。映像では暴行しているのは1人だが(たぶん10代後半)、暴行を受けるマッケイ議員と若者の間に50代か60代の男性が割って入ろうとしてもお構いなしで殴る蹴る。音声によると、コミュニティ・ワーカーは36年間ここに暮らしていて活発に活動している。

彼らがボンファイアに反対しているのは、若いのが「紛争」を口実にボンファイアをおこない、それにかこつけて集まってはいろいろと暴れるから、のようだ。

実際、集まってボンファイアするティーンエイジャーが真剣に「インターンメント」を受け止めているのかどうかはわからない(いないとも言えない)。しかし、コミュニティが「シン・フェイン」と「シン・フェインに反対する者」とに分かれていることは――別の言い方をすれば、「シン・フェイン」が「(若者が反抗すべき)オーソリティ」になっていることは――明らかだ。

さらに深いところはSluggerで。ごくごく短いBBC記事からは想像できないほど背景が複雑らしい上に、コメント欄がすごいことになっているけれど。(捨てハンの観客が「ビールもってこい、このスレおもしれぇ」と書き込んでるほど。別な言い方をすれば「大荒れ」。)
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/the-community-is-totally-opposed-to-this-event/

この事例は、「紛争は終わりました」で地域の「問題」がすべて解決するわけではない、ということを明確に示している。「北アイルランド和平」をあまりに能天気に持ち上げる言説ばかりを読んで/読まされていると、こういう側面を見ることはできない。

なお、コメント欄2ページ目によると、バリミナのこのボンファイアは元々は何年も前にシン・フェインが企画して始めたものだとのこと。そうだとしたら、ものすごいアイロニーに頭がくらくらする。



バリミナといえば、2006年5月に、カトリックの15歳の少年、マイケル・マカルヴィーンが、ロイヤリストの連中に撲殺されるという事件が起きている。
http://nofrills.seesaa.net/article/22305742.html
http://nofrills.seesaa.net/article/22305830.html

彼の葬儀には、「カトリックはふだんサポートしている緑のセルティックのシャツを着て、プロテスタントはふだんサポートしている青のレンジャーズのシャツを着てほしい」という遺族の希望で、学校の子たちが緑と青で参列した。しかしその葬儀を、ロイヤリストのバカ者どもが軽く妨害しようとしたという事態も起きていた。

前提として、「ロイヤリスト」=「ブリティッシュ」であるなかで、他の地域なら単に「威張りくさった不良が我が物顔で暴れている」とでも片付けられそうなことが(片付かないけど)、「ブリティッシュの圧制」と簡単に結び付けられてしまう。何もかもが、あまりに簡単に政治化してしまうし、政治化されてしまう。

スラオさんのコメント欄にURLがあったので、BBCでインタビューに応じていたボンファイア推進派(というか)のリーダーのBeboのページを見たが、彼が参加しているグループに、セルティックのプレイヤーのファンクラブ(ラーションとかボルッチとか)のほかに、"Mickey-Bo" の追悼のグループがある。"Mickey-Bo" は殺されたマイケル・マカルヴィーンのニックネームだ。
http://www.independent.ie/national-news/tears-flow-freely-as-community-mourns-loss-of-wee-mickeybo-97188.html

議員を殴ったhoodの子は、マイケル・マカルヴィーンとほぼ同じ世代だろう。

"Mickey-bo" のニックネームは、2004年の映画、"Mickybo and Me" に由来したものだろうか。
http://www.imdb.com/title/tt0388154/
http://www.irishfilm.ie/reel/reel_6.htm
http://www.paramountpictures.ie/mickyboandme/

この映画は今年2月の「北アイルランド映画祭」で見た。1970年代のベルファストで、カトリックの小学生ミッキー・ボー(ミキボー:ミッキー・ボイルの略)が、プロテスタントの小学生ジョン・ジョーとひょんなことで知り合って親友となり、「こんなところからは逃げ出そう」と言って「ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド」になりきって大冒険、という筋書きだ。もちろん、紛争がベースだから全面的に明るい映画ではない。ふたりの冒険が終わったときにミッキー・ボーを襲ったのは、「紛争」そのものだった。

赤毛でそばかすのマイケル・マカルヴィーンの風貌は、確かに、映画の「ミッキー・ボー」に似ている。



UPDATE@5 August 2008:

Man held over Sinn Fein assault
Page last updated at 21:47 GMT, Monday, 4 August 2008 22:47 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7542155.stm
A 21-year-old man has been arrested in connection with an assault on two Sinn Fein members in Ballymena.

※この記事は

2008年08月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼