◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2008年07月24日

私の家族が「ダビッチ先生」に見てもらっていました、という人のインタビュー。

カラジッチ逮捕の続報(一種の)……

24日付ガーディアンに、ロンドン在住のニック・メディッチさんという人のインタビューが掲載されている。メディッチさんは見たところ30代だろうか、セルビア出身の男性で、両親と妻子がベオグラードにいる。そして、家族が見てもらっていた「代替療法の先生」が、あの「ダビッチ先生」だったという。

'Karadzic gave a massage to my wife and my daughters'
The Guardian, Thursday July 24, 2008
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/24/radovankaradzic.warcrimes
※今日はなぜかガーディアンのサイトが非常に重く、記事につながりづらいかもしれません。

メディッチさんの心境は、下記の部分に集約されているといえよう。
I think a lot of Serbians would disagree with me because of their nationalism, but to me there's no difference between Karadzic and the people tried at Nuremberg. It's the same mindset. It's as if someone like Josef Mengele was our family doctor.

I despise him. And now, not only is he a war criminal, but he's also like a petty crook. I don't feel sorry for him at all.

It's a very weird feeling, though. A bit like when someone finds out that their dad is not their real dad, I imagine. It's very hard to take in. It feels a bit like having a guilty secret come out into the open. In my mind it's very hard to square those two people. I now know they are the same person, but there's nothing to connect them. One is a war criminal; the other is an alternative, hippyish guru.

多くのセルビア人はナショナリズムを抱いていて、私とは意見が違うかもしれませんが、いずれにせよ私にとっては、カラジッチとニュルンベルクで裁かれた人々との間には違いはありません。(彼らの)思考は同じなんです。今回の件は、ヨーゼフ・メンゲレのような人物がが家族を見てくれている医者だった、というようなことです。

私はカラジッチを軽蔑しています。戦争犯罪人であるばかりでなく、ケチなペテン師のような人物です。同情の念は一切ありません。

でもとても変な感じです。父親が実の父ではないと判明したらこういう気持ちかもしれない、と想像はしますが。とにかくすっと受け入れることができないのです。何か暗い秘密が暴露されたような気がするというか。自分の頭の中であの人物とこの人物を一致させるのは難しい。同一人物なのだということがわかってもなお、両者を結びつけるものは何もないのです。一人は戦争犯罪人で、もう一人は代替療法の、ヒッピーのようなグルです。


インタビュー記事によると、きっかけは、2005年か2006年にメディッチさんのお母さんが人から「ダビッチ先生」を紹介されたことだった。お母さんはベオグラードの貿易会社で仕事をしていて、ニューエイジのスピリチュアリズムなど代替療法にはまっている。おそらくその代替療法系の人たちの間で、「ダビッチ先生」が話題になっていたのだろう。

そのとき、「ダビッチ先生」は「アメリカ帰りで、あちらでは精神科医をしていたのだが、ニューエイジにも興味を持っている」という話だったという。これだけでも、まったく嘘八百だとメディッチさんが言うのも無理はない。

ロンドンのメディッチさんはそのことについてお母さんからの電話で知らされた。「とてもおもしろい人と知り合ったのよ。外見はとても変わっているけれど、『変』というか、髪も髭も長くて独特の感じで、考えもとても興味深いの」などと言って、「あなたも是非会うべき」と勧めた、という。

これは日本なら「新宗教」やそれに近いものになるのだろうけれども、セルビア(を含む欧州など)では多分「宗教」という形は取らない。「セミナー」だ。

この電話のあと、メディッチさんがベオグラードに戻ったのは2006年。お母さんの会社に行くと、髭を生やし帽子をかぶったその男が座っていた、という。このときの印象をメディッチさんは、「ヒッピー旅行から帰ってきた人のよう (looking like someone who had been on the hippy trail)」と述べている。(そのまんまだけど。)

メディッチさん自身はこういう方面にはあまり興味がないのだが、なぜ代替医療の方向に行ったのかなどについて、その「ヒッピーのような男」と話した、という。そのときはメディッチさんはふーんと思った程度ではあったが、特に不快な思いはしなかった、という。(つまり、「いかさま野郎」だという印象はなかったのだろう。)それについてメディッチさんは、「振り返って考えるとおかしなことだが、特に何か引っかかるようなことはなかった。目を見ても過去がうかがえるようなところは何もなく、単に身につけているものや髪形などがエキセントリックだというだけで、それ以上の特徴はなかった」と述べている。外見だけでなく話の内容も態度もしぐさも、「典型的なニューエイジの怪しいおっさん」だったのだろう。息子としては、「あーあ、うちの母親、またこういうのにはまったのか。まあ多少金はかかるがそれで気が済むなら害はないだろう」とかいう感じだったのかもしれない。

「ダビッチ先生」は、手かざしによる「生エネルギー」セミナーをやっていて(手かざしか!)、お母さんはそのセミナーに通っていて、「先生はすごい、深いパーソナリティーをお持ちで、とても優れている」と言っていた、という。手かざしをしてもらって体調がよくなったのだろう。お母さんだけでなくお父さんも「ダビッチ先生にマッサージしてもらうと、手から出てくるエネルギーを感じ取れる」と言っていた、という。メディッチさんは、すっかり信じ込んでいた両親について、「本人たちは理性的なのだが、暗示の力というものはそういうものだ」と述べている。そういうところまで含めて「典型的」だ。

また、お母さんの話では、「ダビッチ先生に見てもらった自閉症の子どもが問題を乗り越えて他の子供たちとうまくやっていけるようになった」とか。これはもう「典型的」を超えて、「戯画」だ。

メディッチさんが「ダビッチ先生」について知ったのは、月曜日、ロンドンの職場で上司に「カラジッチの写真を見たか」といわれたときだったという。メディッチさんはガーディアンのサイトを見て、「ちょっと待て、まさかそんなはずは」と思ったという。(そりゃそうだろう。)だが記事には「潜伏中、彼はドクター・デイヴィッド(<英語読みしておきますが)と名乗っていた」とあり、それが決定的だった。メディッチさんはお父さんに電話をした。お父さんは「あれは先生だ」と言ったという。

そしてメディッチさんはベオグラードの妻にも電話をした。あまりにショックを受けて、仕事を早退してしまったという。メディッチさんはこのときまで聞かされていなかったが、「ダビッチ先生」はこの3月に自宅でメディッチさんの妻と7歳の娘2人にもマッサージの施術をしていたのだ。(うは。)セルビアで一般的な「個人の守護聖人の日のお祝い」のディナーに「ダビッチ先生」を招待して、それを夫には黙っていたらしい。(これは夫婦喧嘩になっていそう。)というわけで、「ダビッチ先生」はすっかり、ベオグラードのメディッチさんの家の「代替療法のかかりつけの医師」になっていた。

これは、ロンドンでのメディッチさんの職場の上司や同僚が、矢のような勢いで「ジョーク」のネタにしていそうだが。(^^;)

メディッチさんは、「ダビッチ先生」の正体が判明した今となっては、カラジッチがああいう「職業」についていたことに非常に暗いものを見てしまう、と語る。まず、代替療法には資格は不要であること。それから、すべてが現金のやり取りで済み、銀行口座を開く必要もなければ税の手続の必要もないこと。収入の額は他の誰にもわからないこと。逃亡中の身にはまさに理想的であり、誰かがこういう方法を薦めたのだろうかと考えてしまう、と。

いずれにせよ、永遠に身を隠していることはできない性格だったのではないか、とメディッチさんは言う。最近はテレビ出演もしており、レクチャーには多くの人が訪れるようになっていた。数ヶ月前のベオグラードでのレクチャーには400人が集まった。健康についての雑誌で連載も持ち、代替医療に関心のある人を対象にレギュラーのレッスンも行なっていた。お母さんの話では、最近はかなりナーバスな様子だったという。その「最近」がいつのことなのか、記事の英文からは読み取れないのだが、選挙後だろう。

インタビュー記事は、「彼は最重要手配者リストに載っていた。もしあのヒッピーのドクターが誰なのかに気付いていて、コーヒーに何かを入れていれば……」というブラックジョーク(たぶん)で締めくくられている。

ニック・メディッチさんのご家族のショックが大きすぎて、金銭的にもっと怪しい組織的「ニューエイジ」にすがる、というようなことにならないことを祈るばかりだ。

※この記事は

2008年07月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご両親と妻子が「ダビッチ先生」の「患者」だったニック・メディッチさん、ガーディアンに続いてBBC WorldのTodayでもインタビュー。記事に音声もついています(エンベッド・プレイヤー)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7525217.stm

メディッチさんのお父さんは「ダビッチ先生」が他人の話をちゃんと聞いてくれるということに感銘を受けたそうです(メディッチさんいわく「セルビアでは珍しい」のだそうで)。で、前にテレビでハーグの法廷についてのニュースを見たときにお父さんは「もし手配者が周囲にいたら必ず報告する。それが義務だ」と言っていたのに、「ダビッチ先生」がカラジッチだとわかったあとでは「たとえ知っていても私は報告しなかった。なぜなら彼は友人だからだ」と言っていたそうです。

そして、メディッチさんは「ベオグラードにはこういう怪しい医者だのなんだのがたくさんいて、それが普通になっているのです」とも説明しています。
Posted by nofrills at 2008年07月26日 10:01
私が「ドラガン・ダビッチ」に代替医療の手ほどきをしました、という人がBBCの取材を受けています。

Health guru who says he taught Karadzic
Page last updated at 12:55 GMT, Saturday, 26 July 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7526912.stm

「最初に来たときは浮浪者のような身なりで、非常に悪い状態にありました。自殺するか、さもなくば人を殺すか、というような状態です」と、代替医療の「グル」であるミナ・ミニッチさんは語っています。「長い髪を頭の後ろでひとつに束ね、粗末なコートを着ていて、とてもじゃないけれども彼がカラジッチだとはまったく想像もできませんでした」。

このミニッチさんという人は、様々な形の金属の道具を使って「チャネリング」(「宇宙のエネルギーを人に伝える」というもの)をしている人で、ロシア出身、ベオグラード在住。カラジッチが彼のところに来たのは2005年で、そのときには既にカラジッチは「ドラガン・ダビッチ」になりすましていたとのこと。こうしてカラジッチはミニッチさんの講習を受けることになり、ふたりは意気投合し、カラジッチはミニッチさんの活動について本を書きたいと申し出て、それに喜んだミニッチさんは「ダヴィド」の名前を「ドラガン・ダビッチ」に与えたそうです。こうして「ドラガン・ダヴィド・ダビッチ」になったカラジッチは、自営の「代替療法の先生」になった、とのこと。

一方で、カラジッチが名乗っていた「ドラガン・ダビッチ」は実在の人物で、本人がまったく気付かないうちにIDを盗まれていたそうです。ベオグラードの北に30マイル、セルビア北部の街に暮らす「本物のドラガン・ダビッチ」さんは66歳で元建設作業員。現在は年金暮らしで、庭でトマトを育てたり、伝統的な酒を作ったりして過ごしている平凡な人物で、カラジッチのことは「戦争中にテレビで見たことはある」というだけ。IDは肌身離さず持っているのでどこでコピーされたのかわからない、とのこと。

実際にBBCの記者がそのIDを見せてもらったところ、顔写真以外は「偽物のドラガン・ダビッチ」ことカラジッチが持っていたのと同じだったそうです。

本物のドラガン・ダビッチさんは、カラジッチのおかげですっかり有名人になってしまい、街を歩いていると幼馴染の人たちから「よぉカラジッチ」とか声をかけられるので困り果てている、とか。気の毒すぎます。それ以前に、「IDがコピーされていた」ことの不安はどれほど大きいことか。

カラジッチが持っていたニセの身分証は2000年に発行されており、当時のセルビアの大統領はソロボダン・ミロシェヴィッチ。ミロシェヴィッチはすでに病死しているのでしゃべれないけれども、その配下にある誰かがやったのでしょう。それは今後セルビアの警察が捜査していくことになると思います。そこから、いまだ逃亡中のムラジッチにつながっていくのではとの観測もBBC記事にはあります。
Posted by nofrills at 2008年07月27日 23:55
もうひとつ、この前に出ていた記事:
Secret life of fugitive Karadzic
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7520661.stm

「代替医療の先生」に化けていた間、カラジッチはニュー・ベオグラードの団地に住みながら近所のバー(The Madhouse Barという名前)に通っていたが、このバーのオーナーはAPに対し「彼がうちの店に通っていたことを嬉しく思う、逮捕は残念」などと語っているというから、特に珍しくはないのかもしれないけれども、民族主義な人たちが集まる店なのかもしれない。カラジッチはその店でセルビアの弦楽器を弾き、歌を歌っていたとのこと。

また、「ダビッチ先生」のウェブサイトを作る仕事をした人は、彼のアパートを訪ねたときに「アメリカに住んでいる4人の孫」の写真を見たとAPに語っていて、代替医療の活動をともにしていた40代で黒髪の女性と付き合っているという話で、なんかもういろいろと完璧「なりきって」いたのだ、とのことだなあ。近所の食料品店にもこの女性と一緒に行って、ヨーグルトとかホールグレインのパンなどを買っていたそうです。

近所の人の話では、彼は顔をあわせれば挨拶は欠かさない礼儀正しい人で、服装が真っ黒で髪型があんなで怪しいおっさんだという以外には変なところはなかった、とのこと。

カラジッチが代替医療についての記事を書いていた雑誌の編集長も、「ドクター・ダビッチ」に関しては「頭がよく教養があり、寛容でユーモアのセンスのある人」といった好印象を抱いていて、「家族の何人かはサラエヴォ包囲で死んだと言っていた」とのこと。(これはひどい。)

また、編集長とは政治の話はせず、代替医療と健康についての話ばかりで、ボスニアの訛りはなかった、とのこと。
Posted by nofrills at 2008年07月28日 00:32

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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