「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年07月15日

「ターナー賞の歩み」展に出展されていたアーティストたちの映像作品について

※このエントリには、YouTubeに公式のチャンネルを開設して映像をアップしているアーティストおよびマスコミの提供しているエンベッド・プレイヤーが埋め込まれています。(←ダメモトでおまじない)
- Stewart Home (artist)
http://uk.youtube.com/user/stewarthome
- ITN (TV)
http://uk.youtube.com/user/itn
- The Times (newspaper)
http://uk.youtube.com/user/timesonlinevideo



「ターナー賞の歩み」展に関連して、「ワニ狩り連絡帳」さんのエントリを拝読し、"Memory Bucket" と "the History of the World" のJeremy Deller(ジェレミー・デラー)が、『オーグリーヴの戦い』の人だったことに気付いた。あの人か!(間の抜けた話だが、私の頭は固有名は右から左へ流れがちで。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Deller

「オーグリーヴの戦い Battle of Orgreave」は、1980年代半ばの(つまりサッチャー政権下の)炭鉱ストで起きた大規模な「衝突」だ。Vice magの日本語版に写真と短い解説があるが、カギカッコつきの「衝突」だ(「暴動」を「鎮圧」した、という言い方もできる)。
http://www.viceland.com/jp/v4n1/htdocs/thatcher.php

ガーディアンの2006年の回顧記事。
http://www.guardian.co.uk/theguardian/2006/sep/04/features5

炭鉱ストはこのころ各地で行なわれており、映画『リトルダンサー (原題はBilly Elliot)』のバックドロップにもなっているので、何となくイメージが浮かぶ人が多いのではないかと思う。

デラーは2001年に、当時の炭鉱労働者と警官(とエキストラ)を集めてあの「衝突」を再現した(映像は、directed by Mike Figgis)。その記録映像が、チャンネル4のサイトで見られる(全部で60分くらいの映像だが、ここで見られるのは半分くらい)。
http://www.channel4.com/fourdocs/archive/battle_of_orgreave.html
#PLAY(黄色いボタン)をクリック。

DVDも入手可能。
http://www.artangel.org.uk/pages/publishing/v_deller.htm
http://www.artangel.org.uk/pages/past/01/01_deller.htm

デラーによる「再現」の写真による解説:
http://www.historicalfilmservices.com/hfs%20gallery%202.htm

もっと端的な、文章での解説:
http://www.dfgdocs.com/Directory/Titles/1208.aspx

「アーティスト」と「映画作家」の境目はもとより曖昧なものだが(広義の「アート」には「映画」も含まれるので当然)、この「再現ドラマ」が「アート」として扱われるというのはどういうことか、考え出すとまるでまとまりがつかなくなる。なお、デラーがターナー賞を受賞した作品、Memory Bucketも、「記録/ドキュメンタリー」なのか、「アート」なのか、という二者択一は難しい。

YouTubeにデラーのインタビューがある。(このインタビュー自体が、Stewart Homeという人のアーティスティックな連作インタビュー、London Art Trippingのひとつである。下記の映像はご本人が直接YouTubeにアップしているもの。)
http://uk.youtube.com/watch?v=sGGbrs235Mo


デラーがかつて住んでいたHolloway Rdの家が、1960年代には「ブラックハウス」と呼ばれた「ブラック・パワー運動」の拠点だったこと、その運動の中心となった「マイケル・X」という人は、クレイ兄弟(イーストエンドのギャングで伝説的な存在)とのつながりもあり、当時はその家にはヒッピーもいたこと、ジョン&ヨーコがここで写真を撮影していること(ジョン・レノンはマイケル・Xととても親しかったようだ)、そしてマイケル・Xは最後は殺人罪で出身地のトリニダード・トバゴで刑死したこと。それから話題は変わって、今は自転車屋になっている建物は、The TornadosのTelesterのプロデューサーであるJoe Meekが住んでいたこと、今もここを「巡礼」に訪れる人は多いこと。それから「自分と音楽」の話――この人は、KLFのビル・ドラムンドともつながりがあるのだが、「多くの場合は16歳とかで音楽にのめりこむものだけど、僕は遅くて20代半ばだった」。ライヴハウスではなくクラブに行っていたとか、Blow-Upとか、そういう感じ。1992年くらいだな。それから、Matty Higgsの名前が出てきて、しばらくはその話(彼がどういう人なのか、など)。最後は「移動は自転車で」ということについて。

Stewart Homeの作品は、彼のYouTubeチャンネルとか、公式サイトにいろいろ。下記は例(40秒弱):
http://uk.youtube.com/watch?v=iubaKoY4Wq0

※80年代のインスタレーションのコラージュ。

で、話の流れなので、「ターナー賞の歩み」展に出ていたほかのアーティストの映像類も。

まず。2007年受賞のマーク・ウォリンジャーの受賞@ITN公式(ニュース映像):
http://uk.youtube.com/watch?v=EZgARxpjqs4


プレゼンターはデニス・ホッパーで、途中、テイトでのインスタレーションの映像をはさんで(これが「ターナー賞の歩み」展にあってほしかった)、ウォリンジャーのスピーチ。ここで彼は、作品の元となった抗議行動のたったひとりの参加者であるブライアン・ホーについて、「6年半に渡り、我が国の政府の外交政策に異議を申し立て続けている疲れを知らないすばらしい人物」(ブライアン・ホーは、イラク戦争の前、対イラク経済制裁のときから、国会議事堂前のスクエアで、抗議の座り込みを行なっている)、「英国の最後の反対の声 the last dissenting voice in Britain」と述べ、「英軍を撤退させよ、私たちの権利を回復せよ、国民を信用せよ Bring home the troops, give us back our rights, trust the people」というシンプルなメッセージでスピーチを締めくくっている。

※「国民的行事」であるターナー賞の授賞式で、ここまで直接的に「政府に対する批判」が行なわれていることを、「ターナー賞の歩み」展は、もっと丁寧に扱ってしかるべきだったと私は思う。こういうソーシャル・コンテクストは、2004年以降の受賞作の制作のバックグラウンドとして、絶対に無視できないほど大きな役割を果たしているのだから。

それから、1999年に受賞したスティーヴ・マクイーンの長編映画第一作、Hungerについては、過去に少しだけ書いているのだけれど、改めて、トレイラーを見てみよう。
http://www.rowthree.com/2008/05/22/steve-mcqueens-hunger-trailer/

やっぱこれすごい映画だと思う。「ハンスト」を「語る」ときに、言葉やイズム、精神論じゃなくて身体で見せられると、どうしたらいいのかわからなくなる。家族や近親者との面会時に、ボディ・コンタクトを利用して文書(外部との連絡文書)を受け渡ししている様子も克明に描かれている。

途中で入っている女の声は、説明不要だと思うけどマーガレット・サッチャーで、"There's no thing such as political murder, political bombing or political violence. There's only criminal murder, criminal bombing and criminal violence. (Hear, hear.) There will be no political status."(政治的殺人、政治的爆弾、政治的暴力などというものは存在しない。存在するのは犯罪としての殺人、犯罪としての爆弾、犯罪としての暴力のみである。政治犯としてのステータスを与えることはない)。

映画の背景解説は、前も書いたかもしれないし書いてないかもしれないけど、タイムズの記事が非常によい。
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/film/cannes/article3942076.ece

事実関係の部分を中心に、要点をざっと:
悪名高いメイズ刑務所の中の生活と、1981年のIRA(とINLA←これを書かないのは不正確なので小うるさいけど書きます)のハンガーストライキを取り巻くいろいろな出来事をドラマ化したこの作品は、カンヌの「ある視点」部門のオープニングで上映された。主演はアイリッシュの俳優、マイケル・ファスベンダー(31歳)。彼はボビー・サンズを演じるため、2ヶ月にわたって断食した。

監督のスティーヴ・マックイーンは、IRA(とINLA)の囚人たちがいた刑務所の棟の中の音や光景、においや手触りがどのようなものだったのかを映像にとらえ、書籍や資料ではわからないものを表そうとしたのだと語る。「1981年、私はまだ11歳か12歳でした。当時私に影響を与えたものは3つ。ブリクストン暴動(ブリクストンでの人種暴動、というか黒人たちと警官隊との「衝突」)と、トッテナムのFAカップ優勝と――これはすごくうれしいことでしたが――、そしてボビー・サンズ。彼の顔写真はほとんど毎晩のようにテレビの画面に出ていました。下の方に数字(ハンストの日数)が出ていました。それが焼きついてしまって離れませんでした。……この記憶があり、今回の機会があって、彼についてより多くのことを知ることになった。力強い映画になると考えたのです。」

マクイーンは、リサーチの過程で、元囚人、刑務所職員やメイズを訪問した聖職者と話をしたことを、「私がこれまで生きてきた中で最も精神的に重い経験」だと語る。

彼が脚本を書くのは今回が初めてだが、当初は一切の会話のない映画にしようという構想だった。「しかし、しばらく会話のない状態が続いて、あとは雪崩のように会話がある、というのはどうだろうという着想がわきました。」

実際に、最初の60分はほとんど会話がない。そのあとで、サンズが神父に対し、ハンストの計画の話をする場面が22分、中断なく続く。(などなど)

何度も何度もしつこいんですが、こういう情報を入れれば入れるほど、この映画、きっついと思います。会話なしということは、見ている間、「言葉」に逃げることができない(「逆ゴダール」とでもいうか)。通常の映画なら、やばいと思ったときには「言葉」に逃げることができるし、台詞がない場面なら、ディテール(登場人物の服装、髪型、部屋のインテリアなど)に目をやって、映画と一時的に距離を取るんだけど、Hungerでは登場人物の服装といえば基本的には「裸か毛布(ダーティ・プロテスト)か制服(看守のみなさん)」で、髪型は「伸び放題(ダーティ・プロテスト)か強制的丸刈りか帽子(看守のみなさん)」、部屋のインテリアは「鉄格子か白い壁か、排泄物を塗りたくられた壁(ダーティ・プロテスト)」。ほんっとに逃げ場がない。しかも、トレイラーを見ると、音楽はミニマリズム。いやん。IRA(とINLA)のハンストについてはある程度知っているから、感情移入も(たぶん)できんよ。助けてくれー。と、この映画を目にする機会があるわけでもないのにとりあえず言ってみる。

カンヌのときのタイムズの映画評@Times Online公式:
http://uk.youtube.com/watch?v=zzDbuT7pa0o


このビデオは、タイムズ紙の映画担当、James Christopher の「1980年のメイズがあれほどにひどいことになっていたとは知らなかった。政治犯としての待遇という権利を求めて囚人たちは排泄物を壁に塗りたくっていた。これは中世の出来事ではない」といった率直なコメントで始まる。彼は、映画の白眉は、「22分間にわたるワンカットのシーン」だと熱を込めて語っている。つまり、内容も映画技術でも絶賛だ。だが、「あれほどにひどいことになっていたとは知らなかった」か……年齢にもよるし(当時中学生以下なら関心はなかったろう)、当時いた場所にもよるけれど(労働争議が最大の問題だったとか、連続殺人鬼がうろついていたとかで、海の向こうには関心が向かなかった場合もあるだろう)、実際に、ハンスト前の「北アイルランド」の「密室」っぷりは、相当なものがあったのではないか、と。

1979年9月には、Gang of Fourのファースト、Entertainment! がリリースされて、その1曲目がEtherなんだけどね。
Dig at the root of the problem (fly the flag on foreign soil)
It breaks your new dreams daily (h-block long kesh)
Fathers contradictions (censor six counties news)
And breaks your new dreams daily (each day more deaths)

「シックス・カウンティ(北アイルランド)のニュースは検閲」。

その前年にリリースされたStiff Little Fingersのファースト、7曲目の White Noise は歌詞が強烈で、黒人について罵倒の限りを尽くした後、You ain't no Brits,アジア系(パキスタン人)について罵倒の限りを尽くした後、You ain't no Brits,そして、The only colours we need are red, right and blue という一行をはさんで、「パディ」や「ミック」という "Green" な連中について罵倒の限りを尽くした後、We ain't no Brits. そして:
If the victim ain't a soldier why should we care?
Irish bodies don't count. Life's cheaper over there.

「死んだのが(英軍)兵士じゃなければどうでもよいでしょうって? アイルランド人の死体なんか数に入らない。あそこでは命は安い」。

ハンストについて、ウィキペディア:
http://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_Hunger_Strike



本文で言及した映画・音楽:
EntertainmentEntertainment
Gang of Four

曲名リスト
1. Ether
2. Natural's Not In It
3. Not Great Men
4. Damaged Goods
5. Return the Gift
6. Guns Before Butter
7. I Found that Essence Rare
8. Glass
9. Contract
10. At Home He's A Tourist
11. 5-45
12. Anthrax
13. Outside the Trains Don't Run on Time (Bonus Tracks)
14. He'd Send in the Army (Bonus Tracks)
15. It's Her Factory (Bonus Tracks)
16. Armalite Rifle (Bonus Tracks)
17. Guns Before Butter (Alternate Version) (Bonus Tracks)
18. Contract (Alternate Version) (Bonus Tracks)
19. Blood Free (Live) (Bonus Tracks)
20. Sweet Jane (Live) (Bonus Tracks)

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Inflammable MaterialInflammable Material
Stiff Little Fingers

曲名リスト
1. Suspect Device
2. State of Emergency
3. Here We Are Nowhere
4. Wasted Life
5. No More of That
6. Barbed Wire Love
7. White Noise
8. Breakout
9. Law and Order
10. Rough Trade
11. Johnny Was
12. Alternative Ulster
13. Closed Groove
14. Suspect Device [Single Version][*]
15. 78 Rpm [*]
16. Jake Burns Interview by Alan Parker (13/6/01), Pt. 1 [*]

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ジェイミー・ベル

曲名リスト
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※この記事は

2008年07月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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