kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年07月02日

ザ・ビートルズ、幻のインタビューが発掘され、BBC Radio 4で放送

「蔵からお宝が」とか「押入れからお宝が」とかいった話は世界のどこにでもあるものだが、ロンドン南部のさびれたガレージで見つかった44年前のフィルムの缶の中身は、とんでもないお宝だった、というお話。

缶の中身の記載もなく、開けられた形跡もなく、誰からも省みられず、もう少しで捨てられてしまうところだったこの缶の中に入っていたのは、1964年4月30日に、スコットランドのスコティッシュ・テレビジョンの行なった9分間のインタビューだった。

インタビューを受けているのはザ・ビートルズだ。

Lost Beatles interview unearthed
Page last updated at 14:57 GMT, Monday, 30 June 2008 15:57 UK
By Howard Shannon
Producer, The Lost Beatles Interview
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7477669.stm
(この記事は、放送された番組の内容をまとめたもの)

'Lost' Beatles interview to be heard for first time in 40 years
Jul 1, 2008
http://www.nme.com/news/the-beatles/37768

インタビューの音声は、上記BBC記事にも1分半くらいの抜粋がエンベッド・プレイヤーで上がっているけれど、BBC Radio 4の特別番組 "The Lost Beatles Interview" のなかで、7月1日の13:30からと、5日の15:30からの2回、放送される。番組の長さは30分。
http://www.bbc.co.uk/radio4/

※BBCのラジオの番組は、放送後1週間はオンラインでいつでも聞けるので、7月12日くらいまでは下記から聴けます。(BBCはテレビはUK外からは接続できないけれど、ラジオは問題ありません。)
http://www.bbc.co.uk/radio4/progs/listenagain.shtml#l

下図にあるように、番組名の横のListenをクリックすればプレイヤーがポップアップで立ち上がります。

radio4fab4interview.png

今聴いてみてるけど、プレゼンターがヘレン・シャピロ(Helen Shapiro:60年代に売れまくった女性ポップス歌手→詳細)で、話し声がかっこいい! で、ザ・ビートルズは彼女の前座をしていたのでかなり仲がよかった、という話が、かなりたっぷりと語られます。例えば、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがMiseryという曲をシャピロのために書いたのだけれども、本人がその曲を聞きもしないうちにレコード会社がボツにした、実現していたらレノン&マッカートニーの曲を最初にカバーしたアーティストになれたのに、というエピソード。あと、レノン&マッカートニーが「2曲あるんだけど、どっちをA面にするのがいいかな」とシャピロに相談して、それで "From me to you" がA面、"Thank You Girl" がB面がいいんじゃないということになって、「実はぼくたちもそれがいいかなって思ってたんだよね」、とか(結果は大成功)。

シャピロによると、1964年のこのインタビューはスコットランドでしか放送されなかった。つまり英国でもこのインタビューを見たことがある人はそんなにたくさんはいない。

今回BBC Radio 4で放送されるのは音声だけだけど、今回ロンドンのガレージから見つかったフィルムはテレシネで撮影されたもので、丈夫とはいえないフィルムが残っていたこと自体が驚くべきこと (remarkable) だ、とのこと。ということは映像も(状態はよくないかもしれないけれど)残ってはいるのだろう。

このフィルムを「発掘」したのは、映画マニア(film buff)のリチャード・ジェフズさん。彼がロンドンのガレージにあった64個の無記名のフィルム缶を見つけたときに、それを捨てていたら、そのままこのインタビューは「失われた」ものになっていただろう。フィルムと見たら一応中身を確認してみたくなるようなマニアに発見されたことは、とても幸運だったのではないか。(なお、現在、このフィルムはミルトン・キーンズのちゃんとした所蔵庫で、温度・湿度管理されているから今後はもう心配ないとのこと。)

フィルム缶の中に貼ってあった手書きのレーベル(シール)は、インクも色あせていてとても読みづらかったが、ジェフズさんが解読を試みた結果、1964年のスコティッシュ・テレビの番組司会者の名前が書かれていることが判明。
The hosts were Paul Young and Morag Hood - who presented Roundup, an hour-long children's current affairs programme on Scottish television network STV.

つまり、STVの子供向けニュース・時事番組(『週刊こどもニュース』のようなものか)、Roundupを録画したものだということがわかった。

BBC記事によると、ビートルズがこの番組に出たのはこれが2度目。1度目は1963年1月に、"Please, Please Me" を口パク演奏しているのだそうだ。

ビートルズ史をまとめているJorg Pieperさんによると、ここまで尺の長いインタビューとしては、今回発見されたフィルムが最古のものであるとのこと。つまり、超レアもの。

インタビューの内容は、レノン&マッカートニーのソングライティングについての部分がある(BBC記事にエンベッドされている抜粋にはこの部分が含まれている)。
"Sometimes we write them on old pianos or anything that's lying around, guitars and things. Normally we sit down and try and bash one out," explains McCartney.

"Then again, there's no formula. He [Lennon] can come up with one completely finished, but we still say we both wrote it though.

McCartney also mentions the first song he ever composed:

"We wrote funny songs then - mine was I Lost My Little Girl."


それと、記事のさらに下の方から、インタビューの別の部分の書き起こし:
McCartney and Lennon recall their first meeting when they were 13.

"I was playing at a garden fete in the village where I lived just outside Liverpool playing with a skiffle group," says Lennon. "And he came along and that's how we met."

"I knew one of his mates, Ivan. A mutual mate and he introduced us," adds McCartney.

Asked how the band likes the hordes of screaming fans, McCartney laughs: "We love that ... the atmosphere in the theatres, really it's marvellous."


BBC Radioのプレイヤーで聞いているのだけれど、インタビューの部分はかなり音質がもこもこしているのと(これはしょうがない)、リヴァプール訛りと(これはもっとしょうがない)で、私の耳にはかなり厳しいです。

25分くらいのところでスコットランドのテレビ司会者、ポール・ヤングさんの今のインタビューも入っているのだけれど、北アイルランド関係でいろいろ耳を慣らしているとはいえ、これもちょっと厳しい(でももこもこ音声のスカウズよりはずっと聞き取りやすいかな)。

ってなところで、私はあと何度か聞くと思います。

※この記事は

2008年07月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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