「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2008年06月30日

ブラディ・サンデー事件の残した傷の深さ

Nobody's Heroes by Stiff Little FingersTake a look around you all is dead
A good look around makes me see red
What have they done to us
Taken all the fun from us
We might as well stay all day in bed

―― Stiff Little Fingers, "Bloody Sunday"

デリー出身のカレン・マギガンさんは、この夏、アルスター大学でPhDを取得する。専門分野は心理学。彼女の博士論文は、1972年1月30日のブラディ・サンデー事件で家族を殺されたり負傷させられたりした人の心理状態を調査したものだ。

事件から36年が経過したが、事件が「終わった」と感じている人は誰もいない、というのがカレンさんの論文の結論だという。

カレンさん自身、祖父のバーナードさんを事件で亡くしている。
Bernard McGuigan (41). Shot in the back of the head when he went to help Patrick Doherty. He had been waving a white handkerchief at the soldiers to indicate his peaceful intentions.

バーナード・マキガン(41歳)。撃たれて倒れていたパトリック・ドハーティを助けに行こうとして後頭部を撃たれた。バーナードは英軍兵士たちに対し、白いハンカチを振って平和的意図を明示していた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Bloody_Sunday_(1972)#The_deceased


後頭部を撃たれ、コンクリートの上の血だまりの上に仰向けに倒れたバーナードさんの写真は、ブラディ・サンデー事件を扱った本によく掲載されている。下記はその一例。Eamon Melaughさんの写真。
http://cain.ulst.ac.uk/melaugh/portfolio7/f7p11.htm

バーナードさんの「白いハンカチ」は、この2月に東京で開催された北アイルランド映画祭で上映されたマーゴ・ハーキン監督の『デリー・ダイアリー』の冒頭に出てきた。

カレンさんは、家族に残されたブラッディ・サンデー事件の爪あとから、事件を経験したほかの家族の心理状態の調査をしてみなければと考えた。そして5年をかけて論文をまとめた。

「サヴィル・インクワイアリーが進行していたので、事件の実相が明らかになるのと同時に論文のための調査を進めることができました」とカレンさんは述べている。

この点でもマーゴ・ハーキン監督の『デリー・ダイアリー』と少し共通する点がある。(もちろん、あの銃撃の現場にいたハーキン監督の経験と、カレン・マキガンさんの家族の経験とは、完全には重ならないにせよ。)

カレンさんはこの先も調査を続け、サヴィル・インクワイアリーの最終報告書が出たときに(来年早々にも予定されている)、事件が「終わった」と感じられるかどうかを調査していきたいと考えている。

カレンさんの研究では、あの事件の世代を超えた影響について、トラウマにさらされたことによる心理的・肉体的な結果について、そして『終わり』について調査。調査の参加者は、事件で殺された人たちの直接の家族(兄弟、親など)と二代目の家族、また、事件で負傷させられた人たちで、5年という期間にわたって4度の面接調査を受けた。調査に当たっては一般的に採用されているPTSDの診断基準を採用した。その結果、直接の家族と負傷者の相当数が、PTSDの診断基準を完全に満たしていた。また、下の世代にもPTSDの症状がみられた。

「ご家族に聞き取り調査をした結果、ブラッディ・サンデー事件の影響は今もまだ感じられているということがわかりました。この段階で事件が『終わった』と感じていると回答できた人は誰もいませんでした。事件の影響は深く、健康と生活に対する満足度に影響を与え、世代を超えて引き継がれてもいるということが示唆されています」とカレンさんは語る。

カレンさんは現在、職場の精神衛生の専門家として仕事をしている。

Bloody Sunday families 'still suffering'
Last Updated: 27 June 2008 1:32 PM
The Derry Journal
http://www.derryjournal.com/journal/Bloody-Sunday-families-39still-suffering39.4230809.jp



マーゴ・ハーキン監督の『デリー・ダイアリー』は、できればもう一度見たい映画だ。東京で見たときは、あまりの密度の濃さについていくのが精一杯だったり(事件について、またウィジャリー・インクワイアリについて、サヴィル・インクワイアリについて、中途半端に知っていると、あふれんばかりのディテールに圧倒されるドキュメンタリーだ)、ときどきついていけなくなったりしてしまった。

映画を見て4ヵ月半ほど経って、ようやく、自分のなかで落ち着いてきた(整理されてきた)ような感じもする。

ハーキン監督は確か、サヴィル卿の最終報告書が出たら映画をアップデートするということもおっしゃっていた記憶がある。今の予定通り、2009年初めに出るのだろうか……2004年12月にすべての証人の聞き取りが完了し、2006年夏に出るとか、2007年中には出るとか、いや2008年になるとかいう具合にどんどん遅れて、今のところは2009年初め、ということになっている。

事件の責任者である英国政府は、このインクワイアリーに巨額の費用(国費)がかかったことをやたらと強調している。2005年7月7日のロンドンでの事件についてのパブリック・インクワイアリを行なうべきだとの声に、「パブリック・インクワイアリにはお金がかかるのです。サヴィル・インクワイアリのように」と言い抜けた、ということがウィキペディアに記載されている。こういうふうに「ブラディ・サンデー」という事件が英国政府によって利用されることは、デリーの人たちにとって不快なことだ。極めて暴力的なことだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Saville_Inquiry

※この記事は

2008年06月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。