「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2008年06月28日

ロバート・マッカートニー殺害事件で被告に無罪判決(謎すぎ)

あの「政治化」された殺人事件が、今度は推理小説化してきた。私は別に「推理小説」が読みたいわけではないのだが、向こうから勝手にやってくる。困ったもんだ。

今週、ある殺人事件で起訴された被告に対する判決が出た。無罪判決だった(→Slugger)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7476543.stm
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/jun/27/ukcrime.northernireland

しかしその殺人事件には、ある組織が間接的に関わっており(その組織の命令でというわけではなく、その組織のメンバーが暴れた、ということなのだが)、しかもその組織が警察とは別に「調査(捜査)」を行ない、「容疑者/犯人」を特定していたはずなのだ。

で、起訴された男は無罪? 起訴された男は組織が特定していた「犯人」ではなかったのか?

事件の舞台は北アイルランド、ベルファストである。「組織」はProvisional IRA、つまり一般的に言う「IRA」だ。

事件が起きたのは2005年初めで、IRAの武装闘争停止宣言(05年7月)、武装解除完了宣言(05年9月)の数ヶ月前のことであり、IRAの政治ウィングであると言ってよいシン・フェインが党大会で圧倒的多数の賛成により、「警察支持」という歴史的決断をした(2007年1月)のの約2年前であり、北アイルランド自治政府再起動のセレモニー(2007年5月)という形での「ピース・プロセスの完了」の2年数ヶ月前である。

事件の経緯、というか事件後のあれこれの経緯を振り返っておこう。

2005年1月30日、ひとりの男性がベルファストのカトリック地域のパブで、口論・喧嘩の末、刺し殺された(一緒にいた人も怪我をした)。被害者のロバート・マッカートニーさん(当時33歳)はカトリックで、この事件はセクタリアンなものではなかった(つまり、「カトリック対プロテスタント」の事件ではない)。しかし、この1件の殺人事件はその数週間後には極度に政治化され、「国際ニュース」にもなった。

当時の私のブログでのメモから(オリジナルの文にはいろいろURLが埋め込んでありますが、そのコピーは省略。なお、【 】は転記時の補記):
http://ch00917.kitaguni.tv/e126091.html
事件からだいたい2週間後に大きな展開があった。2月14日,BBCにAdams in appeal to catch killersという記事が出て,このときに私はこの事件があったということを知った。

2月14日のこの記事は,被害者の遺族が「リパブリカンは事件の目撃者に圧力をかけてしゃべらせないようにしているのではないか」と非難したのに対し,「そんなことはない。みなさん捜査には協力してください」とシン・フェインのジェリー・アダムズが呼びかけた,というもの。

事件を報じる1つめの記事の最後の方に,事件の翌日にパブのあるエリアで,捜査にあたる警官が地域の人から瓶やらレンガやらを投げつけられるということになっていたことが書かれているが,これもリパブリカンのエリアでは特に珍しいことではなく,この件についてのリパブリカン側(シンフェイン)の「警官がheavy handedだったから反発が起きた」というコメントも,ユニオニスト側(UUP)の「リパブリカンが組織的に捜査妨害をやっている」というコメントもまったくnothing newである。地域の人々が「捜査に非協力的」であること自体がまったくnothing newである。

しかしこの事件,話は海を越えた。2月14日の記事に次のようにある。
SDLP leader Mark Durkan has said he will share his concerns over the murder of Mr McCartney with US Special Envoy Mitchell Reiss in Washington.

Mr Durkan met Mr McCartney's family on Sunday.

He said the "full force of the IRA has been used to intimidate witnesses and prevent the killers from being brought to justice".


つまり,SDLP党首が米国特使にこの件について話をするというのだ。SDLP党首は遺族と面会して「IRAが全力をあげて目撃証言を封じ込めている」と述べ,米国特使に「残酷な殺人があったが,組織的隠蔽で捜査が進まない」と告げる,という。

ここから動きが加速し,BBCの記事も,「パブでの諍いの末の刺殺事件」にしては異常なほど増えた。遺族はアイルランド共和国(南)の外務大臣と面会したりもしているし,ジェリー・アダムズにも会っている。

2月26日,IRAが3人のメンバーを組織から追放という記事が出る。ここに至るまでの間で,加害者がIRA【のメンバー】で,IRAが組織的に証言させないようにしているという記事がいくつか出ている。……

しかし26日の記事をざっと読んでも,どういう根拠でこの3人が追放されたのかはさっぱりわからない。結果しか書いてないのだ。……

この時点で,【先に】警察が逮捕し【てい】た容疑者(16日に「容疑者逮捕」の記事が出た)は釈放された。この容疑者は警察署に自首したとのことだ。……

2月27日,【プロテスタントの】長老派の聖職者が,カトリックである被害者遺族を讃えたという記事。「パブでの諍いの末の刺殺事件」は何かのシンボルのようになってきた。

3月3日,シン・フェインが党員7名をサスペンド。……

3月4日,ダブリンでのシン・フェイン党大会に被害者遺族が出席。……

同じく4日,BBCにシン・フェインは警察との関係を考えるときではないかという内容の論説。

……

しかし今日3月9日の記事で,私はモニタにコーヒーを噴きかけそうになった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4330445.stm
The family of Belfast murder victim Robert McCartney have rejected an IRA offer to shoot his killers.

The IRA offered to shoot those directly involved in the 33-year-old's death after a row in a bar on 30 January, and has given the family their names.

But Mr McCartney's cousin, Gerard Quinn, said: "I think the feeling is that to shoot and possibly kill these people is revenge and not justice.

"And revenge is not what the family is looking for."

IRAが被害者遺族に「犯人を撃ちますか」と申し出た,ということだ。(遺族は「それは復讐でしかない」としてそれを拒否。)

この、IRAの「犯人がわかりました。こちらで撃っておくこともできますが」という提案があったと報じられたときの声明、全文がSluggerにある。
http://www.sluggerotoole.com/archives/2005/03/ira_statement_i.php

この声明には、「事件には4人が関わっている」とあり、それぞれについて、次のように極めて詳細に述べられている。
One man was responsible for providing the knife that was used in the stabbing of Robert McCartney and Brendan Devine in Market Street. He got the knife from the kitchen of Magennis's Bar.

Another man stabbed Robert McCartney and Brendan Devine.

A third man kicked and beat Robert McCartney after he had been stabbed in Market Street.

A fourth man hit a friend of Robert McCartney and Brendan Devine across the face with a steel bar in Market Street.

The man who provided the knife also retrieved it from the scene and destroyed it. The same man also took the CCTV tape from the bar, after threatening a member of staff and later destroyed it. He also burned clothes after the attack.

そして、
Of the four people directly involved in the attacks in Market Street, two were IRA Volunteers. The other two were not.

The IRA knows the identity of all these men.

つまり、「ロバート・マッカートニー殺害に直接関わった4人のうち、2人はIRAメンバーで、2人はそうではなく、IRAは4人全員の身元を特定している」。

そして、同じ声明文の後のほうで、IRAは4人の名前を被害者の家族に伝えた、と書いている。

ということは、今回起訴されていたのは、IRAが突き止め、家族に名前を伝えた人物で、普通に考えればこの人物が犯人ということになるのだけれども、それがねー、無罪判決なのよ。(3人起訴されていて、3人とも証拠不十分で無罪。)まるで推理小説。背後に「陰謀」がある系の(『ペリカン文書』とか)。

というわけで、「無罪判決」を伝えるスラオさん記事:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/davison-acquitted-of-mccartney-murder/
BBC, ベルテレ、Irish Times(来週月曜日から完全無料化されるそうでめでたいことだ)の報道のまとめ@速報モード。

で、ここにあるIrish Timesの報道:
Ms McCartney said she believed that the PSNI have a wealth of information on the murder but cannot turn any of it into evidence as "fear still exists and as long as it still exists, we won't get justice".

マッカートニーさん(被害者の姉妹)は「恐怖はいまだに現存している。それが続く限り、正義はもたらされない」と述べて、PSNIは事件について十分に知っているにもかかわらず、それを法廷で勝てるほどの証拠にすることができなかったことに憤っておられるのだが、この先はちょこっとニュース読んだ程度の野次馬が簡単にああだこうだ言える範囲ではない。

殺人など凶悪犯罪で警察が特定した容疑者が犯人ではない、というケースは英国の警察ではけっこうあるのだけれど(スラオさんの記事のコメント欄には「スティーヴン・ローレンス事件」のことがちょっと書かれていたりするが)、この事件では容疑者を特定したのは警察だけじゃないからなあ……。

しかしコメント欄の18番目には:
... no-one should be surprised by the media's tone of 'just not enough evidence'. If you followed the trial as you claim - the issue was not lack of evidence, but that the evidence didn't stand up - gougings that never happened, different clothes, haircuts etc. Devine and Gowdy claiming Terry Davison wasn't involved then mysteriously changing their story months later. ...

つまり、「メディアでは『証拠が十分になかった』といっているが、実際に傍聴していたのならわかるとおり、問題は証拠がなかったことではなく、証拠が検証に耐えるものではなかったことだ。ありもしなかったゆすり行為があったとしてみたり、衣類が違っていたり、髪型が違っていたりしていた。ロバート・マッカートニーと一緒にいた友人たちは、被告はやっていないと述べておきながら、数ヶ月も経ってから証言を翻した」という声。このコメントを投稿した人は、コメント欄で少しだけ論争を起こしているのだけれど、まったくの虚偽でこういうことを書いたわけではないということは後に続いている投稿からわかる。

このコメントに対するミック・フィルティ(スラオさんの中の人)のレス:
One of the most curious aspects of this trial has been the reluctance of the defence to call any witnesses. This judgement would appear to focus on the quality of the evidence and the decree to which it could be trusted. ...


これに対する元のコメントの人のレス:
That was the defence's strategy (in Mr Davison's case certainly). Given the quality of the evidence (the Judge referred to Gowdy as having lied in court, that Devine's evidence 'bordered on fantasy' and that witness C had incorrectly identified Mr Davison) is it any wonder? Bear in mind Terry Davison gave a full statement to police where as the other accused remained silent. ...

うーん、どうやら法廷がかなりグダグダだったのだろうなあ。あの「闘い」のあとにこれでは、被害者のご家族があまりに気の毒だ。(←とかいう方向で収斂させるのは矮小化になるかもしれない。でも元々が基本的に「酔客同士の諍い」で、計画的殺人とか政府の陰謀とかIRAの策略とかではないので許されて。)

私はこの事件がここまで政治化されたことが単に意外だったし解せなかったし、IRAに対する政治的圧力のためにこの事件が利用されたことはかなり「やりすぎ」に見えたし(たぶんブレア政権のブレインが関わっている。パウエル本をやはり買うべきか)、嫌悪感すら覚えたし、英国政府、米国政府とシン・フェイン(とIRA)の間にはさまれて、ロバートさんを殺した人物に法の裁きをという活動を続けた被害者の姉妹の方々はとても大変だっただろうと思う(あまりのフィーバーぶりに、「政界入り」の噂まで出たほどだ)。

被害者のロバートさんに改めて合掌。もう3年も前の事件なのか、と思うと同時に、IRAの活動停止&武装解除という大きな出来事をはさんでいるからか、まだ3年なのか、という感慨もある(例えばイラク戦争と並べてみたときにはっきりする)。ニュース記事に出ていた「被害者の写真」でロバートさんの腕に抱かれているお子さんも大きくなったことだろう。たとえ酔っ払い同士の喧嘩であっても、小さなお子さんのお父さんである彼がああいう形で他界したことは、とても悲しむべきことだ。



スラオさんのこの記事のコメント欄が、話題が3つか4つ並行して展開されていてやけに濃いしややこしいのだけど、この事件と関係なく役立つ基礎知識の投稿を抜粋。

コメント6番:
Under the 2003 Criminal Justice Act retrials are now allowed if there is new and compelling evidence for crimes, including murder, manslaughter, kidnapping, rape, armed robbery, and serious drug crimes. All cases must be approved by the Director of Public Prosecutions, and the Court Of Appeal must agree to quash the original acquittal.

つまり、「原則として人は二度同じ罪で裁かれることはないが、2003年のCJAで(議事堂の周囲では無許可の政治集会禁止、ってした例の悪法ですが)、殺人、故殺、誘拐、強姦、武装強盗、重大麻薬犯罪などの凶悪犯罪では、新たに有力な証拠が出てきた場合は、二度目の起訴がありうるということになった」という投稿。(「判事が無罪になった被告に対して『確実な証拠が出てきたら』という話をしているが、二度同じ罪で裁かれるのってありえなくないか」という投稿へのレス。)

それと、コメント2ページ目の17番、今回の公判がディップロックだったことについての話題で:
Legislation that enabled the Diplock system, the Northern Ireland (Emergency Provisions) Act 1973, plus the Prevention of Terrorism (Temporary Provisions) Act 1974, is still in effect. As such a Diplock trial can be initiated anytime a jury cannot be safely selected, the involvement of the IRA or terrorism need not be a factor.

The debate about a sympathetic jury or an intimidated jury really has no bearing, as a safe jury could be selected in any other region of the UK outside of NI (for NI cases). This in large part supports the argument that the Diplock systems is no more than a rubber stamp version of Internment.

I believe the Diplock system is to be used in the prosecution of one of the suspects in the Northern Bank robbery, with an immediate appeal planned to the European Court of Human Rights in the event of a conviction.

これは盲点。1973年のNI法と74年のテロ予防法がまだ効力があるのか。"Police and Justice" のdevolutionの件が落ち着いたらどうなるのかなこれ。なお、最後のパラグラフは……ええと (^^;)

それと、ディプロックについてはミック・フィルティの別のコメントで基本情報へのリンクあり:
Here's the original Dipock report's recommendations: http://cain.ulst.ac.uk/hmso/diplock.htm#2. The first three all deal with intimidation of witnesses. This legal directory defines it as a means of dealing with the intimidation of witnesses: http://www.kevinboone.com/lawglos_DiplockCourt.html.


あと、コメント欄にMickさんが2人いるので、混乱してきます。

※この記事は

2008年06月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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