kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年06月11日

IRAの海外とのつながり

IRAとETAの関係について書こうとしたら、それ以上に広い範囲のことが浅く書かれているページが見つかったのでそっちから。(→6月末追記:6月はいろいろバタバタしてしまい、IRAとETAについてはまだ書けてません。すみません。検索で来られる方がけっこう多くいらして、心苦しいです。)

2001年8月に、コロンビアで「エコツアー」中の「IRAメンバーもしくは関係者」と目された3人(いわゆる「コロンビア・スリー」)が身柄拘束されたときに出たBBCの記事。

このおよそ1ヵ月後にニューヨークとワシントンでハイジャックされた旅客機による前代未聞のあの事件が発生し、「アメリカ」は「テロとの戦い」を宣言するのだが、このときはまだ、「テロ」ってのは「一般のアメリカ人」にはほとんど縁のないものだったはずだ。一方、英国は「IRAは武装解除するのかどうか」で非常にぴりぴりした状態にあった。

あとから振り返ったときに、「IRAがFARCとつながっている」ということが示されたコロンビア・スリーの事件は、それが事実であるかないかによらず(結局うやむやになってしまったのでよくわからない)、「アメリカ」によるIRAのサポートに大きな打撃を与えたとされる(約1ヵ月後の「9-11」事件で示された「テロリズム」の暴力性とならんで)。こっちとしては、IRAとFARCの関係を知らずにサポートしていたのかということに衝撃を受けるのだが、それはまた別の話だ。

The IRA's foreign connections
Tuesday, 14 August, 2001, 19:05 GMT 20:05 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/1490663.stm

※以下、この記事をコピペしてレポートに使おうという人がいるかもしれないなあとちょっと思ったので、微妙に誤りを含めてあったりするかもしれませんが、その点ご容赦のほど。レポートとかで調べものをしている人は、元のBBC記事などをちゃんとご自身でお読みください。

この記事は、導入部で「コロンビア・スリー」について触れ、「しかしながらアイリッシュ・リパブリカンが外国で姿を現したこと自体は何ら新しいことではない」として本論に入る。

そして主題文として、「80年以上前にオリジナルのIRA(マイケル・コリンズらのもの)が出現したときから、IRAをはじめとするアイリッシュ・リパブリカンは外国で支援を求め、またしばしば支援を得た。さらに、革命思想により、IRAのメンバーがアイルランドの(英国からの完全な)独立という自身の目標とはかけ離れたところで活動していることもあった」ということが提示される。

そして、個別の事例の説明に入る。最初は20世紀初頭のソビエトとのつながり、それから1930年代のナチス・ドイツとのつながりの模索について。どちらもうまくいかなかったのでこれは名前が挙げられているだけだ。(ただし、当時のIRAがナチスとのつながりを模索したことは、その後いろいろな影響を及ぼしているのだが。)

それから、IRAを支えてきたのはソビエトだのナチス・ドイツだのではなく、「アイリッシュ・アメリカン社会である」ということが書かれている。
But by far the strongest source of support for republicans has long been the Irish-American community, especially hardliners who played a key role in funding the growth of the Provisional IRA in the 1970s.


IRAの歴史を知らないとこの記述は意味がわかりづらいのだが、IRAは1969年にOfficial IRAとProvisional IRAに分裂した。大雑把にいうと、Officialは昔ながらの左翼思想が核で、Provisionalはアイリッシュ・ナショナリズムが核(分裂後の両者は互いに殺しあう仲だった)。Officialは以後どんどん規模を小さくし、「北アイルランド紛争」(1969年から1997年)において政治的暴力を展開したのはProvisional IRAで、メディアなどで一般的に「IRA」と呼ばれているのはProvisional IRAである。(以下、単に「IRA」と書いている箇所は、修飾語がない場合は「Provisional IRA」を指す。)

分裂前のIRAも、分裂後のOIRAもPIRAも、当初は「ごく一部の過激派」でしかなかった。しかし、1972年1月30日のデリーでの「ブラディ・サンデー事件」などで「自分たちも闘わなければ」という気持ちを固めた人たちが次々と加入、またああいう「英国による弾圧」が世界中のアイリッシュの人たちの怒りにつながり、それが「IRAへのサポート」につながって、IRAは資金面でも人員面でも困らないようになった。

BBCの記事は、「このころ(1970年代)、IRAは初めて、リビアから武器弾薬を入手した」と続く。

手軽に閲覧できるソースとして、英語版ウィキペディアおよびそのソースがあるが、リビアからの供給が最初に行なわれたのは1972年から73年。担当者は2004年に84歳で死去したJoe Cahill(1969年のIRA分裂においてキーパーソンとなったナショナリスト過激派で、後にIRAのChief of staff)で、彼は米国からも武器を仕入れていたのだが、1973年にリビアからの武器を輸送中にアイルランドと欧州大陸の間の海上でアイルランド海軍に押さえられた(裁判で有罪となり懲役3年)。

その後、いったん関係は途絶えていたようだが、1986年4月に米国がリビアを爆撃(西ベルリンのディスコでの爆弾テロで米軍人が2人死亡したことへの報復)、カダフィの幼い娘が死亡したことで、カダフィは、米国を支持した英国に対する攻撃を行なうIRAに再度武器を供給した。リビアからの武器は多くがソ連製だったが、この時期(1980年代)にIRAはリビアのほかにも東欧諸国から武器を入手している。つまり「冷戦」の時代だ。

ただしIRAは決して「東側」や、「西側」内の「東側シンパ」とだけつながっていたわけではなく、前述のとおり、アメリカ合衆国とも直でつながっていたので、IRAの活動について、すべて「東西冷戦」の構図でとらえるのは無理がある。

このあと、BBCの記事は一気に時代が飛んで1990年代、Provisional IRAが停戦した後のことになる。

1994年、Provisional IRAは停戦を宣言し、96年にいったんそれを破棄したが、97年に再度停戦、その後1998年のグッドフライデー合意で、対英武装闘争は終息するのだが、この動きに反対したIRA過激派がProvisionalから離れて別組織を立ち上げ、独自に活動を継続する。それが「非主流派リパブリカン dissindent republicans」と呼ばれている分派で、最も目立つのがいわゆるReal IRAだ。Real IRAは、1997年から98年にかけて、GFAに反対して分派したグループだが、そのずっと前、1980年代にもPIRAの方針に反対して分派するグループはあり、それらも「非主流派リパブリカン」として扱われている。大雑把にいえば、非主流派は「武装闘争継続派」で、2008年の現在もまだ、規模は小さいながら、爆弾やら銃撃やらで闘争だか抗争だか定義しがたい活動を続けている。

で、Provisionalsが停戦していた間も活動していた非主流派は、欧州で武器供給ルートを作ろうとしていた。BBC記事には、2001年、この記事が出る前に、スロヴァキアで非主流派が何人か逮捕されているが、スロヴァキアはロシアのマフィアが武器をさばくのに使われる場所である、とある。また、ボスニアからも非主流派に武器が渡っているとの報告がなされている。

これらは大方、ただの「武器取引」というか、「お金さえ払えばカラシニコフだろうとセムテックスだろうと売りますよ」という話なのだが、コロンビアのFARCとIRAのつながりは、単なる取引ではなかった(らしい)とBBCは伝えている。つまり、拘束されたIRAメンバー(とされた人たち)は、FARCに対し、市街戦の訓練を行なっていた、と。(実際には、その点がうやむやになっていて、2008年の今、何が事実だったのかがよくわからないのだが。)

そして記事は、「左翼ゲリラ」とIRAのつながりについて、次のように書いている。
The IRA has long had links to other revolutionary organisations, whether largely symbolic as with the Palestinian Liberation Organisation and the African National Congress, or, in the opinion of European intelligence agencies, hard cooperation such as with the Spanish Basque separatist group Eta.


つまり、主に「連帯」の理念を表すものとしてPLO(パレスチナ)やANC(南アフリカ)と関係してきた。また、欧州の情報筋は、IRAがバスク分離主義のETAと緊密な協力関係にあると述べている。

記事には、このあとの部分で、「たとえば、IRAとETAの使う爆発物には類似点がある」ということが書かれている。

「爆発物の類似点」については、かなり微妙な話だが、この記事が出た何年も後に、ヒズボラとかイランとかについても言われているが、そもそも、英当局がIRAに送り込んだスパイが、英当局の持たせた設計図を元に爆発物を組み立てていたというのもあるので、まあ、いろいろと微妙。

記事はまたここで歴史的な話に戻る。いわく、1930年代のスペイン内戦(市民戦争)においてリパブリカン(共和主義者)の側に、1918年から21年の対英戦争(アイルランド独立戦争)で闘ったオリジナルのIRA(で、21年の条約に反対し、「アイルランド自由国軍」に入らなかった勢力。映画『麦の穂をゆらす風』のデミアン・オドノヴァンの側)が多く参加している、と。

で、それは歴史的事実としてはあるのだけれども、それと「現代」のIRA、つまりProvisionalsのナショナリズムとがどう関係しているのかは、どうなのだろう。「ああ、左翼思想ですね」みたいに流すのもまた危ういのだが、IRAがその「歴史」を利用してきたことも事実だし、ブライアン・キーナンのようにガチの左翼ゲリラがIRAの中枢にいたことも事実。

BBC記事はこのあと、コロンビア・スリーの逮捕についての警察出身の評論家のコメントと、FARCやIRAの麻薬密売についての疑惑の話になっているが、それらは結局うやむやになっていることなので、「2001年にはこういう話があった」という程度に読んでおくべきだろう。

※この記事は

2008年06月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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