「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2017年06月14日

ロンドンでひどい火災に見舞われているのは「タワーマンション」じゃない。「高層アパート」だ。

ロンドン西部で大変な火事が起きた。燃えているのは24階建ての集合住宅だ。英国ではときどき大規模火災の報道があり、ロンドンでは2011年8月の「暴動」の際に倉庫が燃やされたり商店街が放火されたりしているが、こういう規模の住宅の建物でこういう規模の火災が発生したのは、ネットで普通に英国のニュースに接するようになって以来(つまり1998年ごろ以来)、初めてではないかと思う。

既にウィキペディアンたちが報道などを精査してまとめ始めているので、詳細はそちらを参照されたい。
https://en.wikipedia.org/wiki/Grenfell_Tower_fire

火災にあったのは、グレンフェル・タワー (Grenfell Tower) という集合住宅で、場所はノース・ケンジントン。ロンドンに詳しい人はご存知だろうが、「ノース・ケンジントン」は、一部例外の区画はあるかもしれないが、「ケンジントン」という高級エリアの名前から想像されるような地域ではない。有名なのはポートベロ・ロードの一帯で、ここはかなり前から「ポッシュな住宅街」なのだが(posh, 日本語にすれば「高級な」。「おハイソな」みたいな語感)、ノース・ケンジントンといえば昔は西ロンドンのスラム街で、ロンドンに到着した移民たちが押し込められるようにして暮らす街(のひとつ)だった。20世紀後半には、南部のブリクストンなどと並んで人種間の緊張が大きな地域として知られるようになり(「人種暴動」も起きている)、毎年夏の「ノッティングヒル・カーニヴァル」(カリビアンの人たちのお祭り)の発祥の地でもある。

場所はここ。有名なポートベロのストリート・マーケットの立つ細い通りの1本西がラドブローク・グローブで(Google Mapにはなぜか駅のアイコンがないが、ここには地下鉄と地上鉄道の駅がある)、現場はそのさらに西、地下鉄駅ではラティマー・ロードやホワイトシティの近くになる。



特にソースも参照せずに頭の中にあることだけで書くので、話半分で読んでいただきたいのだが、第2次世界大戦後、行政当局は再開発を進めるなかで、多くの「ハイ・ライズ high-rise」を建設した。「ハイ・ライズ」は「高層建築」の意味の一般的な語で、術語としてはエッフェル塔や東京タワーのようなものにも使われうるが、英国で単にhigh-riseといえば、昨今のテムズ川沿いの再開発で林立しつつある、ロシアや中国のお金持ちがこぞって買いたがるような、日本語でいう「タワーマンション」のようなきらきらしたものではなく、戦後、都市部のあちこちに次々と建設されたようなものに代表されるような、いわゆる "tower block" を指すことが多い。Tower blockとは、「tower型をした、block of flats」の意味だ。つまり「高層建築の集合住宅」である。

1950年代に建てられたそのような高層建築の中には、現在では歴史的な価値が認められ、日本の制度でいう「重要文化財」的なものに指定(Grade IIなど)されている建物もあるが、無骨なコンクリートの塊のような建物は英国では非常に評判が悪く、eye sore (目障り)などと呼ばれている。詳しくはチャールズ皇太子の建築に関する発言をあさってみるといろいろ出てくるだろう。

今回火災にあっているのも、そのような戦後のコンクリート建築時代のtower blockのひとつだ。

https://www.yahoo.co.jp/こんなことを書いていると書き終わらないので先に行くが、今日のこのグレンフェル・タワーの火災について、日本語圏では「タワーマンションで火災」と報じられている。右は14日19時ごろ(日本時間)に取得したYahoo! JAPANのトップページのキャプチャだが(via kwout)、一番上の記事は「英タワマン(=タワーマンション)火災 死者は多数に」と見出しを打っている。

だが、ロンドンについて何かしら知っている人、また何らかの感覚がある人は、ニュース映像などを見て、あの建物を「タワーマンション」とは呼ばないだろう。特に「タワマン」などと略されたら、違和感倍増である。「タワマン」の住民としてイメージされるのは、例えば成功したビジネスマンや個人投資家のような人だろうが、グレンフェル・タワーのようなカウンシル・フラットに住んでいるのは、ほぼ間違いなく、安月給であくせく働く会社員や技術職の職人(塗装工など)のような人たちだ。そういう人たちが、ああいう大規模な火災に見舞われている。

……と、イメージにあう日本語を探してみて思い当たったのが「高層アパート」という表現だ。実際にフィクションなどでtower blockがそう翻訳されている例は多くあると思うが、今、探している余裕はない。うちの本棚に詰まっている紙のどこかに「高層アパート」という言葉があることは間違いないのだが……。











というわけで「タワーマンションで火災」という日本語報道の見出しから、「金持ちが火災にあったのか」などと勘違いしている人がいたら、それは大きな間違いだということをお伝えしたい。そんなことを思うのは、2011年夏の「暴動」のときに、トッテナムの商店街(あそこに店を構えているのはほとんどが個人商店主なのだが)が暴徒に焼かれ、商店が略奪され放題になったとき、「あれは差別された黒人たちの義憤からの行為で、正しい怒りのあらわれだ」として(暴動の発端についてのそういう大筋は私も同意していたし、報告書などを読んだあとでも発端についてのその認識は変わらない)、「燃やされたbusinessは資本家の太った腹である」みたいな珍妙な説を掲げた人が日本語圏のネットで《支持》されていたことを思い出したからである。なお、そのときその人は、「略奪は組織的な犯罪集団によるものだということが報じられている」旨、彼の言い分に疑問を呈した私に対し、「放火の被害者の側に立って弁護するのは体制の味方で云々」的に痛罵した(被害者の側に立って罵倒されるなど、まったく意味がわからなかった)。もうTwitterにはいない人だと思うが、ああいうトンデモが、一時的にであれ、ろくに根拠もないのに《支持》されていたという事実は、私の中にずっと残っている。だから、心配などする必要もないのかもしれないが、もしも日本での報道で「タワーマンションの火災」と聞いて「メシウマ」と思ってる人がいたら、そういうことではないのだということをお伝えしたいのだ。

そもそも、人があんなふうな火災にあうことについて、「タワマンの住民」であろうが、「アパートの住民」であろうが、ひどいことだということに違いはないのだが、そういう「人としての痛み」についての感覚が、今のような分断された社会ではイマイチ共有されていないんじゃないかと常日頃思っているわけで。

ちなみに、私が以前滞在していた地域にあったタワー・ブロック(高層アパート)には、いろいろあって住む人がいなくなったあと、少年ギャングのたまり場となって火災が発生するなどした挙句に取り壊されたものもあるが、難民(難民申請が通った人たち)をまとめて住まわせている12階建てのタワー・ブロックもあった。何かの雑誌の特集で見たのだが、人々の生活をカメラで記録している写真家がいて、その写真家がそれらのタワー・ブロックに暮らすバングラデシュ難民の家を撮影していた回があった。青いペンキが塗られた壁の狭い台所に洗濯物を干す紐が張られていて、Tシャツやキャミソールのようなものが干してあって、その奥から、髪や肌を見せない服装をした痩せた高齢女性がこちらを見ていた写真を覚えている。

今さっきのBBC Newsのトップページ。

bbcnews14june2017.png


一体何人が巻き込まれたのか、想像するだけで気が重くなる。







ロンドン・ブリッジ地区の連続攻撃のとき、救急隊が現場に駆けつけるのに数分しか要さなかったのは、救急隊が有能なことに加え、現場近くの署が閉鎖されていなかったからだ。そんなことを言ったり考えたりしなければならないようなことが、英国では緊縮財政政策のもとで、現実になっている。そのことは、決して、「事態を政治化すること」ではないと思う。保守党の容赦ない削減政策は、今そこにある危機そのものだ。






Update: 日本語圏の報道見出しから「タワーマンション」「タワマン」が消え、「高層」「建物」「高層住宅」「高層アパート」になったようですね。よいことです。


※この記事は

2017年06月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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