「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2024年06月28日

「私が死ななければならないのなら、あなたは必ず生きなくてはならない」展(東京・六本木、WAKO WORKS OF ART, 2024年)

ものすごく久しぶりにこちらのブログの管理画面を開いたのは、今から書こうとしていることは、はてなブログよりも、こちらのほうが適していると思うからだ。

「書く」というより「覚え書きを残しておく」というべきか。

2024年5月17日から6月29日の日程で、東京・六本木のWAKO WORKS OF ARTというギャラリーで、「私が死ななければならないのなら、あなたは必ず生きなくてはならない」という展覧会が開催されている。2023年12月に、ガザ市で、イスラエル軍の標的とされて爆殺された(すなわち「暗殺された」)ガザのイスラミック大学教授で詩人でもあったリフアト・アルアライール教授(以下「リフアト先生」)が、最後にTwitter/Xで一番上に表示されるようにピン留めしていった自作の詩に基いた、というかその詩にインスパイアされた企画である。会期も終わりが近づくころになってようやく、六本木まで足を運ぶことができ、このギャラリーでは「写真撮影可、非営利での利用可」となっているので、撮影してきた写真とその他の情報をここにまとめておこうと思う。

"If I must die" というリフアト先生の詩自体が、米国の「ハーレム・ルネッサンス」の幕開けを告げたクロード・マッケイによる "If we must die" を下敷きにしているという。そして、"If I must die, you must live to tell my story" と始まり、"If I must die, let it bring hope. Let it be a tale" と結ばれるリフアト先生の詩は、世界中の翻訳者によって数多くの言語に翻訳され、街角のミューラルに描かれ、パレスチナ連帯・ジェノサイド反対の抗議行動のプラカードに書かれ、俳優によって朗読され、俳優でない人々によっても朗読され、言葉ではない別の形での表現を触発し、多くの人々の手によって、本当に、taleになりつつある。再話され、アレンジされ、連綿と受け継がれていく物語になりつつある。

展覧会の概要は下記:
https://www.wako-art.jp/exhibitions/ifimustdieyoumustlive/
このたび、ワコウ・ワークス・オブ・アート(六本木)では、2024年5月17日(金)から6月29日(土)まで、オランダ出身の作家ヘンク・フィシュのキュレーションにより、パレスチナ出身の詩人や画家の作品にフォーカスした展覧会『If I must die,you must live』を開催します。 本展のタイトルは、パレスチナの詩人リフアト・アルアライール(1979 年生まれ)が2011年に書いた詩の冒頭部分です。2023年の11月にこの詩をSNSに投稿した彼はその翌月、イスラエル軍の空爆により絶命しました。アルアライールが残したこの詩が、本展全体を通底するメッセージとなっています。
……
世代の異なる作家たちの想いや言葉が響き合う本展を通して、現在もなお苛酷な状況下にあるパレスチナの人々に思いを巡らすきっかけとなれば幸いです。フィシュの出品作のタイトルは私たちに問いかけます。 “Que sais-je?”(私は何を知っているのか?)と。 ぜひこの機会にご高覧いただきたく、ご案内申し上げます。


参加アーティストは、ヘンク・フィシュ、ムスアブ・アブートーハ、リフアト・アルアライール、スライマーン・マンスール、奈良美智。うち、詩人であるムスアブ・アブートーハは壁面の展示はなく、1人1部で配布されているブックレットに詩が掲載されていた(英日対訳)。このほか、書籍や地図も展覧会の一部となっていた。

ブックレットの表紙:
ブックレットの表紙
If I must die, you must live


ブックレットの目次:
ブックレットの目次
CONTENTS
目次

Introduction
Henk Visch
はじめに
ヘンク・フィシュ

6 poems
6つの詩
Mosab Abu Toha
ムスアブ・アブートーハ

Poetry of Resistance
レジスタンスの詩
Henk Visch, Irene Veenstra
ヘンク・フィシュ
イレーネ・フェーンストラ

If I must die
Refaat Alareer
私が死ななければならないのなら
リフアト・アルアライール
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posted by nofrills at 23:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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