「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2022年12月19日

アメリカのジャーナリストたちと一緒に、Twitterアカウントを凍結された件について、経緯を詳しく書いておく。

日本語圏でこんな目にあわされたのは、どうやら、私ひとりのようだ。

米国で、一流の仕事をしているジャーナリストたちが次々とTwitterアカウントをサスペンド(凍結)されていたとき、私も東京で同じ目にあわされていた。理由も、おそらくは同じだ――Twitterを手中に収めてやりたい放題のイーロン・マスクが所有するプライベート・ジェット機の居場所の公開情報を、Twitterにフィードしていたアカウント、「イーロンジェット」が、Twitterを追い出されたあとでMastodonに新設したアカウントのURLを、Twitterに貼ったこと。

私はジャーナリストではないのだが、Twitterではなぜか昔から(遅くとも2009年7月ごろから)「インフルエンサー」と位置付けられている(そのころにたくさんあった「あなたのTwitterを分析します」系のサイトのどれもが@nofrillsのアカウントをそう評価していた。当時はユーザーとユーザーのつながりに「価値」を見出すことが流行っていたので、何かの拍子で流れに乗ってしまったのだと思うが、実際、ベルファスト・テレグラフやエルサレム・ポストのような新聞のメインのアカウントと相互フォローだったりするしね)。今回、こういうことになったのも、おそらくそのことが影響しているのではないかと思う。

今日、2022年12月19日(月)に、イーロン・マスクがまさに朝令暮改というか、朝令昼改くらいのペースで気まぐれに出して気まぐれに撤回した「TwitterではMastodonなど他のソーシャル・ネットへの誘導は、これから禁止な!」というトンデモな方針を、日本語圏では「Twitterでほかのサービスを宣伝すること」の問題と受け止め、「スパムの抑制策」と解釈している人が、どうやら少なくないようだが、お前らの目は節穴ですかと、心底びっくりしている。先週の末、英語圏で何が起きていたか、まるっきり見てなかったのかと。

で、私は英語圏の人々と同じように、マスクの気まぐれに翻弄されてぐったりしてるのだが、今、これを書くためにエディターを立ち上げるほんの1時間くらい前までは、日本語圏でこういう目にあわされた人はほかにもいると信じていた。「信じていた」というより、疑いもしていなかった。「当然、私だけじゃないでしょ」と。

だって、マスクのプライベートジェットの位置情報まとめとか、みんな特に意味なく好きそうじゃん。フライトなんとかっていう追跡サイトもよく参照されてるでしょ、日本語圏でも。

だから、マスクのジェット機についての自動フィードに、「へー、こんなのが公開情報でわかるんだ」的に興味を惹かれ、それについて「Twitterでは見られなくなったようだけど、Mastodonにあるみたいだよ」という情報が流れてきたら、特に意味もなくURLをペタリ、とやった人は私の他にもいるだろうし、そうである以上、私と同じように、マスクのTwitterから締め出された人は他にもいるはずだ、と思っていた。

こういうのも「正常性バイアス」って言うんですかね。

そんなことはどうでもいいんだけど、ともあれ、ロッシェル・カップさんも、清義明さんも「他の例を知らない」とおっしゃっているし、私は日本語圏でおそらくただひとり、マスクの気まぐれに翻弄されることになったようである。ならば、なるべく詳しいことを書いておくのが公益のためになるだろうと思ったので、今、Twitterの自分の投稿のアーカイブをダウンロードしながら、エディターを立ち上げてキーをたたき始めた次第である。

以下、Twitterのことは知ってはいるがTwitterを使ってはいないという方にもお分かりいただけるよう、なるべく詳しく書いていくので、冗長に感じられるところもあるかと思うが、その点はあらかじめご了解いただきたい。

報道等での出典を明記しての引用はご自由にどうぞ。ただし文脈を無視した切り取り・切り貼りはしないでいただきたい。追加の質問がおありの場合、公開の場での質疑のやり取りなら応じますので(公開の場で起きたことですので公開の場でやります)、Mastodonまでお願いします(Twitterは見ないのでTwitterにご質問等いただいても気づかないと思います)。

※当記事の表示について: seesaaブログで、Twitterの埋め込みの表示が機能しなくなっているようです。過去記事のもうまく表示されていません。私が放置している間に何か機能が変更になったのかもしれませんが、ヘルプを見ても全然わからず、もう諦めました。スマホ版なら問題なく表示されているようなので、スマホやタブレットでご覧いただければと思います。お手数をおかけします。

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posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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