kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2021年12月09日

Twitterを「鍵アカ」にすると、「《検索したい語句》from:アカウント名」で自分のツイートの検索をしようとしても、過去1週間分しか表示されない件

先日来、わけあってTwitterをProtected/Privateで運用していた。俗にいう「鍵をかけた」状態だ。

その「わけ」というのは、下記の通り。当方は何やら言いたいことがある人々に所謂「ヲチ」対象として貼りつかれているのだが、その系統で当方についてのデマが拡散されようとしていた。発端は当方自身の発言だが、それを都合よく切り取って「こんな文言を使っているあいつは差別主義者だ」とやらかし、勝手に話を大きくしていくという、おなじみの、というよりもマニュアル通りの手口である。

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で、「何でもいいからとにかくもめごとが好き」という系統の人々が寄ってきて、ことが大きくなるのはいやなので、「鍵をかけ」ることにした。

ふつうに自分で書いているだけなら「鍵をかけていない」状態と特に何も変わらないのだが、当方をフォローしてくれている方々の立場では、当方の発言のリツイートはできないなど、ご不便をおかけしたと思う。また、自分でも、誰かほかのアカウントの発言をQuoteしてツイートする場合に、元発言のアカウントが当方をフォローしていなければ確認もしてもらえなくなるという不便もかなりあった。

それ以上に、Twilogに拾ってもらえなくなるというのが、自分のTwitterのログをしょっちゅう参照している立場では不便なのだが、過去ログの検索は、Twitter検索の「《検索したい語句》from:アカウント名」で意外と代用できてたので(Twitterでは日本語の文字列の扱いがイマイチなので、不便は不便なのだが……例えばハッシュタグにした「#花の名は」は、「花」の検索ではひっかからない、など)、しばらく鍵かけたままでもいいかなと思っていた。

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ところが、鍵をかけてしまうと、自分の発言をTwitter検索することも十分にはできないということが、今回分かった。「鍵アカ」にすると、自分の発言であっても、ずっと昔のTwitterのように、過去1週間分しか検索してくれなくなってしまうのだ。(正確には、検索する日を除いての1週間。水曜日に検索する場合は、前週の火曜日まではさかのぼって検索されるが、月曜日以前のものは表示されない。)

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posted by nofrills at 10:13 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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