kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2020年01月27日

【訃報】シェイマス・マロン

シェイマス・マロンは、1998年グッドフライデー合意 (GFA) のときの写真で一番目立っている人たちの中にはいないが、GFAによって、それまでの自治議会(パーラメント)に代わって設立された自治議会(アセンブリー)で、主導的な立場に立った政治家である。このとき、北アイルランドにおいて初めてアイリッシュ・ナショナリストが政治に参加したのだが、ユニオニスト最大政党だったUUPのデイヴィッド・トリンブルがファースト・ミニスターになり、ナショナリスト最大政党だっがSDLPのマロンが副ファースト・ミニスターになった。

SDLPは党首はジョン・ヒュームだったが、党首と副ファースト・ミニスターは別の人がやるという方針をとり、ヒュームの右腕的な存在だったマロンが副ファースト・ミニスターになった。

この自治議会(アセンブリー)はほんとにいろいろと大変で、最終的には2002年の「スパイ疑惑」(IRAが議会内にスパイを送り込んでいるという疑惑。その事実はなかったことが後に判明した)でサスペンドされてポシャってしまったのだが、そうなる前もいろいろと大変で、ユニオニストは「IRAの武装解除」を強硬に要求し、シン・フェインは例によってのらりくらりとしていて(ロンドン滞在中に山場だったので毎日ニュースでジェリー・アダムズを見ていた時期があったのだが、ひどかった)、SDLP(シン・フェインと同じナショナリストではあるが、シン・フェインとは犬猿の仲である)は結局「北アイルランドの政治」というめちゃくちゃ厄介なものを扱いきれなかった感があった。SDLPは非暴力主義でカトリックのミドルクラスを支持基盤としていたが、GFA直後の数年で、北アイルランドでは「やっぱコワモテじゃないとこの土地はどうにもならんのでは?」というムードが固まって、実際、2003年の選挙では両陣営のコワモテ(DUPとシン・フェイン)がそれぞれの側の第一党となった。SDLPはそれ以降、ずっと退潮傾向にあった。(それが逆向きになってきたかというのがこないだ、2019年12月の選挙だったが、あれはまたあれで単に「強硬派vs穏健派」の物語で語るわけにはいかないと私は思う。)

こんなことを書いてたらまた書き終わらないので先に行くが、ともあれ、マロンはヒュームとともに、2001年に、SDLPのリーダーシップから退いた。2003年の選挙では立候補せず、そのまま政界を引退した。

そして、まあ今なら、北アイルランドでも、引退した政治家が何か発言したのがニュース記事になるくらい注目されるということもあり得るのだろうが、2000年代っていうのはIRAなど武装組織がまだ終わってなかった時期で、最大の関心事は「IRA(やUDAやUVF)の武装解除」で、それを語る人々の発言は注目されたが、SDLPの発言で注目されていたのは、現役の党首(マーク・ダーカン)らの発言だけだったと記憶している。シェイマス・マロンは、その時期の北アイルランド報道を熱心に見ていた私にとっては、「過去の人」だった。

そういう認識を、訃報があってから、改めている。

マロンの訃報が流れたあとに、北アイルランドとアイルランドの政治リーダーたちやジャーナリストがマロンについてどう述べていたかは、ざっくりと日本語にしながら、記録してまとめておいた。下記で一覧できる。
https://threadreaderapp.com/thread/1220809609125851137.html

そして、何人ものジャーナリストが言及していたマロンの自伝(2019年5月刊)を私は今さらだが購入し(出てたことすら知らなかったのだが)、読んでいる。Amazon Kindleで900円程度、楽天KOBOなら700円足らずだ。まだ最終章しか読めていないが(訃報があってから言及されていたのが最終章なのでそこをまず読んでいる)、北アイルランドに関心がある人は読むべき本だと思う。

Seamus Mallon: A Shared Home Place (English Edition) - Mallon, Seamus
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Seamus MallonA Shared Home Place【電子書籍】[ Seamus Mallon ] - 楽天Kobo電子書籍ストア
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シェイマス・マロンは徹底的に暴力に反対していた。誰が行使する暴力であれ、反対していた。だから北アイルランド警察にも英軍にも反対し、IRAなど武装勢力にも反対していた。

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posted by nofrills at 09:36 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【訃報】テリー・ジョーンズ

「スパム・スケッチ」のウェイトレス、「スペインの異端審問」のビグルス枢機卿、「ザ・ビショップ」、「このぉ、ちょんちょん! (Nudge nudge)」される人、カール・マルクス……などなど、TVシリーズ「モンティ・パイソン」でどちらかというとあまり目立たない役が多かったにもかかわらず目立った場合は強烈で、TVシリーズが終わったあとは『ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』などパイソンズのメンバーたちを主役に据えた企画ものの映画やそのほかの映画でメガホンをとった、ガチの歴史家(中世イングランド)のテリー・ジョーンズが、こないだ亡くなった。

ジョーンズは、2016年9月に「原発性進行性失語」という症例の少ない認知症のため、公的な場での発言ができなくなったことを明かしていた。その数年前から症状は出ていて、2014年のパイソンズ再結成の舞台(ロンドン)は、ジョーンズは相当頑張ってやりぬいたのだという。

その後、「言葉の人」だったジョーンズは、ゆっくりゆっくりと言葉を失っていって、そして2020年1月21日に永眠した。その約1か月前には、モンティ・パイソンの音楽のコラボレーターだったニール・イネスが亡くなっていて、「立て続け」にもほどがあるというレベルで立て続け。70代というのはこういうことなんだなと。

ジョーンズの訃報を受けて、英メディアでは大学時代からの親友だったマイケル・ペイリンがメディアのインタビューにたくさん応じていたようで(イングランド在住なのがペイリンしかいないのかもしれない……エリック・アイドルはLAだし、ジョン・クリーズはBrexit後のごたごたに業を煮やしてカリブの島に移住してしまった。テリー・ギリアムはイタリア在住だっけ?)、そこで「いい人」っぷりを発揮するような柔らかい口調でジョーンズの楽しい話をあれこれしていた。認知症についても単刀直入で、「何も覚えていられないんだよね」と告げていたという。



そういったことを含め、ジョーンズが亡くなったことを語る言葉を、英語実例ブログの方に書いてある。下記3件の記事だ。(最近、あちらのブログしか更新していない。あちらは「毎日更新する」という形を保とうとしているので、何だかんだ毎日更新している。その分、こちらがおろそかになっていては本末転倒だが。)特に誰も「ネタ」で発言していないという事実の裏にあるのは、年齢的なことかもしれないが、やはりジョーンズの病気を考えたら全然ネタにできない(ならない)ということなのかなあと思う。

1. 感情の原因・理由を表すto不定詞(副詞的用法), 同格のthat, 主語とbe動詞の省略, 使役動詞(テリー・ジョーンズ死去)
2. 形式主語itの構文, feelを使ったSVCの文, 【ボキャブラリー】a man of 〜 (ジョン・クリーズによるテリー・ジョーンズ追悼の言葉)
3. the moment + S + V, O+S+Vの形の文, 条件を表すif節, 省略(テリー・ジョーンズを偲ぶ盟友たちの言葉)

そうそう、ジョーンズが言葉を失いつつあることを書いた2016年9月のエントリで言及してあったジョーンズ最後の著作(クラウドファンディングを募っていた3部作の3冊目)は、無事、出版されている。下記リンクで直接電子書籍が買えるが、Amazonでも入手できる。
https://unbound.com/books/the-tyrant-and-the-squire/

The Tyrant and the Squire - Jones, Terry
The Tyrant and the Squire - Jones, Terry

追記:
"Monty Python the Flying Circus" のYouTubeアカウントに追悼の特集映像がアップされている。パイソンズのメンバーたちがそれぞれジョーンズのことを語っている映像があり、そのあと、ジョーンズのコメディ映像の詰め合わせ。見たことないのがある。



このYouTubeのコメント欄より:
Finally, he mastered the art of not being seen. RIP


草生えたwwwwwwwwwwwwwwwwww
grass-4068585_1920.jpg

ほかにもこんな言葉がある。


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posted by nofrills at 08:00 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む