私の定義する用語群には収まらない非西洋的な形態の偏見や自民族中心主義が存在した可能性もある。同じ血統を持つ人間だけが自らの文化を本当に理解し、評価できるという日本人の伝統的な信念が、日本生まれの朝鮮人に対する差別を生んだことはその例かもしれない*。別な例としては、植民地支配される前のルワンダやブルンディで、エスニック的に異なる牧養民〔原文ママ〕のツチ族が農耕民であるフツ族に対して封建的形態で覇権を握っていたことがあろう**。
――ジョージ・M・フレドリクソン『人種主義の歴史』李孝徳訳、みすず書房、2009年、pp. 10-11
※参考文献は下記の通り:
* Kosaku Yoshino, "The Discourse on Blood and Racial Identity in Comtemporary Japan," in The Construction of Racial Identity in China and Japan: Historical and Contemporary Perspectives, ed. Frank Dikotter (London: C. Hurst & Co. (Publishers) Ltd, 1997), pp. 199-211.
** Philip Mason, Patterns of Dominance (London: published for the Institute of Race Relations [by] Oxford University Press, 1970), pp. 13-20 を見よ.
![]() | 人種主義の歴史 ジョージ・M・フレドリクソン 李孝徳 みすず書房 2009-12-19 by G-Tools |
George M. Fredricksonによる原著は2002年にプリンストン大出版局から出ており、2003年にペーパーバック化されていて、現在は電子書籍でも読めるようだ(AmazonのKindle版あり)。Amazonのページでは「なか見検索」があり、上で引用した部分(「序文」の終盤より)は原文で読むことができる(ペーパーバック版のpp. 10-11)。
![]() | Racism: A Short History George M. Fredrickson Princeton Univ Pr 2003-07-02 by G-Tools |
引用した部分の直後で著者フレドリクソンは「というわけで、人種主義というのは西洋固有の問題ではないのだが、この本では西洋の植民地主義系の人種主義だけに話を絞る」ということを宣言している。そうしてこの本で扱われるのは、「白人至上主義 white supremacy, white nationalism」と「反セム主義 antisemitism」である(後者は、1819年に生まれ1904年に没したヴィルヘルム・マールというドイツの著述家・思想家の造語であることが、同じ本のp. 78に書かれている)。
本書の結論は、ものすごくがっさりと言うと、それらの「人種主義」は20世紀で終わった(少なくとも、「21世紀には伸びしろはない」)というものだ。それが妥当なのかどうかは実際には疑問だし(#BlackLivesMatter)、それに「白人社会が築き上げ、内面化してきた人種主義」をもって「人種主義一般」とすること自体がracistな態度だと思うが、フレドリクソンは2008年に亡くなってしまっているので既に反論機会を持たない。
というわけで、2015年の今読むと、いろいろと疑問や違和感を覚えることもあるかもしれないが(実際、英語版のAmazonのレビューには批判的なものもある)、(少なくとも英語圏で語られている)「人種主義」についてのパースペクティヴを得るには必読と思う。例えば映画 "12 Years a Slave" で描かれた(「黒人」同士の人と人のつながり、ヒューマニティが不在になるほど激烈な)人種主義がどのようなものなのか、この本を読む前と後では見えるものが違ってくるのではないか、という本だ。
――以上、別件のために書きかけたブログ記事の一部を含めてある。
書きかけのものを完成させず、とりあえず本記事をアップしておくのは、次のようなものを見かけたからだ。フレドリクソンの扱っている「人種主義」とは文脈が異なるし、私が書こうとしていた別件とも別の話なのだが、たまたま見かけた「言葉で語られている《物語》」から、冒頭に引用した部分を思い出したのである。
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