「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年05月26日

ピーター・ロビンソンが倒れた件と北アイルランドの政治ニュース、続報(退院まで追記)

現地月曜の朝、ピーター・ロビンソンが倒れて病院に搬送されたこと、心臓発作と思われるということは既に書いたとおり。

その後、ロビンソンは心臓手術を行い (underwent a procedure)、そのままロイヤル・ヴィクトリア病院(RVH)にいる。手術の内容は、病院は「プライバシーの尊重」と言うのみだが、ステントを入れたのではないかという話。となるとしばらくは休養が必要になるが、その間のファーストミニスター代行については、当初、前回2010年1月のロビンソンの一時離脱時(自身の不動産疑惑と妻の口利き疑惑……というより妻が19歳の愛人を囲ってた騒動+彼に便宜を図っていたのではという疑惑)に代行をつとめたアーリーン・フォスター(まだ40代の女性政治家でなかなかのやり手のよう)が立つという話もあったものの、ナイジェル・ドッズが出てきて「決まってません」ときっぱり

本当に何の前触れもなく「大一番」(ストーモントの議会での福祉法案の審議)の直前にリーダーが倒れたので、DUPがしっちゃかめっちゃかになっている様子だ。うっかりするとシン・フェインの策に……あ、ええと、「そういうこと」が言いたいんじゃないですが (^^;)

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アイルランド共和国における「婚姻の平等」の実現について、現地のことばとハッシュタグ、写真など。

25日付で急遽「アイルランド共和国」と「北アイルランド」は別で、ましてや「アイルランド共和国」と「英国」とはまったく別で、そして「北アイルランドでは何も進展なんかしていませんよ」ということをざっと書いたために遅くなってしまったが、アイルランド共和国における婚姻の平等(同性結婚合法化)のレファレンダムについて、現地のことばとハッシュタグ、写真などをまとめておいた。

アイルランド共和国の同性結婚合法化…「他の誰かの幸せ」と「国の制度」と「価値観」と。
http://matome.naver.jp/odai/2143256986079242401


相当本気で作ってあるんで、読んでみていただきたい。

アイルランド共和国での同性愛者への差別撤廃(1993年までは「犯罪者」だった)の最大の功労者のひとりであるデイヴィッド・ノリス上院議員のことば。レファレンダムの最終結果が出る少し前のインタビューでの発言だ。

この国で同性愛者が平等になるときがついにすぐそこまで来ているのです。ただ私には少々遅すぎました。先日もお話ししましたが、私は何とか船を押し出そうと一生懸命になっていて、自分でその船に飛び乗ることを忘れてしまっていた。今やその船は港を出て、大海原に乗り出してしまいました。でも、そういう光景を眺めているのは、とてもよい気分です。

http://matome.naver.jp/odai/2143256986079242401/2143259824791425003


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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