「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年04月27日

プロパガンダ映像で「もっと早くに来ていればよかった」と語る若い医師……「医療の充実」があの暴力集団の正当化に用いられている。

プロパガンダ映像の中で「みんなもおいでよ」と呼びかけている若い医師がFBのページに残しているのは、「ごく普通の西洋人の若者」の顔だという。好きなテレビ番組は、アメリカのテレビマンガのFamily GuyやAmerican Dad、アメリカのシットコムのHow I Met Your Mother……趣味はサーフィンやキャンプ。アバター(アイコン)はウェットスーツを着てサーフボードを小脇に抱えている笑顔の青年だ。

先日、「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)が、その支配域における「医療の充実」を宣伝するビデオをアップした。私は現物は見ていないが、報道記事によると、ISIS系のソーシャル・メディアのアカウントで流されているその映像は、「まるでドラマのオープニングかと思うような作り方」がされたスタイリッシュなものだそうだ。ISISのプロパガンダ・チームが英国出身なのだろうけれど、英国の国民健保、NHS (National Health Service) をパクったようなロゴで、ISHS (Islamic State Health Service) の存在を誇示し、設備も整い、ぴかぴかに手入れされた(おそらく)ラッカの総合病院の各診療科を、複数の医師が順繰りに紹介してみせているそうだ。

Islamic State NHS-style hospital video posted
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-32456789
24 April 2015

このビデオに出てくる医師のひとりが、オーストラリア人だという。「アブ・ユーセフ」と名乗るこの医師は、「これが僕のジハード」、「もっと早くにISISに加わっていればよかった」と語り、西洋諸国の医師や医療関係者に対し、ISIS加入を呼びかけている。

The Australian doctor, who calls himself Abu Yusuf, says he travelled from his home country to join IS and is using his medical skills "as part of my jihad for Islam".

He is shown treating newborn babies in incubators, in a section of the video set in the hospital's apparently well-equipped paediatric ward.

Speaking directly to camera, he says he wished he had joined IS sooner. He calls on doctors and other medical professionals in the West to join the group.


あからさまな「勧誘」。「このきれいで立派な病院で、君も大義のために自分の能力を生かさないか?」という誘いだ。

この「アブ・ユーセフ」医師が誰であるのかがわかったと、IBTが豪州の報道をまとめて伝えている。


【続きを読む】
posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チェコのリバタリアンが、「マイクロ国家を作った」と聞いて(リバタリアニズムは米国製)

10年ほど前(主要な関心事が「イラク戦争」だったころ)だと思うが、ネットのフォーラムかブログ(and/or コメント欄)かメーリングリストのような個人が発言をする場で、チェコ共和国の人が「ソ連と社会主義を否定するあまり、思想的にアメリカかぶれに傾いている現状」について書いていたのを読んだことがある。いわく、人々は「ソ連は絶対悪」であり、したがって「アメリカは絶対善」であるという粗雑な二元論で、コカコーラとマクドナルドと、"Greed is good" (当時、そういう標語があった。"Think locally, act globally" というのと対置、あるいは並置されるように)を危険なほど無批判に受け入れていると。アメリカの消費主義・資本主義をそれ自体評価して受け入れるのではなく、ソ連を批判するためにアメリカを崇拝するのが当たり前だという前提がある、という内容だった。国際的に、GWBの「あれか、これか」論法("Either you are with us, or you are with terrorists")が「わかりやすい」と評価され、「リーダーシップを発揮」することが一種のドグマ化していたころのことだ。チェコ共和国はイラク戦争をいち早く支持していた(今確認すると2003年1月末の時点で「支持」の共同声明を出した欧州8カ国のひとつだった)。

その話の流れの中でだったと思う。チェコは「自由主義(リベラリズム)」ではなく「リバタリアニズム」が、無視できない影響力を有していると知らされたのは。

リバタリアニズム (libertarianism) とは:
他者の自由を侵害しない限りにおける、各人のあらゆる自由を尊重しようとする思想的立場。自由主義が20世紀以降、個人の社会的自由の達成ために、私企業などの経済的自由の抑制や、福祉などによる富の再分配を是認してきたのに対し、それらをも最小化すべきとする。自由至上主義。完全自由主義。(「デジタル大辞泉」)

※辞書のこの定義からは、「直接民主制」への絶対的な信奉(「代議制」、「議会制民主主義」の否定)という要素が零れ落ちている。「俺らの知らんところで、俺らの生活に関わることを決めるな」というリバタリアンの主張は、分析したり解説したりするときには軽視しすぎないほうがいいと思う。それと、この「思想」が「アメリカのイギリスからの独立」にルーツを持っていることも、きわめて重要だと思う(つまり「ボストン茶会事件」。2009年に始まったアメリカの「ティー・パーティ運動」がリバタリアンの思想の最もわかりやすい例といえる――それが「思想」と呼びうるものであれば)。

チェコであれほかの国であれ、ナチス・ドイツに組み込まれてしまったことのある国では、全体主義に結びつきうる「国家の権威・権力」への警戒心が高い、というのは想像に難くなかった。また、冷戦の世界秩序の中で「共産圏」の側に組み込まれていた東欧諸国は、さらに「個人の自由と国家の統制」についての考え方が、深い部分で「西側」とは違うのだということは、ポーランドからの報告でも読んだことがあったと思う。2000年代半ばは、イラク戦争と同時に、EU(欧州連合)において超国家的な(国家の上に、さらに個人の意思とは無関係の)「権威」を明確に形作ろうとする「EU憲法」が大きな関心事で、これら「リバタリアン」的な傾向を有する理念が人気の国々では、この「署名だけで終わった」(未発効)国際条約に対する態度・判断は、最終的に国民投票でNonの結論を出して「EU憲法」を葬り去ったフランスやオランダ以上に、はっきりと拒絶的なものだったかもしれない(ハンガリーなどは国民投票ではなく議会での批准手続きをとったし、チェコは最終的に批准の手続きとしての国民投票を中止してしまったので、推測の域を出ないが)。

【続きを読む】
posted by nofrills at 19:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む