「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年04月09日

ISISによるフランスのテレビ局へのサイバー攻撃について、そして改めて「彼らの中には技術系の専門家がいる」という事実について

8日(現地時間)、フランスを拠点とするフランス語国際放送の衛星・ケーブルテレビ局、TV5Monde(テヴェ・サンク・モンド)が、pro-ISISのハッカーたちによるサイバー攻撃を受け、Facebookが乗っ取られてプロパガンダを流す場として利用され、またどういうことなのか詳細はわからないが、衛星放送もできない状態にされた、ということがあった。(わかっているのは、Pro-ISISであるということと、以前のpro-ISISのハッカーたちと同じ画像を使っているということくらいで、そのハッカーたちがISISの支持者なのか、それとも組織のメンバーなのかはわからないし、つまり「支援者の勝手連」的なものなのか「組織のセル」的なものなのかもわからない。)

攻撃者はまた、米国主導の対ISIS軍事作戦に参加しているフランスの軍人の(本人ではなく)親族の個人情報(と攻撃者が述べているもの)をまとめてどーんとウェブに公開もしているとのことで、少し深刻に受け取っておくべきかもしれないと思う。フランスでは行政もかなり慌てている様子だ。

これについて、攻撃の発覚から報道、局の説明などのツイートをアーカイヴしておいた。日本語圏と英語圏の報道の要旨も添えてある。

フランスのテレビ局が、ISIS(イスラム国、イスラミック・ステート)支持者のサイバー攻撃を受けた。
http://matome.naver.jp/odai/2142855281300186801


攻撃対象とされた局は、ウィキペディア(英語でも日本語でも)を見ても何か大げさな文言で宣伝っぽいなあという印象が先に立ってしまい(「世界で4番目の規模を誇るテレビチャンネル」と言われても……)、実際にその放送を見たことがない私では漠然としたイメージしかつかめないのだが(新聞でいえば「タイムズ」なのか「デイリー・エクスプレス」なのかがわからない。どういう人が何を目的に見ているのか、どの程度見られているのか、など)、今回の攻撃の影響の大きさについては:
For three hours on Wednesday night, between 10pm and 1am, all broadcasts were brought down in a blackout by hackers claiming allegiance to Isis. The hackers were able to seize control of the television network, simultaneously hacking 11 channels as well as its website and social media accounts.


先日、日本語圏でもウェブサイトが改竄され、"Hacked by Islamic State" というメッセージが画面に出てくるということが多発して、警察が注意喚起を行なうという事態が発生したが、今回のフランスのテレビ局に対する攻撃はそれとはまるで異なる。

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posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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