「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年04月06日

北アイルランド、まだ活動を継続している武装組織によるイースター蜂起記念行事は、完全に無風だったわけではないとの報道。

先のエントリで書いたことが不正確だったので改めて。

「不正確だった」ことがわかったのは、さっきベルファスト・テレグラフのトップページをチェックしたときである。



orz...... まだやるんか

としか反応できないのが正直なところだが。


北アイルランドのニュースから、"show of strength" (強さ・武力の誇示)というフレーズが消えて久しい。Provisional IRAは停戦していてもUDAやUVFが(特に12thの時期に)活動していたころ(IMCが監視していたころ)は、よくニュースに出てきていた。懐かしいなあ……ではなく、もういいだろうという気分だ。Bel Telさんでもついにdissident republicanではなくdiehard republicanという表現が飛び出しているあたり、いろいろ察してしまう。

何があったかというと、4日の土曜日(グッドフライデー翌日)に、ラーガンのSt Colmans GraveyardでContinuity IRAの「軍事パレード (show of strength)」が行なわれ、ガン・サリュートが行なわれたということだ。

が、"Lurgan" で検索してもBelTel以外は記事が出てこないので(ラーガンの地域メディアでさえ取り上げていない)、要するに「スルー推奨」ということかもしれない。それでも、2015年のイースターにこういうことが行なわれていたということは事実なので、一応書いておこうと思う。

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「発言するならこのくらいのことは知ってて当然」、「先行研究くらい踏まえるべき」が、イマイチ通じない。

「物を知らないにもほどがある」ってことなんですけどね。

テレビとか新聞とかに発言の場を持っていて、「知識人」とか「論客」とか「社会派」とか「ご意見番」などと見なされている/呼ばれているような人について、「それについて発言するのなら、このくらいのことは当然、前提としているだろう」ということがある。何も分野違いのこと(例: 「英文学者だって、元素周期表くらいは覚えてますよね」)や、一般教養的なこと(例: 「シェイクスピアの名前くらい誰だって知ってますよね」)ではなく、その発言者の立場ならば、当然知っているだろうと見る側が想定しているものがある、ということだ(例: 「英文学者ならばシェイクスピアは当然踏まえてますよね」)。

しかしそれがそうでないこともある。「えっ、そんなことも知らないんですか!」と、テレビを見ていたり新聞を読んでいたりする人が「知識人」に呆れかえることになる。上の例でいうと、英文学者でシェイクスピアを踏まえていない人が、英国の文学史について語っちゃっていれば、見ている側は呆れる……というかガッカリするだろう(英文学は広範なので、シェイクスピアは分野が違うんですよー、ということはあるかもしれないが)。期待が大きすぎてそうなることもある。「ねーねー、英語、できるんでしょー?」っていう人(「英語ができる」=「辞書がいらない」だと思い込んでるレベルの人)から不意打ちで彼女の分野の専門用語を英語でどう言うかと質問され、「辞書を見ないとわからない」と答えて白眼視され、「辞書見ていいんなら、私だって英語できるよーwww」と嘲笑されたことがある。

個人的には、日本が国連安保理の常任理事国入りを目指すとかいうことで小泉首相(当時)が熱弁をふるっていた時期に、テレビ番組でコメンテーターとして出演していたあるベテラン・ジャーナリストが、どう考えても安保理の基本的な仕組み(常任理事国と非常任理事国とか、常任理事国の拒否権とか)を知らずに適当なことをしゃべっていて、司会者(アナウンサー)が冷や汗をかきながらそういった基本をそれとなく解説する(ベテラン・ジャーナリストに向かって「あなたの意見は前提が間違っている」ということを伝える)という場面を見て、ぽかーんとしてしまったことがある。そのジャーナリストが「私も専門外なのですが」という態度だったならわかるが、「その分野についていっぱしの知識があって語れちゃう人」として出てきていて、壮絶な基礎知識不足を露呈していたんである。

そんなときにそのジャーナリストに対し、「貴重な公共の電波で中学の授業みたいなことするなよ。そのくらい勉強してから出てこいや」と(多くの場合乱暴な言葉遣いで)思うか、「あなたの思い込みのおかげで、改めて基本が確認でき、それが周知されました。感謝」みたいな(「起きていることはすべて善」的な)ことを思うか、という大まかに2通りの反応がある。

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posted by nofrills at 12:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダブリン、99年目のイースターで式典が行なわれている。

ぼーっとしていたので気がついていなかったがイースターだった。





We declare the right of the people of Ireland to the ownership of Ireland and to the unfettered control of Irish destinies, to be sovereign and indefeasible. The long usurpation of that right by a foreign people and government has not extinguished the right, nor can it ever be extinguished except by the destruction of the Irish people. In every generation the Irish people have asserted their right to national freedom and sovereignty; six times during the past three hundred years they have asserted it in arms. Standing on that fundamental right and again asserting it in arms in the face of the world, we hereby proclaim the Irish Republic as a Sovereign Independent State, and we pledge our lives and the lives of our comrades in arms to the cause of its freedom, of its welfare, and of its exaltation among the nations.

http://en.wikisource.org/wiki/Proclamation_of_the_Irish_Republic


この「アイリッシュ・リパブリック(アイルランド共和国)」は実現していない。こんにちあるのは、「リパブリック・オブ・アイルランド(アイルランド共和国)」である。

この宣言から、来年(2016年)で100年になる。来年の「イースター蜂起100周年の行事」は、大きく注目されることになるだろう。

以下、今年の行事のログ。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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