「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月27日

エアラインが採用時に精神的健康チェックを行なっていても、「意図的に墜落させる」ということが起こりえる、ということ。

ジャーマンウィングス社の飛行機が墜落した件は、機長がトイレに行っていた間にコクピットで1人になっていた副操縦士が、トイレから戻ってきた機長を締め出した状態で、意図的に山に激突したと考えられると、墜落現場のフランスの検察当局が述べた。

それが明らかになってすぐに、私が見ていたニュースサイトのフィードはそのニュース一色になったが、その前にすでにそういう話が出ていた。




……ということを聞いてすぐに思い出したのが、「心身症」という言葉を社会に定着させた日航機の「逆噴射」だ。当時の小中学生のほとんどは、この墜落に関する悪趣味な冗談や、ひどい場合にはいじめに至った事案で、学校で先生にお説教を食らうなどしているはずである。うちらも全校集会で校長先生からお説教を食らった。

1982年のこの墜落事故のあとで、エアライン各社の操縦士のメンタル・チェックが厳格化された、というようなことを私は聞きかじっていたと思うのだが、どうもそれは思い込みだったらしい。

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posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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