「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月25日

ロンドンの不発弾

ロンドンは第二次大戦でドイツによる空襲にさらされたので、不発弾が見つかることはそこそこよくあるらしい。Unexploded ordnance (略してUXO) という表現を私が最初に見たのも、ロンドンに関する文章だったような気がする。
Most current UXO risk is limited to areas, mainly in London and Portsmouth, that were subject to the Blitz and to land used by the military to store ammunition or to train on. According to the Construction Industry Research and Information Association (CIRIA), from 2006 to 2009, over 15,000 items of ordnance were found in construction sites in the UK. Most notably, 1000 homes were evacuated in Plymouth in April 2009 when a Second World War bomb was discovered, and in June 2008 a 1 000 kg bomb was found in Bow in East London.

http://en.wikipedia.org/wiki/Unexploded_ordnance#United_Kingdom


建設工事で地面を掘って見つかることが多く、CIRIAでは業者向けのパンフレットを出しているそうだ。

そんな事例が、今週もあった。見つかったのは長さ5フィートの1000ポンド爆弾。場所はロンドン南東部のバーモンジー。「泥棒市」でも知られる庶民的なエリアだ。




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posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「無根拠な憶測」を「ノイズ」として排除する必要性について、さすがに考えずにはいられないことがあったので。

フレンチ・アルプスの山中に、バルセロナ(スペイン)からデュッセルドルフ(ドイツ)に向かうエアバス機(A320)が墜落した。ちょうど24時間ほど前、24日の午後8時ごろ(日本時間)にBBC Newsのトップページを見てみたらトップニュースになっていたので知ったのだが、フランスのTVニュースでの第一報も7時40分ごろのことだったようだ。私が見たときにはすでに「乗客・乗員全員絶望」というフランスの首相の発言が出ていて、それが見だしになっていた。墜落したのはドイツのルフトハンザが傘下に持っているLCCのジャーマンウィングズの4U9525便、150人ほどが乗っていたという。

そのときにやっていた作業が一段落し、9時ごろにTwitterの画面を見たときには、どうやら既に「はっきりした根拠はないけれど、その時点でわかっている事実の断片だけつなぎ合わせて結論しちゃおう(少なくとも可能性のひとつにはなるので、これは善いことだよな)」という人々(今後、「オカルト組」と呼ぼうと思う)が活発に発言していたようだった。(個人的にはその界隈は見ないようにしているが、それを見たと思われる人々の言葉の断片がいくつか、流れていた。)

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posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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