「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月23日

「反権威」と「トンデモ」と、「言論の自由」と「オンライン・アビューズ」と。

サンディ・フック小学校事件に関する陰謀論についてのページを作成中だが、「みんなが発言できる」すばらしいユートピアだったはずのインターネットでは、こんなことでこんなひどい「アビューズ」が発生するのか、と暗澹たる気分になっている。

シカゴ・トリビューンは、サンディ・フック事件否定論のサイトの主は、シカゴを拠点とするカシム・K・イグラム (Cassim K. Igram) という57歳の男であることを突き止めた。

彼はネットや出版物で、キャス・イングラム博士 (Dr. Cass Ingram)、カセム・カリール (Kaasem Khaleel) など、いくつかの偽名を使い分けている。ハーバル・レメディのときは「キャス・イングラム博士」、9-11事件やボストン・マラソン爆弾事件は米国政府またはイスラエル政府のしわざだと主張するときは「カセム・カリール」というように。

……その正体であるイグラムは整骨医の技能を有しているが、イリノイ州での免許を1999年に剥奪されている。理由は、栄養サプリメントの代金としてある女性に数千ドルを払わせようとしたことが、「アンプロフェッショナルで倫理にもとる不名誉な行為」と判断されたこと。

……イグラムは(「キャス・イングラム博士」の名前で)ハーバル・レメディや栄養について何冊もの本を出しているが、それらはノース・アメリカン・ハーブ&スパイス社という会社の製品を紹介している。そして、その会社は米連邦貿易委員会によって、オレガノ・オイルに関するデタラメな主張を行なったとして訴えられている。

……
http://matome.naver.jp/odai/2142623486769204201?&page=4


このような「デタラメな主張」をする者も、法律に抵触する発言でない限り、基本的に「言論の自由」によって守られている。「言論の自由」から「デタラメ」を排除するのは法律や行政ではなく、「人の良心」や「判断力」である。というか、それでしか「デタラメ」を排除できない。息をするように嘘をついてもなぜか説得力があるように聞こえ、マスメディアのお覚えもめでたいような人物は、マスメディアでの発言機会を有している限りは「デタラメ」を吹聴し続けるだろうし、マスメディアに出なくても自分の発言が(必要な範囲に)届くようなネットワークを持っていれば、地下化した状態で「デタラメ」を垂れ流し続けるだろう。「言論の自由」はそういうことさえも擁護する。

それでも、この件について調べていたときに、2013年4月のボストン・マラソン事件についてネット上でものすごい勢いで垂れ流されていた「陰謀論」をいちいち否定する記事が、大手報道機関でたくさん出ていたことを再確認した(例えばABC, ガーディアン, Wired, ほか。「陰謀説」をいろいろまとめたのがsnopes)。「デタラメの垂れ流し」は目に付くが、一方で、「それはデタラメですよ」と指摘するために「言論の自由」が行使されている光景も目に見えるようになっているのだ。それを見るかどうかは、また別の話かもしれないが。

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「私たちはよいことをしてきたのだ」という語りについて。

ここまであからさまなものを見るとは思っていなかったんで、ちょっとびっくりしています。

例えば帝国主義での植民地支配について、「植民地化された場所の近代化を促進したから良いことだった」というような単純な語りがあります。こういう語りの最大の問題点は、物事は「良いこと」か、そうでなければ「悪いこと」だという白黒の二元論であること、1つ良いところがあればすべてが「良いこと」になるという詭弁が堂々とまかり通ってしまうことです。実際には、物事はそんなに単純ではありません。

ただしこういう語りはありふれたもので、いろいろなヴァリエーションもあります。その一例が3月22日のBBCに。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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