「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月21日

(´・_・`) のコンテンツ化、あるいは歴史と伝統の自虐芸

※「歴史と伝統の」は枕詞です。

2015年3月20日、欧州は春分の日と日食とスーパームーンが同時に起こると盛り上がりを見せていた。その前日までの2日ほどは、強い磁気嵐の影響で、通常よりずっと南の方でまでオーロラが観測されて盛り上がっていた。イングランドではカンブリアの空が緑色と紫色に染まり、通例、もっと北のほうのスコットランドやアイルランド北部でなければ観測されないような空の写真がBBCなどニュースサイトの写真特集をにぎわせていた。そんなイベント尽くしの日々、きっと子供たちは3月19日の夜はわくわくしながら眠りについたことだろう。「明日は日食だ!」と。

しかしここで立ちはだかるものがある。「ブリティッシュ・ウェザー」である。ちなみにお隣のアイルランドでも同様の「アイリッシュ・ウェザー」が立ちはだかる。指を交差させて幸運を祈ったところで、変えることはできないものだ。

というわけで……






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ある拷問被害者の死……「正義」がもたらされるその日を、生きて迎えていただきたかった。

2014年12月、米CIAのやってきたことについて「拷問」であるということがついに公の文書で認められたことは、グアンタナモなど米軍の施設で「拷問」にさらされてきた人たちに、いくばくかの《救い》をもたらしていた。彼らは「私は拷問にかけられた」と述べても、「あなたに加えられたのは《拷問》ではありません。《尋問手法》です」と言われてきた。それが「はい、確かにあなたに加えられたのは《拷問》でした」となるだけでも、《救い》になる……ひどいことだが、「最低最悪」が「最悪」程度になることでも《救い》になりえてしまう。

同じころ、アイルランド共和国が1970年代に欧州人権裁判所(ECHR)に起こした「拷問」に関する訴えを、新証拠を持って再提示するというニュースがあった。北アイルランド紛争、オペレーション・デメトリウス、インターンメント、ギニアピッグ、「フーデッド・メン」(これらの言葉の意味は、下記のNAVERまとめのページに書いてある)……2015年2月にはあの「有名な人権弁護士」(有名俳優の配偶者でもある)がチームに加わって、いよいよ本格的に動き出しそうだな、というところまで来ていた。

その矢先のジェリー・マッカーさんの訃報である。残念でならない。

北アイルランド、1971年8月9日に一斉拘留された「拷問の実験台」のひとりが、71歳で亡くなった。
http://matome.naver.jp/odai/2142682154578918301


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Twitterがどんどんごちゃごちゃしてくる件

20日、ブラウザでTwitterの個別ツイートを表示させたときに、右側にカラムが出現していた。「フラット・レイアウト」云々でのニュースサイトのリニューアルなどが進み、どこもかしこもサイドバーを捨てる方向で、ページ内の情報量が激減しているときに、あえて逆を行って「ブラウザだからできること」をやるのはいいと思う。

問題は、精度が低すぎて意味が分からない上に、めちゃくちゃうっとうしいだけだという点だ。生暖かく見守っていき……たいと言いたいところだが、その前に、あんまりこんなふうにごちゃごちゃになってきたら、ブラウザで見るのやめると思う。(´・_・`)

Twitter新機能、 "You may also like" が、現状、限りなくうっとうしい。
http://matome.naver.jp/odai/2142686977324449001


初期のTwitterの攻撃的なミニマリズムが懐かしい。

4861905354ツイッター・パーフェクトガイド Twitter Perfect Guide. (INFOREST MOOK)
インフォレスト 2009-11-17

by G-Tools

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ガーディアンの次の編集長は女性だ。

2010年の「ウィキリークス」の報道以後、日本語圏でも「名称を言うだけで新聞だと通じる」機会が増えてきたような気がする英国拠点の新聞、ガーディアンは、元々は1821年にマンチェスターで始められた非体制的な(ノン・コンフォーミストの)実業家たちの新聞だった。創刊から数年後に「マンチェスター・ガーディアン」の名称となり、1959年に「マンチェスター」を取ってただの「ガーディアン」となり、1964年に本拠をロンドンに移した。

この194年の歴史を通じて、「ガーディアン」の編集長は10人しかいない。ウィキペディアからコピーすると:
John Edward Taylor (1821–1844)
Jeremiah Garnett (1844–1861) (jointly with Russell Scott Taylor in 1847–1848)
Edward Taylor (1861–1872)
Charles Prestwich Scott (1872–1929)
Ted Scott (1929–1932)
William Percival Crozier (1932–1944)
Alfred Powell Wadsworth (1944–1956)
Alastair Hetherington (1956–1975)
Peter Preston (1975–1995)
Alan Rusbridger (1995–present)

……と、大雑把に第二次世界大戦後は、編集長が20年に一度交代していることが確認できる。というか、一度編集長になったら20年。現在のアラン・ラスブリジャー編集長(ルパート・マードックに「何だあのハリー・ポッターは」と言われたことでも知られる)も、20年目となる今年の夏に退任するということが2014年の暮れに発表されていた。その後任が、全スタッフの投票と経営陣(スコット・トラスト)の選考を通じて決定されたというのが3月20日のニュース。194年の歴史を通じて初めての女性編集長だ。

Guardian appoints Katharine Viner as editor-in-chief
http://www.theguardian.com/media/2015/mar/20/guardian-appoints-katharine-viner-new-editor-in-chief





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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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