「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年02月22日

「フーリガン」のニュースが、まだ終わらない。

「チェルサポの人種差別」の件に関するニュース、情報がちょろちょろちょろちょろと流れてくる。試合があったのが火曜日(21日)で(チェルシーの観客の何人かがパリのメトロで黒人男性にいやがらせをしたのは試合開始前)、翌日の水曜日(22日)にはパリで観戦してた英国人はロンドンに戻ってきていたのだが、そこでもやらかしていたということが土曜日になって報じられた。パリのメトロでの一件は、たまたまその場にいた英国人ジャーナリストが携帯電話のカメラで撮影した映像をガーディアンに送ったことから発覚したのだが、もしその場にそのジャーナリストがいなかったら、あるいは携帯が充電切れか何かで撮影できていなかったら、そもそも報じられていた可能性も極めて低く、したがってロンドンで水曜日の朝にやらかしていたということは、一顧だにされなかったに違いない。




ロンドンの地域メディア、イヴニング・スタンダードの、21日(土)付けで記事より。

Chelsea fans were today at the centre of a fresh racism storm as police launched an investigation into "disgusting" chanting at London's Eurostar terminal.

...

Detectives are now investigating claims some of the club's fans were heard singing racist chants in London on Wednesday evening after returning from the French capital following Chelsea's 1-1 draw with Paris St-Germain at Parc des Princes.

つまり、水曜日の夕方、ユーロスターを使ってパリからロンドンに戻ってきた「チェルシーのファン」が、到着駅(ロンドンのセント・パンクラス駅)で人種主義のチャントをしていたとのことで、警察が調べている。

この記事が出るまでに、クラブは5人を入場停止処分にしており、パリでの一件についての警察の調べも進められている。

同じく21日付けのBBCの記事は、チェルシーがホームのスタンフォード・ブリッジにバーンリーFCを迎えて行なわれた土曜日の試合でのマッチ・デイ・プログラムや観客席の様子も伝えている。
http://www.bbc.com/news/uk-31564836

【続きを読む】
posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。