「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月17日

「宗教冒涜」といえば……っていう書き換え・言い換えが堂々と行なわれ、「キリスト教」でのそれが見えなくされているのかもしれないが。

現地14日午後、つまりヴァレンタイン・デーに当たった土曜日の午後、デンマークの首都コペンハーゲンで、ひどい事件が発生したというニュースがあった。トークイベントの会場となっていたカフェを、男が攻撃用兵器で外から何十発も銃撃し、警官が負傷、民間人(=イベントに来ていた人、警官ではない人)が死亡したと即座に伝えられていた。銃撃犯はそのまま逃げており、続いて数時間後(現地日没後)に数キロ離れたシナゴーグで再度銃撃、こちらは頭を撃たれた人が数時間後に死亡が確定した。その後、容疑者は現地で夜が明けたころに張り込んでいた警察と銃撃戦になり、死亡した。

経緯は下記に記してある。

デンマークの首都コペンハーゲンで2件相次いで銃撃、2人死亡。容疑者射殺(2015年2月14〜15日)
http://matome.naver.jp/odai/2142393893824145201


デンマークに関しては、上記「まとめ」に入れてあるように「今までよく起きなかったな」という見方をすべきというシニカルな(「冷静な」ともいうかもしれない)視線もあるが、「ムハンマド戯画騒動」がそもそも2005年にこのデンマークで始まったということも、そろそろ改めて強調して伝えなければならなくなっているかもしれない。10年も経過している。

で、最初の銃撃があったカフェのトークイベントだが、これが日本語圏では「イスラム教と言論の自由に関する討論会」などと報じられている。



この「イスラム教と……」の部分の元は、このイベントに大使が出席していたフランスの大統領府が流したプレスリリースのようだが(→フランスのメディア報道の例もここにメモってある)、デンマークでの元の告知ではこのイベントのテーマは「イスラム教と言論の自由」ではなかった。デンマークの対テロの専門家の英訳によると、「芸術と宗教冒涜と言論の自由」だ。




で、欧州ではいつから「宗教冒涜 blasphemy」が「イスラム教」の話になったんですかね。私は忘れもしませんよ、1988年公開のこの映画の件。

表題は、十字架に架けられたキリストが、マグダラのマリアとの結婚から多くの子どもをもうけ、最期は普通の人間として死ぬという誘惑があったという解釈に由来する。幾つものキリスト教関連団体から抗議の声があがり、上映反対運動も巻き起こった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E8%AA%98%E6%83%91


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考えられないほどガチの極右が「テロ」ではないといわれるとき。

先日、カナダの東海岸で「マス・シューティング(無差別銃撃)計画」が摘発され、容疑者が起訴された。そのとき当局は「これはテロではなく、犯罪 criminal」と言っていた。




その段階で「言ってることがおかしい」(無差別に人を大量に殺傷する計画が「テロ」でないのはおかしい)という感想みたいなのもたくさんあったのだが、そこは当該国の「テロ法」で起訴できるかどうかという定義上の問題もあることは事実だ。

しかし、こんながっつりした証拠があるときに、「これはテロではない」っていうのは、マグリット的な冗談ですか、というしかない。

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次のフェーズに行っちゃった途方もないニュースを、「人間化」する。

英語でhumanise (米語でhumanize) という。
http://dictionary.reference.com/browse/humanize
to make humane, kind, or gentle.


あの浜辺で殺されたその人は、出稼ぎに出ている間、どんなに子供の喜ぶ顔が見たかったことだろう。写真見てキャプション読んだときにそう思って、「あわれ」という感情を覚えた。Sympathyだ。




「リビアでISISに殺害された労働者のひとりの娘さん。お父さんはお人形をお土産に買ってきてあげようと約束していた」と現地取材から伝えているのはWSJの記者、ルイーザ・ラヴラクさん。

Caabuのジョウゼフ・ウイリッツさんは、「残忍な映像を広めるのではなく、殺された人びとの名前を広め、彼らとご家族のために祈ってください」という画像をツイートしている。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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